三.その男、力の片鱗をみせる
「…………退魔の札を拳に貼って殴るおなごとは、なんと野蛮な奴よの」
座していた岩から転がり落ちた男が、痛みに呻きながらも岩に手を付き起き上がった。
殴られた腹に手を添えながら、岩に寄りかかる。
「ふんっだ。あんたが女子の身体を舐め回すように眺めるから、あたしのグーパンが飛んでくのよっ」
対する彼女はふんすと鼻息を荒くすると、白い紙を貼り付けた拳を見せ付けるように、勢いよく男の前へ突き出した。
その紙には退魔の文句が書き記されており、男にはその文字列に覚えがあった。
「――……お主、陰陽師か」
金の瞳を忌々しげに細め、彼女を
しかし、当の彼女はきょとりと瞳を瞬かせると、違うと首を左右に振った。
「妖に狙われる日々から脱却しようかなって、自衛のために女子力身につけようと思って、お師さんに弟子入りしたの」
それがたまたま陰陽術とやらだっただけだ。
拳に貼り付けた札をぺりと剥がしながら、彼女はため息をもらす。
そのため息には、多分の疲れがはらんでいる気がした。
「あたしってさ、小さい頃から何かしらから目をつけられることが多くてね。小物は逃げてくんだけど、大物は逆にあたしのこと捕まえようとしてくんの」
「ああ、なるほどの。お主、霊力が並以上に高いゆえ、その味も美味かろうからな」
男がその極上だろう味を想像して舌なめずりをすれば、彼女は懐から新たな札を取り出し、彼の前にちらつかせる。
男は反射で腹を庇い身構え、池ではぼちゃんと、慌てた様子で何かが底へと引っ込んだ。
男の金の瞳に警戒の色が滲む。
「お主、ばちばちと雷の如きに霊力迸るその札で、私を滅せよと師から言われて来たのかえ」
男の手の平に焔が浮かび上がせるが、彼女に慌てる様子も身構える様子もなかった。
ただ彼女は、また首を左右に振るだけ。
「お師さんから人喰い妖なら退治て来いって言われたのは確かだけど、べつにあんたを退治しろとは言われてない」
「では、何用でここへ来た」
警戒を強める男に、彼女は札を懐へしまって言った。
「人喰いなら滅せないとだけど、あんた、人喰いじゃないじゃん? ただ、人の精気をつまみ食いしてただけで」
*
岩に座した男は懐手をし、ふんっと鼻を鳴らした。
「私をそこらの妖と一緒にするでない。人を喰い散らかすような、品のないことはせぬ」
「喰い散らかしてはないけど、つまみ食い散らかしすのも迷惑なんですけどねぇー??」
彼女は男へ据わった目を向けたが、はあと嘆息を落として話を戻す。
「……話を戻すけど、つまみ食いしてただけで滅するまではしないよ。そんなことしてたら、あたし達の仕事増えるだけだし」
「お主らは忙しいの」
男はくっくと喉奥で笑い、愉しげな色を宿した金の瞳を細めた。
彼女は眉をひそめ、無言で懐から札を取り出す。
そこから雷の如く迸る霊力に、男はさっと表情を戻して目を逸らした。
「あんたらが人にちょっかいかけ過ぎってことでしょ。あんたらはあんたらの領域で暮らしてればいいのに」
うんざりとした彼女の言葉に、男がぴくりと反応し、ゆっくりと彼女を見やる。
彼女に向けられる男の眼差しが――急激に冷えた。
男の瞳に宿るその色に、今度は彼女が身構える。
男はゆったりとした動きで口を開いた。
「そういうお主らは、この私を封じたではないか。ただ私は、ここでのんびりと暮らしていただけというに」
刹那。周囲の空気が変わる。
あれだけ鳴いていた、しゃわしゃわというけたたましい蝉の声――それがふつりとやんだ。
ぱりっと空気が張ったかと思えば、彼女は急激な温度の上昇を感じ取る。
汗の粒が頬を伝い、首筋を滑っていく。それが幾粒も。
これは容赦のない夏の日差しのせいだけではない。
雑木林の開けた場所ゆえに、日差しを遮る木々の枝葉がないせいでもない。
彼女は男を睨めつけた。
男からは陽炎が立ち上り、夜色の着物が尾ひれのようになびいている。
男の金の瞳に滲むのは、蔑み。
「――私はここで、ただ戯れておっただけぞ?」
金の瞳が、妖しげな光を帯びた。
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