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「––––だからね。いろいろな曲が作れるっていうのは技術的には素晴らしいことなんだけど、でもそれだけじゃ武器にはならないわけさ。似たような曲ばっかり作っててもお客さんが集まればそれは商品として商売として成立しているわけだよ」

「歌手のエーコみたいな?」

「そうそう。エーコは僕には神がかったマンネリだと思うばかりだけど、でもエーコは“みんなが求めるエーコ”をちゃんとやってるわけ。彼女はリアルに音楽という仕事をやっているわけだよ。そこにいい意味での裏切りなんてのは必要ないわけ」

「夢がないなあ」

「食うためにエーコは必死だと思うよ。エーコだってもっといろいろな曲を作りたいってきっと思ってるはずだけどえてそれをしないで“エーコ”をやっているんだと思うよ。知らんけど」

 さっきから一志と丈は創作論議をしている。夢見がちな丈と違って一志の意見はあくまでもリアルだった。ちらほら就労経験があるとはいえほとんど社会経験というものを積んでいない一志ではあるが、いたずらに年を重ねてきたわけではない。小説を長年書き続けていながら三十九歳になったいまでは「小説家になる」ということはひたすらリアルな世界の出来事であるということを知っていた。

「細かい違いなんてファンの人にしかわからないし、大多数の“好きは好きだけど大好きではない”って人たちにわかってもらおうなんて考えてる方がそもそも傲慢ごうまんなんだよね」

「そうそう」

 と、創作活動をしたことのない直亮は知った風な顔でそううなずいた。

「エーコといえば海川さん大丈夫かな」話題をがらりと変えた一志に二人はなにも気にしなかった。「新曲出たけど、たぶん聴いてないだろうな」

「気が滅入めいってるだろうしね」と、丈。「いまはエーコどころじゃないっしょ。いくら大ファンとはいえ」

「おれなんか、家族なんて死ねーと思うけどね」

 そう言う直亮だが、いま親が亡くなってしまったら彼は大変なことになるのではないかと一志は思う。これまでB型の軽作業も続けられなかった直亮の場合、前々から話しているように最終的には生活保護を受給しながらグループホームで暮らすのだろうがそれにしてもそのタイミングがいまでは絶対にピンチにおちいるはずだった。

 しかし家族に対して思うところのある一志もそのこと自体はややうなずくところであった。

「まあ、直さんの意見もわからないでもないけどね。でもいまいなくなられたらやっぱり困るんじゃない?」

「まあね。でもおれは実家が太いから」

「羨ましい限りだ」

 ここでこういったことを話しているこのアラフォーのおじさんトリオは、健常者からすればどのように映るのだろうと一志はなんとなく思う。やはり精神の病気の三人組だ、と思うのだろうかと思うと、だからこそ自分たちには居場所が必要なのだとつくづく思う。実際、一志たちは“外”の世界では普通に振る舞うように心がけている。親に対して早く死んでほしいなどという話題を他の場所でしたりは決してしない。なぜかなど決まっている。

 普通にしていなければ差別されるからだ。

「海川さんは、やっぱり苦しいだろうな……」

 何気なくそう呟いた一志に二人は沈黙する。

「まあ、僕たちとしては、海川さんが気持ちよく働けるように努力しましょう」

「だよね」と丈。「オレも新しい歌詞作ったし」

「持ってきた?」

「今日は持ってない」

「残念」

「ここでこうやってやんややんや話してることも、海川さんになにか良い影響を与えるのかな?」

 と言う直亮に一志はちょっと首を傾げる。

「どうだろ。丈ちゃんのご意見をどうぞ」

「与える与える」

 無責任もいいところだが、しかし、一志もそう思っていたい。

 あるいは自分の恋も、誰かになにかの影響を与えるのだろうか、と一志は思う。

 一志はネットで出会った小説友達の女の子に恋をしているが、おそらくこの恋はうまくいかないだろうと思っていた。自分は就労支援A型に通っている身で、障害年金を受給しているから一人暮らしの生活自体はなんとかできているが、だがそこに社会人としての説得力があるとは思えなかった。しかしだからといっていま一般就労に勤めることは一志にとってかなりハードルの高いことだった。それは同じようにA型に通っている丈にとっても同じことだった。丈はいま特に好きな人がいるわけではないが、障害者の自分が健常者と恋愛関係に発展するとはどうしても思えていなかった。

 もちろん一志も丈も、自分の想いが届かないことが想い人からの差別だとは思わない。しかし、もしも自分たちが病気にならず健常者だったら話はきっと変わってくるのだろうと思うと憂鬱だった。

 だが––––例えば、航平のように天才的な何らかの才能を持っているとなれば、また話はきっと変わってくるだろうと思うと、一志はなんだかもやもやしてしまう。

 三人で談笑だんしょうする中、一志は心の中でため息をついた。この話は以前史生にしたことであり、史生にもそれなりの説明をしてもらったことがあるが、しかし障害の当事者である一志のこの暗い気持ちは晴れない。

 航平の凄さを思う。航平はちゃんと“何者”で、結果を出している。憧れの気持ちもあるし羨ましい気持ちもある。でも、だからといって“人生がうまくいくように神様が才能を与えてくれたんだね”とは思わない。病気は病気で、障害は障害であって、それはポジティヴに捉えることではない。しかし、世間様は航平の死と作品と障害とを絶対に関連づけるのだろう。

 そして自分や丈も、もしも夢が叶って成功したら、“そこ”がテーマになってしまうのだろう。ギフテッド。障害があるからこそできることがあるなどといって。それが要は、消費社会であるということなのだな、と思う。

 “障害は個性”。

 “個性を活かして誰もが輝ける社会に”。

 一志は思う。

 結局、障害者はどうにかして人の役に立たなければならないみたいだ。

 なんか、タルい。

 ––––それでも生活は、続く。

「売れているものがいいものであるっていうのは多くの人が勘違いしちゃってることなんだよね。それは資本主義的に成功したってことであって作品そのもののクオリティの良し悪しとは関係のない話なんだよ」

 一志はさっきまでの創作論議に話を戻した。自分は何者でもないし、何者にもなれないし、あるいは世界に虚無をもたらすなどという超現実的な力もなく、小説家にもしもなれたとしても文学の探究者などではなくあくまでも生活者として小説を書くのであろうことぼんやりと思う。そしてそれがもっとも自分にとって収まりがよいことであり、行き着く先に落ち着けたらいいと思っている。

 たとえそれが、妥協であったとしても。

 ––––あるいはこの考えも、誰かになにかをもたらすのだろうか。この話も史生にしてみたら、なにかがより良い形で変わったりするのだろうか。バタフライ・エフェクトという現象のことを知ってから、全ての物事はリンクしていると一志はそう考えている。もしも世界中のあらゆることを自分ごとだと捉えることができたなら、自分もこの世界に何らかの貢献ができるのではないか。

 それは自分に与えられているように思えるプレッシャーそのものだけれど、などとそんなことを考えながら、一志はこのサードプレイスたる地域活動支援センターの居心地のよさを堪能たんのうしていた。

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