3-3

 センター。

 一志、直亮、丈。

「昔の芸能界なんていじめとか喧嘩とか凄まじかっただろうし、睡眠時間三時間とかが売れっ子のあかしだったりしたわけで。そういう過酷な日々を勝ち抜いてきた人たちが素晴らしいアートを作ってきたわけでしょう。いまの芸能界ってなんか仲良しクラブっぽいし労働基準法も守ってるだろうから突出とっしゅつしたものは出にくいだろうね」

「じゃ、いじめとか過労死とかがあった方がいいんすかね? 確かにコンプライアンスコンプライアンスってテレビつまんないけど」

「でもコンプライアンスのおかげで僕ら障害者の日々がマシになってるのはいなめない。やっぱり三十年前より二十年前より十年前よりいまの方がずっと生きやすくなってるのは確かでしょ」

「でも実際テレビすごいつまんなくなってるよね」

「だからずっとの間、人を傷つけなければ人を楽しませることができなかったってことさ。それをどのように転換させることができるのかをいまのテレビは試されている。だから——どっちがいいかだよね。面白いけど残酷っていうのと、平和だけどつまらないっていうの。僕はなんだかんだ後者の方がいいから、だから僕はあくまでも生活者としての小説家なんだよね。あるいは——エンターテインメントは何のために存在するのか、おのれにとってそれは何なのか、そこをじっくり真正面から見つめて、そして原点に立ち返らなければならない時期が来ているのかもしれないね」


 再び、文彦との対話。

「ところで仕事はどうですか?」

 ふと話題を変えた文彦に、一志はスムーズに反応する。

「いつも通りですね」

「愚痴などあったら」

「そうですねえ……最近あったことと言えば」

 と、一志は口元に指をやり、話し始めた。

「こないだパソコンがあまりにも重くて、一向に作業に入れなくて」一志は就労支援でパソコン作業をしている。これは企業からのデータ入力の仕事である。「イライラしてきちゃって」

「ふむ」

「それで頓服とんぷく飲んで休憩させてもらったんです。そしたら職員さんたちが、僕が“待てない”人だと思っちゃって」

「ふむ。災難でしたね」

「それからエクセルの、ダウンロードしたデータとスプレッドシートのデータが違ってて、職員さんに訊ねたんですけど、どういうわけかそれに関して明確な答えというか対処方法を教えてもらえなくて」

「残念でしたね」

「でも、職員さんたちはみんないい人」

「はい」

 そこで一志は、ふう、と軽くため息をついた。

「これまでの人生通り、僕は相手に“バツの悪い顔”をさせているなと」

 文彦はちょっと視線をななめ上にやり、そして反応した。

「相手の攻撃性を刺激している」

「要するに、この二つともどっちも僕は悪くないじゃないですか。でも向こうとしては“どういうわけだか”そこに目がいかない。そのパソコンが極端に重いせいに、データにミスがあるせいに、できないというか、しない。僕が待てないせいに、僕が説明を聞いていないというせいにしちゃう。むしろ僕がちょっとでも悪ければ丸く収まるのだが」

「だからそれを直視させるシーさんが邪魔なわけだ」

「それとも普通の人は二時間以上動かないパソコンの前に座っててもイライラしないものなのかな?」

「いやあ、イライラしますよ。薬を飲むことはないにしろもちろんイライラしますよ。だから結局、そういうことではない——シーさんの、“自分に問題がある”ということを相手に向き合わせてしまうという性質自体に問題がある」

「しかしブンさんに心優しいお言葉をもらってるのに大変申し訳ないのですが」

 一志からなにが出てくるのだろう、と、文彦はちょっと期待した。

「どうぞ」

「細かいことをいちいち考えるのはもう本格的にやめようと。真実を探究するとか、自分の真意を理解してもらうとか。相手の言うことに“素直に”頷こう」

「大人になってきたってことでしょうかね」

「大人かな?」

「流れに流され、行き着いた先に落ち着くのが大人です」

「その職員さんたちだって、福祉施設の職員さんたちだから、配慮をしてくれてるんですよね。だからたぶん向こうにとっては良くあることに過ぎないと思うんですよ。だから例えば、別に僕を特別ことさらに“障害者”だと思って見下しているということではない。そもそも僕だってバツが悪いって経験しても、直後は引きずるけど翌日にはスッキリしてるし、もっとそもそも相手の真意なんて言われない限りわからないんだから考えたってしょうがない」

「そして現代社会はどちらかといえば正確さよりもスピード重視です」

「まあ一応、僕の仕事はそれ逆なんですが。ゆっくりでも正確に」

「そうですね。シーさんの仕事に関してはね。でも」と、文彦は人刺し指をピンと立てた。「その職員さんたちの仕事に関してはそうではない」

 一志は大きく頷いた。

「だいたい僕以外にも利用者さんはたくさんいるから、僕にだけ目をかけているわけにはいかない」

「いい感じですね」

 まるで兄のように微笑む文彦が一志には嬉しい。

「でも、何だか」

「苦しい?」

 やや逡巡し、一志は答えた。

「空虚な感じがしちゃいます。大人になるって、空虚なことなのかなぁって」

「そうですね。シーさんは細かいことをいちいち考えちゃうタイプなんですから、“そうではなくなる”ことにどこか辛さを覚えるのもわかりますよ。筋トレだってようやく始められたみたいですし。だから……“いままさに”変わろうとしているから」

「しかし、そうならなければこの人間界で僕が生きていくのは不可能。簡単に言えば、生活ができない」

「普通の人が考えないようなことを考えたり、悩んでしまうことで、シーさんの場合、小説が出来上がる」

「それができなくなるんじゃないかって懸念があります」

「九割は冷静にやって、一割を小説の方にとっておけば、あるいは」

 直前の自分のセリフを言われて、一志は納得し始める。何と言ってもこの発言は自分の信頼する主治医の言葉なのだから。

「ふむ」

 と、頷く一志に、文彦はにっこりと笑う。

 しばし考え込み沈黙する一志。

 二人はそれぞれコーヒーを飲む。

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