トカゲの夢

武上 晴生

忘れたくない

電車から起きると、トカゲがいた。

柵の向こうで固まっているのが見えた。

そのトカゲはまるで動かない。

向こうの景色を見て止まったままだ。

私は少しずつ柵に近づく。

すばしこいはずのトカゲだが、気づかないのか、やはりかたまったままだった。

私はトカゲに興味を持った。帰ったらその名前を調べるのもいいと思った。

スマホを取り出し、トカゲから目を離さずにカメラが起動するのを待つ。

トカゲはおとなしくしていた。

パシャリと音を立てて写真が撮れる。反応するのは人の方だった。

人目を無視して、私はしゃがみこむ。

トカゲと同じ、とまではいかないが、近しい視線になった。

何かを感じる前に私はまた一枚撮った。トカゲは動かなかった。ほっと一息ついてカメラから目を離す。

トカゲの背中は堂々として、凛々しい。

緑の葉っぱは光を受けてうすく輝いていた。

私はこれをいつも味噌汁に入った昆布のようだと思う。

または、CGでモノを作るときに、この透けた感じを出すためにオブジェクトをわずかに発光させることがある。もしこの葉をつくるなら、私は葉の発光させるための数値を少し上げるのだろうと思う。

トカゲは動かない。やっぱりトカゲの名前を知りたくなった。私はトカゲの種類は全くの無知だった。ヘビならアオダイショウやマムシなど知る名前もあるが、トカゲは何も出てこない。青く光るトカゲとそうでないのがいるのだろうくらいしか分からない。

すばしっこくてすぐ逃げてその長いしっぽの先が隙間に消えるまで一秒もかからない。普段はその背中の峰すら拝むことができない。

顎を開けたとき口の端が水かきのようにやわくて薄かったり、体より大きいものを飲み込める映像を見た記憶はある。

目の前にいるトカゲは青色ではなかった。ただ単色。コンクリートに土をまぶしてやはり少し発光させたような色で、影が地面とトカゲを分ける。

私は再びトカゲの見る先を見る。

小さな石ころの群、覆いかぶさる葉の向こう、光の中に街がある。

こことは一線を画した、同じ世界でないものがある。

きっと草を抜けてもそこには辿り着かないのだろう。私が見る宇宙のように遠い存在。

光の先にはそれがあった。

トカゲはぴっと横を向いた。私は我に返り戻し固まった。

トカゲの視界の広さは分からないが、その目に私が映るように思えた。

初めて認識された。

お互いに固まったままだった。柵をまたいでトカゲと人の大きな壁を感じた。

トカゲの目にうつる私の色を想像した。

風がふく。トカゲはするりと段差の奥へ消えた。

最後に見えたしっぽをよく覚えておこうと思った。




幾日か過ぎて、バイト帰りにあの草むらを見た。

そこに草はなかった。

見えるのは奥に駐車場。

違う場所に来てしまったのかも、としゃがみこんで、遠くを見た。

そこには町があった。夜の中で光っていた。

僕の足の延長線上に、駐車場とおんなじ色の、家々だった。

この足元に草の匂いはない。トカゲとここで出会うことはもうない。

こうして生き物を忘れていくんだ。

コンクリートに打ち付けられた事実がひたすら虚しくって、涙も出なかった。

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トカゲの夢 武上 晴生 @haru_takeue

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