2-6
「ただいまー」
史生が仕事を終え帰宅すると、居間にはジュースを飲んでいる航平と
「
微笑んで祐に挨拶をすると、彼はいつものように戸惑いの表情を浮かべながら返事をする。
「……こんにちは」
「なんだか久しぶりだね」
「はい。はい。そうですね」
祐は航平と同じ就労支援B型の利用者仲間だ。航平とは仲がよく、プライベートでも付き合いがある。思い返せば初日から航平は先輩である祐にいろいろと世話になっているらしい。姉である史生は祐にいつも感謝していた。
祐も知的に障害を抱えている。その重さがどれほどなのかまでは史生にはわからない。ただ、祐も自分と同じ三十二歳であり、その知能指数が百よりも相当低いのであろうということを推測するのは容易だった。実際、航平の遊び相手として祐はかなり波長が合っているようだった。航平と違って見た目の年齢はきちんと三十二歳だが、誰もが一目で祐に障害があることは即座に理解するはずだった。
知的障害者同士の人間関係がどんなものなのかは史生も勉強はしているが、むろん当事者ではないためはっきりとはわからない。だがおそらく、それは“普通の人間関係”とまるで変わらないはずだった。嬉しいことをされたら嬉しいし、嫌なことをされたら怒るし辛い。それは健常者の付き合いとなにも変わらないはずだった。
しかしこれは単純な一般化に過ぎないのではないだろうか、という気持ちもある。
「祐くん、ぼくの、絵のお祝いをしてくれるっていうんだよ〜」
「へえ、よかったね」
「うん〜」
「……」
史生は祐を見る。祐は縮こまっている。史生の登場で緊張感が一気に高まったのだろう。おそらく航平と二人でいるときは生来のおとなしさはあれど自然に会話していたはずだった。
航平の説明では、祐は仕事ができる方らしい。航平も別に仕事ができないわけではないが、祐の方がより上手であるらしいことはいつもにこにこと祐の話をしている航平の様子からなんとなくわかっていた。もっとも普段から他人に高い評価を与える航平だ。だから特別うまいかどうかまではわからない。
ただ見た印象だと祐は几帳面な性格で、だから
……自分と同じように、自分に航平のような突出した何らかの才能がないということも、ちゃんとわかっているのだろうな、と、思った。
ダメだ。あまりいいテンションではない。
「じゃあ、私は部屋にいるから、用事があったら呼んでね」
「は〜い!」
「……」
そして史生は自室に戻る。
いつもの指定席である黄色いクッションの上に座り、史生はタバコを吸い始めた。
「……」
祐は航平の絵が受賞したことを自分と同じように喜んでいる。だが、自分と同じように複雑な感情が
その“自分にできること”が、おそらく祐の場合は航平と違って普段の日常生活とB型の仕事で精一杯のはずだった。
しかしその点では自分となにも変わらないな、と思うと、いろいろなことを一般化して考えてしまう自分は、福祉の勉強をしている身としても、やはり凡人なのだなと史生は苦笑した。
祐の夢や将来の展望を史生は聞いたことがない。
だがおそらく、それは叶わない。
例えばそれが将来なりたい職業というものであったとしたら、おそらく、祐の願いは叶わない。
そう思う。
はあ、と、煙を吐きながら史生はため息をついた。やっぱり航平の受賞の連絡をもらったときから自分は航平にあまり気持ちのいい感情が芽生えていないことをはっきりと自覚していた。喜びも愛もあるからこそ複雑であった。
それでももうちょっと自分と向き合ってみようと思った。醜い感情と真正面から向き合うことでそこを改善できる気がした。買ってきたペットボトルの烏龍茶を飲みながら、煙草を吸いながら、史生は“自分がいまなにを考えているのか”をちゃんと把握しようと試みた。
サヴァン症候群。
例えばHSPという考え方がある。生きづらさを抱えている人たち。人口の何パーセントだかはそういった性質を持っている。そういう人は世間に、社会にうまく馴染めない。それは生まれつきのもので、努力の力でどうにかできることではない。普通の人が普通にしていることが普通にできない人たち。
だからこそ、特別な才能を持っている。
そんな物語性をもって語られるHSPという概念に史生はいつも吐き気を覚えていた。
障害があるからこそ代わりに何らかの才能を持っているというのは一見未来があるように思える。だが、それは科学的ではない。長所は長所であり、短所は短所であり、それらは独立して存在している。なにかが欠けているからこそなにかが充足しているというのは物語としては美しいかもしれないが、しかしそれでは障害受容はできない。それでは、最も苦痛を感じるところの、自分自身の障害を受容するということを避けてしまっている。それはあまりにも残酷なことだ、と史生は思った。
更に考える。ポリティカル・コレクトネスの用語で障害のある人のことをチャレンジドというそうだが、誰が言い始めたのか知らないがその名付け親は障害者に絶大な期待でもしているのだろうかと思うと遠い外国の誰かに対して史生はいらつきが止まらなかった。
そんなもの、本人の意思で挑戦しているわけではないのに。
そして––––障害者がそんな挑戦をしなければならないのは、そもそもいまの社会に不備があるからなのに。
“障害は個性”。
“個性を活かして誰もが輝ける社会に”。
––––“せっかく障害があるのになにもできないだなんてもったいない”。
結局、誰もが大なり小なり似たような“期待”を障害者に抱いているのだろうか、と思うと、史生は憂鬱だった。そして自分だって結局“大なり小なり”そんな思い、願望を抱えてしまっているのかもしれないと思うと、史生は自分でも自分の本音がよくわからない。
「みんながのんびりと過ごせたら、いいんだけどな」
タバコを揉み消しながら史生はひとりごつ。烏龍茶を飲み干し、史生はクッションの上で寝転んだ。
「受賞は、嬉しいのよ」
またしても一人でそう呟き、史生は目を腕で覆った。
嬉しいのは、嬉しい。
それと複雑な感情は、両立する。
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