第二部

第一話 ひらけ歴史

1-1

「——僕はこう、なんていうか、こういう、愚痴を言ったりしたときは想像上のギャルみたいにわかる〜そういうのマジウザいよね〜とかって言ってほしいんですよね」

「あ、おばちゃんは同情とか共感とか嫌いだからおばちゃんにそういうこと期待しないでね。それに、そういうことは家族親戚の役割じゃないし」

 ——そうかもしれない。そうなのかもしれない。それって大人の意見なのかもしれない。

 でも、だとしたらあなたたちにもう用はないんですけど。


 この数年間に分岐点ぶんきてんが集中していたな、ということを最近の一志はよくそう思う。親が死んで、遺産を手にして、初めてちゃんとした自宅療養ができて。その金を使い果たして家族親戚にいくらか借金をして、そして仕事を始めて。そして地域活動支援センターと出会って、友達ができて、話を聞いてもらえて、そして——家族親戚を諦め始めて。

 そんな中で決定的な変わり目は一昨年勤めたグループホームだと思う。

 ずっと介護の仕事に憧れがあった。もともとお年寄りが好きだったし、向こうからも好かれることが多かった。単純に、人の役に立ちたかった。誰にも見せない小説ばかり書いてきておよそ他人の、あるいは社会の役に立ったことなどないと思っている一志にとって、常時人手不足の介護職には強い憧れがあった。しかし、なかなか一歩を踏み出せなかった。その理由は勤務時間である。自分に八時間勤務などできるはずがないと思っていた。それで、親の遺産を使い果たしたのち、スーパーの朝の品出しの仕事に就いた。人間関係が原因で辞めてしまったのだが、しかしこのとき、通常四時間の勤務時間に残業が加わり計六時間働いたことがあり、これなら八時間労働ができると思いいよいよグループホームのアルバイトを始めたのだ。

 だが、一ヶ月で辞めてしまった。

 施設には、自分が精神の病気であることを隠して面接を受けた。入院期間のことはうまく誤魔化して履歴書に書いた。それでまんまと受かった。遺産で過ごす生活を送る中、一志とて別に働こうと思わなかったわけではない。だが、スマートフォンでいくらアルバイトを探して受けても不合格がずっと続いていた。それが、病気のことを言ったことが原因かどうかまではわからない。だが、そのグループホームに受かるまでに受けた数々の介護施設を落ち続けたことを考えると、これだけ人手不足に苦しんでいる業界で落ちるということはやはり病気のことをオープンでいたから落ちたのだと考えても仕方がないと一志は思う。数年間引きこもり生活を送っていた一志があっさりとスーパーの仕事に受かったのは履歴書が必要なかったからであり、つまりそれまで受け続けたアルバイトとは違い病気のことをわざわざ話す必要性がなく、なんと言っても結局、クローズで活動し始めた途端受かったのだから。

 それで働き始めてひと月。八時間労働は大変だった。しかし、できないことはないという程度の感触は得られた。仕事は楽しかった。やりがいがあったし、興味深い仕事だと日々思っていた。だが、他の職員は皆親切だったが一人合わない女性職員がいた。働くということはそういうことだ、と言い聞かせていたのだが、ある日ついに激昂してしまい、つまり利用者たちの目の前で大声を出して怒鳴ってしまったのだ。

 結果的には、間に入ってくれた男性職員のおかげで、その女性職員とも腹を割って話し合って前進できそうな気がしたのだが、しかし一志はもう限界だった。職場で怒鳴ってしまった、という大失敗は一志にとって退職するに等しい出来事だった。ただ、それだけが原因ではない。クローズ就労、つまり、誰も自分の病気のことを知らない、という環境は、一志にとってあまりにもハードだった。一志は殊更に配慮を必要としているわけではないが、誰も自分が病気であるという前提を持っていないという環境が自分にとって相当過酷であるということをそのとき彼は悟った。要するに、激昂げっこうしたことはきっかけに過ぎなかった、と、いまになって一志は思う。だがいい勉強に、経験になったと思っている。

 それは、その口論になった女性職員が、なぜ一志に辛く当たったいたのかというと、彼女曰く「米原さん距離感近くて、なんか怖い」ということだった。

 一志からすれば、もちろん職場の人間としてという意味で仲良くなりたいという思いからきた行動だったが、まさかそれが“怖い”という評価になるとはなかなかの衝撃だった。そこで一志はこれまでやったいくつかのアルバイトのことを思い返す。もしかしたらあのときのあの子も、あのおばさんも、自分の距離感が近いせいで自分に辛く当たるようになってしまったのではないか——そんなふうに思った。

 実際のところ、一志がこれまでの職場をおよそ全て人間関係が原因で辞める羽目はめになったのがなぜかはわからない。センターのみんなに言われるように今回はそうだったけど今回がそうだったというだけでこれまでも全部そうだったかどうかはいまとなってはわからない、というのが正しい思考だと思う。だがこの女性職員の言葉は自分の人生にとってあまりにも巨大な意味があると、彼は強く感じていた。

 そして翌年、今度は別の介護施設に転職した。介護職自体はやりがいがあったし、ここで挽回できればいいと思って特養に勤め始めた。前回の職場を退職する際、どうせ辞めるのだからと思い精神の病気のことを話したら、サブリーダーはじっくりと話を聞いてくれて、それなら言ってくれたらよかったのに、と言ってくれた。それは一志にとって嬉しいことであり、そして励みになることであった。だからオープン就労をしようと思い面接を受けた。施設長も主任も理解を示してくれた。そして勤務時間は四時間で設定させてもらった。ホームページではてっきり八時間勤務限定だと一志は読み取ったのが、実際には特にそんなことはないようで、短時間勤務の職員はちらほらいると聞き、安心して働き始めた。楽しかった。やりがいがあった。興味深い仕事だと思った。やっぱり勤務形態はアルバイトであればなおさら人それぞれで、それは質問してみなければわからない、ということすら直感的にわからないほど自分は“労働慣れ”していないのだなということを初めて客観視した。

 が、結局、“無理”だった。体力的な問題から半年で辞めてしまい、そしていま、一志は就労支援A型という障害のある者が働けるようにための場所に通っている。自分はまず、とにかく労働に慣れなければならないと思って。

 ただその仕事は辞めてはしまったが、距離感の近さ、というものについてかなり気をつけながら働いていたら、人間関係のトラブルがまるで生じなかった。それは自分にとって大きな一歩であり、大きな成長であると、一志は思っていた

 ——あのとき自分をかえりみて、それからいよいよ本格的に“流れ”に乗り始めた気が、一志にはずっとしている。

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