二.その男、グーパンをもらう
「……よお、喰ろうたわ」
男は舌なめずりをし、昨夜の食事を思い出していた。
雑木林では、しゃわしゃわと蝉がけたたましく鳴いている。
ある種の音の暴力に、いつもならば煩いと不機嫌になるものが、今日はふふんと鼻歌まで歌ってしまうくらいには気が良かった。
空からは容赦のない夏の日差しが照りつける。
じっとりとかく汗が、男にはたまらなく嬉しかった。
「宵にしか動けぬ身であったというに、こうしてお天道の下を動けるとはの」
そう。時の陰陽師に封じられてからというもの、この地に縛られるだけでなく、力を削がれ、日の下でも動けなくなってしまった。
ぴちょん、ぴちょん。池で何かが楽しげに跳ね回る。
気まぐれで吹き抜けた風が雑木林の木々を揺らし、男のじっとりと汗ばむ肌を撫でては彼に涼を感じさせた。
「これが夏かえ」
心地よさげに髪をなびかせながら目を閉じる。
「連夜の祭り、実に美味な馳走であふれておった。おかげでだいぶ妖力も取り戻せたものよ」
こうして日の下でも人の姿形が保てているのが何よりの証拠だ。
昨夜までの男では、たちまち強すぎる
懐手にし、むふうと満足げな息をもらす。
だが、その気分の良さも長くは続かなかった。
ふいに空気が動く。
男の目が薄ら開かれ、金の瞳が覗く。
男が視線を向けたのは、静まりかえった商店街へと続く通り。
昨夜までの賑わいなど、まるで嘘のような静けさだ。
雑木林で鳴く、そのけたたましい蝉の声が際立って聴こえるほどの静けさの中、遠慮も躊躇もない足取りで、その者は岩に座する男もとまで真っ直ぐ向かって来る。
そして、男の前に仁王立ちするやいなや。
「――ねぇ、あんたの仕業でしょ?」
険はらむ目を男に向けた。
びちゃんっ。池では何かが勢いよく跳ねたのちに、底へと潜っていった。
「……人のおなごが何用か?」
「質問してるのはこっちなんですけどぉー??」
男が金の瞳を眇めてみても、彼女に怯む様子はなく、逆に凄むしまつ。
億劫な息を漏らしつつ、男は彼女の姿を上から下へと眺めやる。
彼女のこの格好は――そうだ、確かセーラー服とやらだ。学校の制服というものだろう。
高校生と名乗る者が、毎朝と夕方に商店街を歩いて行くのを遠目に見かける。
夏服らしい半袖から伸びる腕は、娘にしては意外と逞しい太さがある。
膝丈のスカートから覗く足も――。
「――……っ、女子の身体は、じろじろと眺めるもんじゃないよっ!!」
突として、男の視界に握り拳が見えた。
その拳に貼られた白い紙を見た気がしたが、その正体に行き着く前に、男は腹に受けた強烈な一撃で星を散らした。
池では何かが、ぷかぁ、と浮かび上がる。
しゃわしゃわぁ、と。蝉の声が晴れた夏空へ抜けるように響く――。
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