第11話
しかしいくら五行の術を得手とする凛之助といえど、その力を最大限に発揮するには相手の属性を知る必要がある。
ゆえに相手の属性がいまだわからぬこの状況は、彼にとって絶体絶命に等しい。
反撃の糸口を掴むには、まず相手の属性を当てねばならなかった。
(赤サソリとやらにいいようにあしらわれて、油断したな凛之助。さてどうする)
喀血の混じった咳を煩わしく感じつつも、打開のために瞳を閉じて思考を巡らす。
夜と、混沌。
どちらも人の眼を曇らせ、晦ませるもの。
五行五官においては目とは、すなわち木の属性!
五行の関係においては金の属性が相克となり有効になる。
だがもし間違えば相克は発生せず、それどころか相乗によって力を与えてしまう結果になりかねない。
もしもそうなってしまえば、自分だけでなく背後の屋敷にいる幸子にまで被害が及ぶ。
帝都守護任陰陽師の誇りに賭けて、それだけは避けねばならない。
「お前を殺して、あの令嬢も贄と捧げてくれよう!」
赤サソリが雄叫びを上げ、戌子もろとも凛之助を轢殺せんと両腕を振り回しながら突進してくる。
「り、凛之助……!」
戌子が凛之助を護るようにしがみついて、恐怖と迫り来る痛みにぎゅっと眼を瞑る。
帝都守護任陰陽師もこれにて終いよ、と赤サソリが勝鬨を上げた。
あわや、命運尽きるか。
(ええい、ままよ!)
否! 赤城凛之助はこれにて死なず!
カッと目を見開き霊力を練り上げた凛之助は、呪言を紡いで一枚の呪符を抜き放つ。
「陰流・金氣廸軛(きんきじゃくやく)浄剋界!」
現れたるは白耀の光壁、金の属性を帯びた結界が赤サソリの巨躯を受け止める。
衝突は地鳴りもかくやに言葉邸の全域を震わせた。
赤サソリが放った死の一撃は、結界をことごとく破壊していた。
されど、苦しみ喘ぐは凛之助にあらず。
「な、ぁ……ああああああああああああああああッ!」
耳障りな悲鳴を上げて、赤サソリが頭を押さえてたたらを踏む。
相克したのだ。
金の結界が彼が持つ木の属性を打ち消し、逆撃となって強烈な手傷を与えたのだ。
「は、はぇ……な、何があったのじゃ?」
「金剋木、金属は木を伐り滅ぼすものなり!」
「り、りんのすけ~!」
何度も名前を呼びながら泣きじゃくる戌子の頭を撫でながら、凛之助はすでに反撃の段取りを考えていた。
相手の弱点がわかった以上そこを徹底的に突くのが戦の定石なれば、金の属性を以って赤サソリを倒す。
百の不利が九十の不利になったようなものだが、帝都守護任陰陽師たる彼にかかればどうということはない。
「な、何かよくわからんが苦し紛れだろう……お前はもう終わりだああああああああ!」
「いや、終わるのはお前だ」
左手で祀狼丸を地面から抜き取り、切っ先を赤サソリに向ける。
白刃に映る凛之助の双眸が冷酷な鋭さを放ち、にわかに赤サソリは息の詰まらせた。
「陽流・応鋼活覇(おうこうかっぱ)浄生陣……力を貸せ、戌子」
「応! 仕返しの時間なのじゃ!」
「ぐくっ! し、死ねええええええ!」
呪符から放たれた白い輝きがふたりを包む。
金の属性が、ふたりの身体に宿った。
赤サソリが腰を低く構え、あらゆるものを轢殺する突進を放たんと構える。
凛之助も戌子と瞳を合わせて頷き合い、痛みに震える左腕で突きの姿勢を取る。
次の瞬間、獣の雄叫びと共に地面が爆ぜ飛び、練り上げられた一撃が凛之助へと叩き込まれた。
放たれた死の突進は、ふたりの身体を粉微塵するのには十分すぎる速度で、満身創痍の凛之助には防ぐも躱すも叶わない。
だが、凛之助は。
「祀霊忠技殺法──」
付き従う戌子が彼の身体へと溶け込み、すべてを突き穿つ牙として宿っていく。
全身から練り上げられた霊力が、研ぎ澄まされた輝きとなって身体を包み込み、やがて餓狼と見違うほど獰猛な獣の形を作る。
普段は鉄仮面の下に秘められた心が、正義の炎に燃え上がっていた。
守るべき牙無き人々の明日、それを脅かすものを凛之助は何人たりとも許しはしない。
悪しきに屈せず、己が高きに順うべし。
胸に秘めた師の言葉、その志が、今まさに幾多の閃光となって迸る。
「──狼牙穿鋼破(ろうがせんこうは)!」
地を割るほどの力強い飛び込みから、閃光の如く突き出された左腕が瞬く間に空を奔った。
祀狼丸が唸りを上げた。
一瞬のうちに繰り出された剣先が螺旋を描き、白銀の渦となって巨躯を飲み込む。
一瞬の交叉、両者の位置が入れ替わる。
「急所は、外した……!」
血塗れた切っ先を止めた凛之助が呟くと同時に、大量に噴き出したおどろおどろしい血の赤が彼の身体を染めた。
ほんの刹那のうちに十、いや二十はくだらない数の刺突を受けた赤サソリは、声を上げることもなく地面に倒れ伏した。
言葉通り奇麗に急所を外して全身を穿たれたその様は、凄絶の二文字を体現しているかのようであった。
「ば、かな……」
絞り出した声で赤サソリが呻く。
あまりの痛みに視線はおぼつかず、呼吸すらまともにできない。
半開きで口を強張らせて、喉に詰まった血を吐き出そうと懸命に喘いでいる。
敗北の二文字を前に、彼はただ呆然とするしかできなかった。
「聞かせろ」
赤黒い霊力が身体の各所から噴出し、赤サソリの姿がひとのそれへと戻る。
何かの金属片が空しい音を立てて傍に落ちた時、祀狼丸の切っ先は赤サソリの目と鼻の先にあった。
「あれはなんだ。なぜ人の身でありながら怪異になれた。話せ」
凛之助が低い声で問う。
赤サソリの額に大量の冷や汗が滲んでは流れていく。
顎から零れた雫が血溜まりに落ちて、小さな水音を立てたのがわかった。
そうして無言のまま、一秒、二秒と経った。
「う、うああッ!」
突如赤サソリが最期の力を振り絞って右腕を振り上げ、右袖に隠していたデリンジャーを取り出した。
小口径とはいえ銃だ、急所に当たれば死ぬ。
手負いの上にこの至近距離ならば避けられまいと、敗北を認められぬ心で一抹の望みに賭けた。
もちろん、そんなこけおどしが凛之助に通用するはずもない。
「無駄じゃ」
凛之助の胸元から飛び出してきた戌子の両手が、赤サソリの頭をがっしりと掴んだ。
「ようもやってくれたな……報いを受けよ!」
憎しみの表情を浮かべる戌子は、凛之助の身体から分離すると、赤サソリの頭を持ち上げて力任せに身体から頸椎ごと頭を引っこ抜いてしまった。
投げ捨てられた首無しの身体から、大量の血液が噴き出す。掲げられた頭が戌子の握力で真っ赤な果実と弾けて、血の雨を降らせた。
「伏魔滅殺」
「御粗末! なのじゃ!」
戌子が邪悪な霊力の塊を飲み込み、顔についた血を舐め取る。
美女連続猟奇殺人犯、赤サソリ。
彼の最期は、自身の犯行に勝るとも劣らない凄惨なものであった。
「くっ……」
「大丈夫か凛之助!? 傷を見せるのじゃ! はよう治療せねば死んでしまうのじゃ?!」
「ちょっ、戌子……いててて!? ち、血塗れの手で触らないでくれ……」
疲れに膝を突いた途端、すぐに寄ってきて傷ついた身体を触ってくる戌子に苦笑いを向けて窘めた凛之助は、改めて無残な赤サソリの死体と傍に落ちている金属片を見た。
(情報を聞き出せなかったのは……いや、元はと云えば俺の失策だな)
本当なら赤サソリから犯行動機などの情報を聞き出せるはずだったが、凛之助自身の甘さが祟って機を逃してしまった。
手痛い失敗だが、手がかりが残っているだけまだマシか。
あとはユザレに死体の検分をしてもらい、金属片はまた坂口のほうに調査を依頼して結果を待つことになるだろう。
そう考えたのも束の間、突如。
「It seems Japanese wizards were not as good as they thought they were?」
「っ!?」
不意に割ってはいって来た見知らぬ女性の声に、凛之助はハッと顔を上げる。
機関街灯に照らされた霧の先で、碧い双眸が揺らめいていた。
「何者だ……」
「よもや外道師の仲間か!」
「さて、どうかしらね」
くすりと笑った女は、わざとらしく靴音を響かせて赤サソリの死体の横に立つ。
そこで初めて、女性の全容が明らかになった。
霧に溶ける白金色の長髪に、純白のドレス。
群青色をしたマントの隙間から覗くのは、見合わぬ武骨な鈍色を発する蒸気機関で動く右腕。
帝都で噂される浅草に現れる美しい白髪をした私娼の話が、にわかに脳裏を掠めた。
「はぐらかさずに云うのじゃ、外道師め! 今なば半殺しで許してやるぞ!」
「あら、そんな怖いことを云うなんて悪い仔ね。お姉さんブルッちゃうわ」
凛之助は背筋を這いまわる悪寒を御するのに苦労した。
もしこの女が赤サソリの仲間だとするなら、ここで襲われたら最期、おそらく相討ちにもならないだろう。
辛うじて不意打ちでどうにか手傷を負わせて退却させられるかどうかだ。
凛之助は初めて、陰陽師として自身の敗北を考えた。
「美女連続猟奇殺人鬼ここに死す、最後勝つは正義なり。って感じ? 三文雑誌のネタには十分かしら?」
友人に話しかけるような気さくな問いかけに、凛之助は答えを返さなかった。
立ち位置がわからない相手の調子に合わせてやれるほど、凛之助は器用な性格をしていない。
ただ女性に最大限の警戒を向け、命を懸けた逆撃用の呪符を用意して静かに機を待っていた。
「……gutted」
つまらないとでも云いたげに鼻を鳴らした女性は、死体の横にあった金属片を真っ白な左手で摘まみ上げる。
「あ、コラ! それに触れるでない!」
咄嗟に戌子が声を上げて飛び出す。凛之助が待てと云いかけて口を開く。
が、伸ばした小さな手が女性に触れることはなかった。
「おっと」
熱が吹き抜けて、凛之助の前髪を揺らす。
「なっ……!」
戌子が気付いた時には、すでに女性は凛之助の背後に回って、金属片を機関街灯の明かりに翳して観察していた。
戦慄と驚愕に戌子は言葉を失って口を閉じることができなかった。凛之助ですら我知らず唾を飲んだ。
気付けなかった。
最大限の警戒していたにもかかわらず、背後に回られたことを知覚できなかった。
やはり侮りがたい相手だ。
敵ならば何としても、刺し違えてでも殺さなければならない。
凛之助は改めて決意して身構えた。
「hmm……残滓からしてartifactの一種かしら。あの赤ナントカの様子からして、ただの欠片ってわけじゃなさそうよね?」
慄然とする凛之助と戌子を他所に、女性は手の内で金属片を弄んでいた。
人差し指ほどの大きさをした金属片は、元の形がわからぬほどにひしゃげている。
女性の言葉からして、邪悪な霊力の残滓が微かに感じられるらしい。
「それにしても。人を怪異に変えるなんて、なかなか面白い発想よねぇ。わざわざ化け物に変身するなんて、人間の発想とは考え難い。ね、坊やもそう思うでしょう?」
「……どうするつもりだ」
「そう、警戒しないでちょうだい。お姉さん、わる~い人じゃないんだから」
対して女性はこう嘯くとさもおかしそうに笑った。
人見知りの子供に云い聞かせる気楽さであった。
けれど次にはすぐに顔を真面目にして凛之助に忠告めいた言葉を投げかけた。
「このことは忘れなさい。坊やにはまだ早いから」
「どういう、意味だ……?」
「き、急に何様のつもりじゃ!」
「この程度の相手に苦戦する子供が、裏の世界に首突っ込むなって話よ。こっから先はR18指定ってワケ。今回のことは犬にでも?まれたと思って忘れなさいな」
有無を云わさぬ雰囲気で告げた女性は、金属片をポケットにしまい込むと一歩下がって距離を取り、霧に溶けて消えていく。
「ああっ! 待て、待つのじゃ!」
慌てて戌子が追いかけるも、そこにはもう、誰ひとりの影もなくなっていた。
辺りに視線を巡らせて敵影がないことを確認すると、凛之助はふらりと地面に倒れた。気力で保っていた意識の糸が、ぷっつりと途切れてしまったのだ。
(まだ、未熟か……)
暗闇に落ちていく意識の中で、戌子の声だけが聞こえた気がした。
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