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「傷つくことで優しくなれるなんて普通に嘘だと思う」

 ある日すずかけで一志はそんなことを言ってみた。

「嘘ですか」

 と、職員の史生が反応する。

 反応してくれたので、一志は言葉を続けていく。

「自分の経験上、僕は傷つけば傷つくほどに自分の性格が悪くなっていくことを思うのよね。優しい人っていうのは要するに想像力の豊かな人のことなんだよ。これされたら嫌だろうなとか、こういうことを言ったら苦しむかもとかの想像力があるからその人は優しいわけ。で、想像力が鍛えられるかどうかは傷ついたかどうかとは関係ないの。想像力は本を読むとか映画を観るとか音楽を聴くとか絵を見るとかで鍛えられていくものなの」

「でも」と、直亮は訊ねた。「性格の悪い芸術家なんて山ほどいるんじゃない? あと、趣味・音楽鑑賞とかの嫌なやつなんて普通でしょ」

「やっぱりそういう人はそもそもまともな人間関係を営んでいきたいなんて思ってないんじゃない?」

「なるほど」

 と、丈がうなずく。

 これが一志たちのいつもの日常だった。

 地域活動支援センター。それは何らかの障害を持っている人たちがより良い生活を送っていくための支援施設である。イベントごとを用意してくれたりもするが、一志たち利用者のほとんどはここに“話をしに”来ている。そして今日も友達の直亮と丈と和気藹々わきあいあいと話していた。

 一志はこたえる。

「でも、性格が悪くなっていくのも人間として必要だよ。この歪んだ世界で歪んでない人間なんてタダでは済まないだろう。いつまでも素直でまっすぐなんて普通におかしくなるわけよ」

「それが小説に反映されてるん?」

 と、そう訊ねてきた丈に、一志は胸を張って、

「まあね」

 と、答えた。

 ずっと小説を書いていた。誰にも見せない小説だった。だが、ここ地域活動支援センターで出会った飯森丈が音楽活動をしていることを知り、それなら自分もしていいのではないだろうかと思うに至った。

 実際は、一志が作品を世に発表しなかったのはほぼ病気のせいだった。自分が表に出たら、世界が“虚無”に包まれる——という妄想を抱いていたのだ。が、ここに来るようになり、そして働くようになり、だんだんと、と思うようになった。そして、インターネットのWEB小説投稿サイトに作品を発表し続けている。だがおよそ誰にも読まれていない。それはそうだろう、と思う。近況ノートに自分が普段小説を読まないことを書いているのだから。このサイトの場合、基本的に読まなければ読まれない。最初の頃は一志も他の利用者たちの小説を読もうとしていたのだが、日頃小説を読まない一志である、だんだんと自分の物語をつむぐことに専念するようになり、そして、せっかくいいねをもらえたりしても自分からはいいねを押したりはしない。こういうのは良くないのだろうか、あるいは、“弱い”のだろうかと思う一方で、しかし一志は小説を読むということにあまり興味がないのだ。子どもの頃は狂ったように読んでいたが、しかし、いまは読むより書くことのほうがずっと楽しいのである。仕方がない、と、思うことにしている。

 そして、一志はいま、コンテストに応募している。驚異的なPV数を叩き出して出版社の人間にスカウトされるより、自分から攻めの姿勢でいった方が自分らしいと思っているのだ。そしていまは結果を待っている。中間選考発表までもうすぐだ。二作品を送ったが——果たしてどうなることやらと期待と、そして不安の日々だった。

 誰かに自分の小説を読んでもらうのは子どものとき以来である。そして、二十年ぶりである。二十年前、とある新人賞に初投稿し、一次選考を突破した。つまり二次で落選したわけだが、これがきっかけで一志は小説にのめり込んでいったのだ。

 ——もしも自分が“虚無”の病気にならなければ、ずっと世に発表し続けていたのだろうなあと思うと、やはり一志は悔しかった。

 しかし、それはそれ、これはこれ、と、いまの一志は考えられるようになっていた。それは現在通っている精神科の主治医のおかげというのがかなりの大部分を占めている、と思う。あの先生からはいろいろなことを学ばせてもらっている、と、一志はいつも感謝していた。

 そんなこんなで、現在は中間選考発表を待つ日々であり、そして就労支援A型でコツコツと仕事をしている。

 もし小説が大賞を取って賞金の百万円をゲットしても、この仕事はしばらくは続けた方がいいのだろうな、とよく妄想する。しかし楽しい方を選べという言葉を以前どこかで聞いたことがある。やはり、百万円を獲得し、家と土地を売却し、小説家の仕事一本でチャレンジしてもいいのではないか。もう四十歳になるのだ。やってきたチャンスは掴まなければならない。しかし、やはり、ある程度仕事が軌道に乗るまでは本業の仕事を数年は続けて様子見をした方がいいのではないかという気がする。一志はそんなことを毎日毎日考えている。

 受かったらどうしよう、ということばかり一志は考えていた。そこに、自分が落ちるわけがない、という思いがあった。

 正確に言えば落ちることだってあるわけだと思ってはいたが、しかし一志は何となく自分なら受かるだろうと思っていた。それだけ自分の書くお話は面白いのだから、と、それだけをずっと思っていた。落ちることだってある、というのは可能性の話としてはその通りであるというだけで、一志は“受かる”と思っていた。だからあとはその途中結果を待つだけ。だから今後の生活のことを考えるのも大切なことであり必要なことであった。

 だがふと思う。こういう“幼い”ところが、やはり四十歳の大人の男とは思えない思考回路なのではないかということを。あるいは——やはりなんだかんだ、同じ統合失調症を患っている直亮や丈のように、自分の人格も崩壊している、または部分的な知的障害が発生しているという証拠なのではないか、と。

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