蛍は天へと飛び立つ
白浜ましろ
一.その男、人にあらず
人の子は、七つまでは神の子といわれることもある。
それは、人の子が脆い存在だから。
七つを迎える前までは何があるのかわからない――とは、気が遠くなるほど昔の価値観ではあるが、それも実は、現代といわれるようになった今でも変わらない。
夏夜の雑木林にしっとりとした声が響く。
「そうであろうよ。七つを迎えておらぬ人の子の魂は、あんなにも美味な匂いを漂わせておるのだから」
男が口の端をにぃと持ち上げる。
開けた場の大きな岩に、その男の姿は在った。
側には小さいながらも池があり、人気がないわりには綺麗だ。
岩には朽ちて散り散りのしめ縄。
かつてそこに神として祀られていた存在は、信も絶えて久しい。
もはやいたという、その残滓すらも感じられない。
岩に座する男は、慣れた手付きで着崩れた夜色の着物を正す。
人気のない通りを抜ければ、時と共に寂れた商店街へと続く。
通りの角からもれる明かりに、夏の熱気を絡めた風が吹き込み、賑わう気配を運ぶ。
池の水面を揺らした風に、男は夜闇の中でも妖しげな光を灯す金の瞳を細めた。
「もう祭りの時間か」
わいわいと賑わう声が男のもとまで届く。
夏の始めに催される夜店。
人の足が遠退いた寂れた商店街でも、この時期だけは人であふれる。
細々と営業を続ける店が、通りに店を出しては並べるのだ。
肉屋はフライドポテトとやらを、玩具屋はかき氷などを。
通りに並ぶ店の中には、街中から出張して出店する者もあると耳にした。
そのせいでより人が集まりやすいのだろう。
おかげで捗るというものだ。
「今宵の狩りは豊作の予感がするの」
男が手の平を上向かせると、焔が揺らめき始める。
そこへ、ほお、と息を吹き込んだ。
息吹が焔をまとい、火の粉となりてぽわと浮かぶ。
それはさながら蛍火のようで。
「さあ、行け。子を惑わせ、誘え」
男が手を振るえば、蛍火はゆうらりと通りへ向かって飛んで行く。
「狩りの時間ぞ」
男がうっそりと笑った。
暗がりで獲物をおびき寄せるには、灯りで惑わせ誘うもの。
と。突として男が身体をくの字に曲げた。
げほごほと、鈍い咳が夜に浸る雑木林に響く。
やがて咳の波が引いた頃に、男はやっと身を起こした。
その際に己の身体が透けていることに気付く。
「……私も弱くなったものよな。これしきのことで姿形が保てなくなるとは」
ぽちゃんと池で何かが跳ねた。
男は口に着物の袖口をあて、また軽く咳き込む。
これは病などでなく、弱体していく身体の歪みから生ずるもの。
ああ、口惜しい。男は唇を噛む。
「悪しきものと謗られ、時の陰陽師に封じられてからの私は弱るままよ。ようやっと人の姿形がある程度保てるようになったというに、未だこの身はこの地に縛られたまま」
ああ、本当に口惜しい。
男がぎりりと歯噛みした眼前に、ふわりと蛍火が過ぎた。
鼻先をくすぐる美味なその匂いに、男の顔に喜色が浮かぶ。
ちろりと、舌で唇を舐めた。
「そろそろ食事かえ」
頃合いよく、祭りで賑わう商店街の通りから幼子が姿を見せた。
男は着物の袖を尾ひれのように揺らしながら、その蛍火を手招く。
ゆらゆらと浮遊する蛍火を捕まえようと、幼子は小さな手を伸ばしながら、さりとて頼りない足取りでとてとてと追いかける。
幼子を誘う蛍火の動きは巧みだった。
その小さな手の平に握り込まれる前にひょいと素早く逃げては、幼子の興味を引き続けるためにまた近くを飛び浮かぶ。
そして、自然な動きで男のもとへと誘うのだ。
男におびき寄せられているとも知らず、幼子はあどけない笑顔を浮かべている。
「――呑気なものよ」
男は、にたぁ、と口の端を持ち上げた。
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