第12話
凛之助が目を覚ますと、落ち着いた雰囲気の西洋様式の部屋が広がっていた。
黄色を基調として整えられた家具は、そのどれもが一目で高級品だとわかるほどに質の良い。
今彼が寝かされている大きな天蓋付きの寝台なぞまさしくで、温かな綿雲に包まれているかのような寝心地である。
『んにゃ……ぷファー……』
隣にはだらしなく大口を開けて寝ている戌子がいた。
寝ずの看病をしてくれていたのだろう。
上体を起こすと、身体には清潔な包帯が巻かれていた。
折れていた右腕にも当て木がされて丁寧に手当てがされている。戌子と言葉家の人たちが手当をしてくれたようだ。
(ずいぶんな失敗をしたな)
自分の未熟さに溜め息を吐いて、凛之助は眠る戌子の頭を撫でる。
今回の失敗はどう考えても戌子を庇ったのが原因だった。
式神は本来の姿を霊体とし、式神符に宿ることで実体を得る。
あそこで戌子を見捨てたとて依り代の式神符が破れるだけで、もう一枚の式神符を使えば再召喚できるのだ。
見殺しにしたって戦いにさしたる影響はなかった。
頭では理解している。
式神は道具でしかない、消耗が効く手足の代わりでしかないと。
だがどうしても、凛之助には戌子を犠牲にすることはしたくなかった。
戌子は特別な式神だ。
凛之助にとって唯一無二で、一心同体で、以心伝心の家族なのだ。
たとえ死なないとわかっていても、見捨てたり、犠牲にしたりするなんて、とてもじゃないができっこない。
そんなことをするくらいなら、自分が傷ついたほうが何倍、何十倍、何百倍もマシだった。
(今回の事件、まだ解決には遠いな。もっと、力をつけねば)
撫でる手を止めて、窓から外を見る。
朝霜がこびりついた硝子の向こうで、街が活気を帯びて動き始めていた。
「失礼します……ああ、良かった! お目覚めになったんですね!」
凛之助が起きてから数分ほど経った頃。
いくらか顔色の良くなった幸子と狩ヶ瀬が部屋にはいってきた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。その上に、このような醜態を……」
「いえ、そんな! 赤城様はご立派でした。窓から見ていましたが、少々、その……過激な戦いでしたけれど……とても、恰好良かったです」
凛之助が頭を下げると、幸子は赤サソリの変貌と最期を思い出して怯えたように右手を胸の前で握って青ざめた。
が、すぐに嬉しそうな顔になって微笑んだ。
凛之助は得も云われぬ感情に突き動かされて衝動的に口を開きかけたが、すんでのところで黙って次の言葉を待った。
「今回は、本当にありがとうございました。おかげで、今夜はぐっすりと眠れそうです」
「私たちも、安心してお嬢様への奉仕に専念することができます。本当にありがとうございました」
幸子が嬉しそうに微笑む。狩ヶ瀬も安心した声で礼を云う。
対して凛之助は、自分の感情をごまかすために、ふたりに冷や水を浴びせるみたいに否定の言葉をぶつけた。
「いえ。事件はまだ、終わっていません」
「……それは、何故?」
「詳しく話しますと、専門的な言葉が多くなってしまうので省きますが。どうも今回の一件には裏があるようなのです」
「裏、ですか」
不安と疑問で顔を陰らせる幸子と狩ヶ瀬に、凛之助は慮ったふうもなく無表情で淡々と説明する。
「今回、言葉幸子様を襲撃した外道師ですが、何かしらの組織とかかわりがあったと思しき、怪しい点がいくつかあります。その組織がある限りは、まだ平穏にはほど遠いかと」
「また、狙われる可能性があると……?」
「はい」
「そんな!」
困惑した幸子の問いに頷くと、狩ヶ瀬が大げさに絶叫めいた声を上げた。
これ以上も幸子に危険が迫るなんて信じたくないようだった。
だが残念なことには真実だ。
赤サソリの言動から外道師の組織がある可能性。
謎の金属片によって人が怪異に成る現象。
そして、突如として現れた謎の女。
あまりにも不審な点が多く、解決と云うには判然としない。
多くの疑問が残った今回の襲撃は、何か大きな事件のきっかけに過ぎないのではないかと凛之助は考えていた。
「今後も外道師による襲撃が予想されます。守りを堅め、情報を集める必要があるでしょう。……この屋敷はあまりにも広く、霊的な防御もないため侵入が容易い。一時的に坂口霊能事務所に移り住むことを推奨します」
ゆえに、この提案だった。
坂口霊能事務所はユザレの窓口であると同時に、凛之助の根城でもある。
霊的な防御力ならば帝都のどこよりも堅く、安全で安心できる環境だ。
この屋敷よりはだいぶ手狭ではあるものの、幸子の身の安全を考えればこれ以上にない場所だろう。
他意はない。
そのはずだった。
「……わかりました」
しばしの沈黙の後、幸子は右腕を抱きながら頷いた。
住み慣れた屋敷を離れることになるのは少々不安だが、またぞろあんな化け物に変身できる外道師の襲撃されては、家族や屋敷で働いている者たちに危険が及んでしまう。
誇りある言葉家の女としては、良しとするところではない。
それに、凛之助という存在にも興味があった。
自分と似た何かを持つ少年に、もっと近づきたいと思った。
「狩ヶ瀬、下女たちに私の荷物をまとめるように云っておきなさい」
「し、しかしいきなり、これはいささか話が急ではありませんか……」
「お父様には私から話しておきます。私ひとりのためにこれ以上もお父様のお手を煩わせるわけにはいきません。私だって言葉家の女です。お父様の権力に頼ってばかりの、箱入り娘ではいられないでしょう。自分の身は、自分で守ります」
「幸子お嬢様……」
心配した様子で眉尻を下げる狩ヶ瀬に、幸子は毅然として云い放った。
外道師から彼女を護るのは凛之助なのだが、生まれてこの方莫大な権力を保持する親の庇護下にいた令嬢からしてみれば、危険を顧みずに屋敷を出て別の場所に住む事自体が一大決心になる。
彼女の云い回しはそれを決断するだけの強い覚悟が宿っている証左なのだ。
「坂口霊能事務所へは、いつから住めば良いのですか?」
「欲を云えば今日からですが、準備もあるでしょう。明日にでも坂口霊能事務所にお越しください。それまでは女性の陰陽師が見張りをするよう、ユザレに手配しておきますので」
「わかりました。……しかし、怪我のほうは」
「この程度の怪我ならば、もう治っています。当方は陰陽師であれば、治癒の術も修めておりますゆえ」
右腕の包帯を解いて動かして見せる。
完全に折れていたはずの右腕がまるで何事もなかったかのように滑らかに動いたので、幸子たちは驚きに目を見開いた。
「す、すごい……ですが、あんな大けがをしたのですから安静に……いえ、護ってもらう立場の私が云えることではありませんね。どれほどかかるかわかりませんが、よろしくお願い致します」
「幸子お嬢様を、どうかよろしくお願い致します」
「はい」
折り目正しく礼をした幸子と狩ヶ瀬に、凛之助は小さく頷いた。
『ふがっ!』
不意に、戌子が奇妙な声を上げる。
鼻提灯が弾けたみたいにパッと目覚めた彼女は、寝惚け眼でむくりと起き上がると、凛之助の顔を見て飛び起きるなりぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。
『んぁ~……? りんのすけぇ……凛之助!? おお、おおおおおお! 無事か!? 怪我はどうじゃ!? まだ痛むか!? ってか生きとるか!?』
「生きてるよ。……傍にいてくれてありがとう、戌子。おかげでよく眠れたよ」
『もう! もおおおおおおおお! おぬしと云うやつはまったく無茶ばかりして心配ばっかりかけおってからにいいいい! この大バカ者めえええええ!』
「わ、悪かった、悪かったからそんな泣かないでよ……」
『無事でよかったのじゃああああああ!』
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしておんおんと泣く戌子に抱き着かれ、凛之助は嬉しいような困ったような表情を浮かべて戌子の頭を撫でる。
しかしすぐに幸子と狩ヶ瀬がいたことに気が付いて、わざとらしい咳払いで表情を元の無に戻した。
「仲がよろしいのですね」
「お恥ずかしいところを」
「いえいえ。むしろ良いものを見させてもらった気分です。……心の底から、信頼し合っているんですね」
微笑ましいものを見る眼の幸子に云われて、凛之助は拗ねるみたいにそっぽを向いた。
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