第15話 ステータスはバランス良く育てておけ。

 

 俺は自分でもびっくりするほど機敏に動いた。すなわち美女とはまったく逆の方向に向かって思い切り飛び退いた拍子にベッドから落ちて頭を打って床に倒れ伏したのだ。


「うっ、ぐおぉぉおおおおお……っ!」

「床の上をお好みとは、物好きですのね」

「ひえっ!」


 喉の奥から変な声が出た。いや、唐突に美女に馬乗りにされたら誰だってこうなるだろ?! なんか柔らかくて温かいのが腹に押し付けられていて――

 ――咄嗟に両手で顔を覆った。


「1,3,5,7,11,13,17,21……」

「21は素数じゃありませんわ」

「えっ、あっ」

「あと19を抜かしましたよ」

「マジで?」

「ウフフ、面白い方」

「ひっ……!」


 真っ白くて美しい手が俺の両手首を掴んだ。そのあまりの冷たさに身が縮む。

 美女は妖艶に微笑んで、俺を覗き込むようにした。……なんか、日中と雰囲気違くない? 清楚な感じだったのが掻き消えて、魔性の女感がやべぇんだが……っつーか俺の貞操がやべぇんだが!

 とか言いながら谷間の方へ視線がいっちゃうのは仕方ないよなぁっ?! 襟ぐり広すぎるんだよ!


「そんなに硬くならないでくださいまし。すぐに気持ちよくなりますわ」

「う、あ……」


 真っ赤な舌が真っ赤な唇をぺろりと舐めた。

 顔が近付いてくる。

 俺は慌てて暴れた――が、無駄だった。何この人、力つっよ、びくともしねぇ! この世界ではみんな筋力に極振りがデフォルトなのか?!


「クスクスクス……」

「ひぃっ」


 香水の甘い香りが鼻に詰まる。どんどん大きくなっていく金色の瞳を見つめていられなくて、俺は目を瞑った。これもう駄目だ……終わった……。サヨナラ童貞、オシマイ聖男ヒジリオ、今度はしっかり聖女を呼べよ……――


 ――冷たい唇が触れた。


 瞬間。


「ギャアアアアアッ!」

「っ?!」


 美女が突然金切り声を上げて飛び退いた。


「えっ、なに? なにっ?!」


 困惑したが、とりあえず拘束は外れた。ずるずると窓の下にまで後退する。

 その時、バンッと扉が開かれて、ハンクスが飛び込んできた。


「何事だ?!」

「ハンクス!」


 よっしゃとりあえず助かった! この美女が何であれ、これで俺の貞操は守られた!

 ハンクスは軽々とベッドを飛び越えて、美女の前に立ちはだかった。ひゅ~カッコイイ! 騎士様! さすがッス!


「魔物のにおいがするな……」

「貴様……貴様ぁっ!」


 俺は息を呑んだ。

 目の前で美女が――美女だったはずの人間が、バキバキと音を立てて変化していく。


 コウモリのような真っ黒い翼が背中に生える。

 ワンピースが体にめり込むようにして皮膚と一体化した。

 バチンッ、と鞭のようにしなって床を打ったのは細くて長いしっぽ。

 美貌だけはそのままで、唇の端から青い血を流しているのすら艶っぽく見えた。


 が、明らかに怒った顔で俺を睨んでいる。


「ふんっ……男になってくれたから、ようやく私が直接篭絡してやれると思ったのに!」

「え……」

「こんな強い加護があるなんてね……さすが、腐っても“聖女”ってことかしら」


 美女――改め、分かりやすい“悪魔”は、ニッコリと(ブチ切れてる笑顔で)笑って、切れた唇の端をぺろりと舐めた。真っ赤な舌の先が鋭くとがっているのが見えた。こわっ。


「いいわ。篭絡できないなら殺すまでよ」

「えっ、ちょっ」

「俺の前でそんなことが出来ると思っているのか、悪魔?」


 ハンクスがすらりと剣を抜いた。素人目にも、ぜってぇ戦いたくねぇと思える完璧な構え。よっしゃ、やったれハンクス!

 そして彼は有無を言わさず踏み込んで剣を振り上げ――


「きゃあ、こわ~い」


 ――悪魔のウインクをくらってピタリと硬直した。


「乱暴はダ・メ・よ。――んっ」

「はうっ」


 続けざまに投げキッスをくらったハンクスはあっさり剣を落とした。ばたりと崩れ落ちて、床の上でぴくぴく震えている。耳まで真っ赤に染め上がっているのがよく見えた……。


 ……俺はふと、神官どもの言葉を思い出した。


『さっすが、魅了耐性ゼロのハンクス様!』


「おいこらハンクスぅぅううううううっ!」


 これだから攻撃力極振りの精神異常耐性最弱パワーファイターは!


「うっふふ、他愛ないわ。ヒジリオの守護も大したことないのね」

「ハンクス! しっかりしてくれよ! 頼むから、なぁ!」

「あなたもこれぐらい可愛げがあったらよかったのに」

「ちょ、待っ、待って、待ってくれ、俺……」

「さよなら、ヒジリオ様。良い夢を見させてあげられなかったのは本当に、本っとぉ~に残念だけど!」

「待っ、うわあああっ、がっ――」


 尻尾がぐるりと首に巻き付いてきた。指を挟む間もなかった。

 ギリギリと締め上げられる。


「う……あ……」


 意識がズンズン遠退いていく。


 これは――駄目だ――終わった、マジで終わった――



 パンッ



 霞がかった意識の向こうで、ガラスの割れる音が聞こえた。


 

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