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「小説の方はどうですか?」

 と、いつものファミレスで文彦は訊ねた。

「とりあえず中間選考が発表されるまでお休みしようかと」

「そんな余裕があるのですかね?」

 と、ニヤリと意地悪そうに笑う文彦に一志は微笑んだ。

「休息時間も大切です。結構突っ走ってましたしね」

 ふふ、と、文彦も微笑む。

 この文彦とはネットで知り合った。横谷昌資よこやまさとしという小説家のファン同士という繋がりから仲良くなり、ある日オフ会をしてみようということで会ってみたらなかなか気が合い、そしてこうやってたまに会って話をしている。

 文彦は既婚者であり、かつ同性愛者だった。なぜ一志がそれを知っているのかというと、文彦が自分からプロフィールにそのように書いているからである。既婚ゲイ、というのは珍しくないらしい。もっとも、大半の既婚ゲイは顔出しをしないでネット活動しており、文彦もそうだった。基本的に文彦はゲイ同士のコミュニティにおり、それがなぜ一志と関わるようになったかというと、横谷昌資繋がりであった。誰かと横谷についての話をしたかった一志がたまたま検索をかけたところ文彦のアカウントがおすすめに現れ、何となくリプを送ってみたら、いまがある、ということだ。

 インターネットというのは不思議なものだな、と、一志はよく思う。それまでの生活とは何の関係もない二人がある日突然出会うのだ。なかなかに興味深い日常を現代人は過ごしているのだな、と思うと一志は胸がときめく。この胸のときめきはおそらく自分がクリエイター志望だからなのだろうと思っていた。

 既婚ゲイ、というものに関して、一志は特になにかを思うことはない。なぜかというと、どうでもいいからである。これもネットの出会いというものの特徴なのだろう。お互いを繋ぎ止めるのはお互いへの興味だけ。つまり文彦が既婚だろうが未婚だろうがゲイだろうがノンケだろうが、横谷昌資について語り合えるちょっと年上のお兄さん、という点が変わらなければそんなことはどうでもよかった。これまでゲイの知り合いがいたことはないが、ただ施設職員の史生にはゲイの友達がいるらしく、細かい個人情報はわからないながらも彼女がその友達の話をする度に興味深いと感じ、そしてなんだか身近な存在のように感じていたのである。もっともそれで自分も同性愛者の友人を欲しがっていた、ということではない。ただ、自分とは異なるマイノリティ、という存在に、単純に興味があったのも事実である。

 とはいえ、一志は自身が精神の障害者として、自分が同性愛者に対して何の偏見もないなどということはないはずだ、という自覚があった。きっとところどころで無理解があり、自分も誰かを差別しているのであろう、と思う。その感想もおそらく、自分がクリエイター志望だからなのだろうと思っていた。

 そしてそれは、自分が普段内省的ないせいてきで静かで、地味な話ばかり書いているということにも由来するのだろう、と、そう思っている。

「ふむ。インターネット特有の出会いについてですか」

 何となく今日はそんな話を文彦にしてみた。

「お互いを繋ぎ止めるのはお互いへの興味だけ、だと思うんです」

「まあ、そうですね。おれもワンナイトラブが多い半生ですよ」

してるんですか?」

 顔を見合わせて笑う。

「いや、特には」

「でしょうね」

「とは言え、むなしい気持ちが全くないと言えば嘘になりますよ。こっちが仲良くなってみたいな〜と思っても、向こうにその気がなければそれっきりですもんね」

「僕らはうまくいってるっぽいですけど」

「そうですね。まあ、うまくいってるっぽいですね」

「むろん、人生はなにがあるかわからない」

「おっしゃる通り」

 この二人は基本的に敬語で会話している。ある意味、それはこの自分たちには合っているのだろう、と一志は思う。以前読んだ本で、敬語というのは一種の心のバリアと書いてあった。実感として非常に理解ができ納得いく説だと思った。文彦の方がいくつか年上だが、結局のところ文彦は心底自分に気を許してはいないのだろう。だがそれは別に自分の側に殊更に問題があるというわけではないのではないかと何となく思う。

 文彦は、たぶん、いつだって警戒しながら生きているのだろう、と、何となく思う。

「ブンさんは、虚しい気持ちと、虚しくない気持ち、どっちの方が上ですか?」と、一志はコーヒーを一口飲む。「なんか、何となくなんですけど、みんな虚しいのかなって。別にIT社会じゃなくても、社会ってそういうものなのかなーって」

「そうですねえ……」

 ちょっと考え込み、コーヒーを飲み、やがて言葉を紡ぎ始めた。

「誰もがなにかで辛い思いを感じているし、みんな大変な日常を過ごしている」

「まあそれはそうなんですけど」

「ただ、“現状の自分に満足しているかどうか”の差は、これは確実に存在する」

「ふむ」

「だからまあ、虚しさっていうのにもやはりレベルがあるんでしょうし、個人差があるんでしょうし、同じ虚しさでも耐えられる耐えられないあるでしょうし」

「いまのブンさんの虚しさレベルは?」

「まあ耐え切れるレベルではあります」

「それなら、幸せなんですかね」

「おれはね」

 と、そこで文彦の口調が少し強くなったような気が一志にはした。

「ブンさんが幸せならそれでいいんじゃないですかね?」

「おれの友達なんかがなかなかキツそうなんですよね」

 ふと思いついた単語を一志は言ってみる。

「差別とかですか」

「まあね」あっさりと答える。

「キツそうというと」

「いや、何というか、本人は自分は幸せって言ってるんですけど、何だか見てられなくて」

 何の話かよくわからず、一志は首をひねった。

 文彦はその友人のことを思い浮かべ、軽くため息をついた。

「私は幸せだから問題ない、は理屈として弱いんですよ。個人的に幸せだとか辛いだとかは関係なくて。社会的にどのように扱われているのかっていうのがポイントです。差別は社会的な問題であるってことが理解できていないと、差別の問題の入り口には立てない。社会とはなにか——マクロな問題をミクロな、自分だけにしか解決できない方法で語るのは良くないことです。例えば、貧困問題を話しているのに節約術を語るとかですけど」

 詳細はよくわからない。具体的なことを聞いていいのかわからなかったし、聞くにしても聞き方が大切な話だと思った。何となく文彦の様子を伺うとあまり追及されたくないようにも見えたし、しばし二人の間に沈黙が走る。

 だが一志は“使える”と思った。

 いまの文彦の説明は、小説に使える——あとでメモ帳にまとめなければ。そう思い、文彦の言葉を何度か反芻はんすうする。いま文彦はとても大切なことを言っていたように思う。自分ならうまく吸収して、うまく表現することができるはずだと思った。やがて文彦は「そういえば」と次の話題を始めたが、頭の中の片隅でさっきの言葉を一志は反芻する。

 反芻する中で、やはり思う。

 精神の障害者である自分も、差別とは無縁ではないのだということを。

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