第五話 話をきかせて

5-1

「日置くん。久しぶり」

「久しぶり」

 四十九日しじゅうくにちを終え、航也は久々に海川家へとやってきていた。

「いま、ちょっと別のお客さんが来てて」

「それなら出てようか?」

「ううん。友達がいっぱいいる方が、航平も喜ぶと思うし」

 入って、と言われ、航也は居間へと歩いていく。

 見ると、航平の位牌いはいの前に一人の男性と、その横に年配の女性がいた。

 その男性はこうべを垂らしてひたすら泣きじゃくっていた。航くん、航くん、という涙声を聞いて、航也は、ああ航平も自分と同じように航くんと呼ばれていたんだな、そういえば航平は自分のことを航也さんと呼んでいたな、などと思った。

 航平の死は交通事故によるものだった。目撃者によれば、歩道を歩いていたら文庫本を読んでいた運転手の車に激突され即死したらしい。その運転手も死んでしまったので恨みのぶつけどころもない。運転手の家族は史生たちにひたすら土下座をしていたそうで、いよいよ史生たちはどうすればいいのかわからなくなったようだった。

 あの日、史生は母親から航平の事故の電話を受け、そのまま病院に向かった。それは航也も一緒に付き添った。航也は、なんとなく、航平にはもう会えないんじゃないかと直感していた。その直感が外れることを祈り続けたが、結果は、もう二度と会えないという厳然げんぜんたる現実だった。

 葬式を終えてからしばらく航也は海川家へは来なかった。むろん家族が忙しいことがわかっていたからである。それは家族を亡くしたショックだけでも相当大きいというのに、マスコミがちらほら突撃してきていたそうで邪魔をしてはいけないという配慮だった。それで、タイミングを見計らって史生に連絡を取ったらぜひ航平に会いに来てくれと言われたので航也はいまここにいる。

 史生が座布団を用意してくれて、ありがとうと言って航也はそこに座る。

「……」

 泣きじゃくる男性を見て、航也は、おそらくこの人も知的障害があるのだろうという印象を受けた。友達、というと、B型の仲間だろうか、と思った。彼はいつまでもいつまでも嗚咽おえつらして泣いていた。

 航平は、好かれていたんだな、と、思う。

「祐くん。そろそろ帰ろう」

 と、年配の女性が彼に声をかけた。どうやら母親らしい。そして航也は、この人が航平が一番仲の良かった「ゆうくん」であることを推測した。しばらく彼は反応がなかったが、やがて母親の言うように帰ることを決意したらしい。そのまま立ち上がり、振り返る。

「––––あ」

 と、思わず航也は声を上げた。ん? と、彼女は怪訝そうな表情で航也を見る。

「あの」

「はい?」

 記憶が一気によみがえってきた。

「ぼく、S中に通ってて、もしかして」

「––––あ」

 と、彼女は航也の出身中学を聞いてピンと来たようだった。

「祐の……お友達ですか?」

 そう。「ゆうくん」は、かつての航也の同級生だった。

「友達、というか」その単語で航也は少し戸惑ってしまった。友達というほど深い関係性ではなかったからだ。少なくとも、航平のようにはっきりと友達と言えるほどの仲ではなかった。「同級生で。挨拶をちらほら」

「そうだったんですね。祐くん、覚えてる?」

「……?」

 祐は一生懸命記憶の糸を手繰たぐり寄せようとしていたが、航也のことがどうしても思い出せないようだった。そのままなにも言わず、泣きじゃくり続けていた。

「竹崎くん、だよね」苗字も思い出してきた。中学生のとき、会う度に挨拶をしていたことを思う。「俺のこと覚えてる? 中学で一緒だった。日置航也。覚えてるかな」

「……」

 祐は不審そうな表情で、かつキョトンとしていた。そして、やがてこう答える。

「知らない」

 これは航也としてはなかなかショックだった。

 自分はしょっちゅう思い出していたのに、と思うと少し傷ついた。しかし、無理もない、と思う。あれから二十年近く経っていて自分もだいぶ顔も表情も変わっている。それでいくと祐は航平のように童顔でこそないものの明らかに中学生のころの彼がそのまま三十二歳に育ったように感じた。

「ごめんなさいね、この子、ちょっと知的障害があって」と、母親は航也に軽く頭を下げた。「卒業アルバムを見てみますね」

「あ、いえ、お気になさらず」

「祐のことを覚えていてくれて嬉しいです」

「はい、あの。しょっちゅう挨拶してて」

「そうだったんですね」と、彼女はやや笑顔になった。「ありがとうございます。お世話になりました」

「いえ、ぼくはなにも」

「じゃあ––––祐くん、帰ろうか」

 祐はうなずいた。

「うん……」

 祐は自分の同級生であり、当然今年三十二歳である。しかし、母親に付き添ってもらわないとここにやってくることもできないほど日常生活に支障があるのだろう、と、航也はぼんやりと思った。

 自分のそばを祐が歩いていく。その様子を航也は見る。祐は航也に見向きもせず、そのまま玄関へと向かっていく。ちょっとごめんね、と言って史生も玄関へと向かう。居間で、航也は航平の遺影を眺めた。その隣には例の渚の絵が飾られている。

「……」

 どこをどのように変えたのか、絵に関して素人の航也にはわからない。でも、素敵な絵だと思った。黄昏時たそがれどきの渚を描いている。寂しげな印象もありつつ、暖かい絵に思えた。

 この絵を最後に航平はってしまったのかな、と、思った。

「ごめんね日置くん。バタバタしてて」

 と、史生がやってきた。航也は、ううん、と首を振った。

「航平の友達が、俺の元同級生だったとは」

「竹崎くんとは仲がよかったの?」

「ううん。会ったら挨拶するぐらいで、友達、とかじゃなかったんだけど」

「あなたにとっては印象が強かったのね」

「……そうだね。なんとなくだけど」

 航也は航平に線香を上げ、鐘を鳴らして合掌がっしょうした。目を強くつむる。どうか安らかに。あっちでも絵を描いていてくれよな、と、祈った。

 振り返り、史生に頭を下げる。彼女も頭を下げた。

「どうもありがとう」

「ううん。海川さんも大変だったね」

「そうだね。だいぶ落ち着いたけど」

 憔悴しょうすいしきった表情、ではもうなさそうだった。あれから葬式だったり役所の手続きだったり、もちろん仕事もありてんてこ舞いだったようだった。こういう場合、ひたすら死を哀しみ続けているよりは忙しい方が気がまぎれるのだろうな、と、まだ家族を亡くしたことのない航也はそう思う。

「竹崎は、しょっちゅう来るの?」

 と、なんとなく航也はそう質問した。史生は、うん、と、うなずいた。

「ちょくちょく会いに来てくれるんだ。航平の一番の友達だったから」

「B型のだよね」

「そう。航平に聞いてた?」

「『ゆうくんと仲良し』って」

「ほんとに仲良くしてもらってて。航平も喜んでるだろうな」

「……」

 ふと航也は、祐は、航平よりずっと障害が重いのではないだろうかと思った。

 知的障害といってもそのレベルは人によって異なる。健常者のできることがおよそできない航平より、祐の方ができないことがあまりにも多いのではないかと、なんとなく航也は思った。なんとなくそう思うだけだった。祐の“できなさ”は航平よりきっとずっと重い。

 ––––そして、おそらく、航平のように突出した能力もないのだろう、と中学生の頃の祐を思い出しながらそんなことを思う。

 なぜそんなことを思ったのか自分でもわからなかった。ただ、久々の航平との再会と、かつての同級生との突然の再会によるインパクトでそう思った……。

 ……それだけだろうか、と思う。

 渚の絵を見る。

 航平は、“すごかった”と、思う。

 でも、航平は一部のレアケースであり、おそらく本来的には“できないことの多い”祐のような存在が圧倒的多数なのだろうと思う。

 いまここでそんな風に思う自分は––––。

 結局––––。

「日置くんが来てくれてよかったよ。本当に。航平もきっと会いたがってたから」

「だといいけど」

「ほんとだよ」

 と、史生はにっこり笑う。

 哀しい微笑みだった。

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