恋は矢庭に

ひま

第1話

人というものの、 心や環境はたちどころに変わってしまうもので。

それでも変わらず大切なものなんて.........、いや。 ひとつだけあったか。


大正11年 4月


「お父様、お早うございます。」

「お早う八重、学校へ行く時間か。気を付けていっておいで。」

「はい、行ってまいります。」


東京の中央にある小さな財閥の末娘、 八重。

女学生である彼女は日々勉学や芸事に勤しんでいる。 しかし、この家に住まう学生は一人ではない。


「げっ、 八之助...」

「おやお嬢、今日はお早いのですね。 寝坊してくるとばっかり。」


こいつ....... 書生として住まわせて貰ってる身分で…

なんで毎日私のことからかってくるのよ!


「寝坊なんてしたことないわよ!余計なお世話

ね!」

楠木八之助は卯月家で住み込みで勉強している学生。いわば書生である。


「ああ、それは失礼しました。 寝癖が凄いので 慌てているとばかり思ってました。」

「これは、くせげよ!!」

「はは、 失敬。 早くしないと本当に遅れます

 よ。」


っ!!本当に最悪!!

何であの人は私にだけああいう態度なのかしら?ほかの人にはいい顔してるくせに...


そんな考え事をしながら八重は路面電車に乗り込んだ。

ほんとにどうして私だけ...

「って、何でついてくるのよ!!」


気付くと真横に八之助が立っていた。

「何でって...俺も通学路こっちですよ?」

「嘘おっしゃい、 どうせついてきて私のことからかうつもりなんでしょ。」

「俺が?まさか!お嬢のこと馬鹿にしたことありました?」

「毎日よ!毎日!こっちは苛立ちを抑えるのに必死なんだけど?」

「馬鹿にしたつもりはなかったんですけどn....」


どうやら騒ぎすぎたようだ。 堪忍袋の緒が切れた車掌が二人を車外へ放り出してしまった。

それでも、二人の口論は続く。


「俺は馬鹿になんてしてませんよ、事実を言ったまでです。」

「...ッそういうところが嫌なの!」

「あ」

「いい?あなたなんて身内でも何でもないのに馴れ馴れしくしないで頂戴!」

そういって八重は立ち上がり、歩いて行ってしまった。

「やれやれ、お転婆な方だ。 」


「もうっ!本当に最悪の日よ!出逢って一か月も経たないのになんなのよアイツ!」

「朝から大変な日だ….. せっかくあの家にも慣れてきたとおもったのに、 あの方は...」

   

 「「やっぱり仲良くなれないな」」


その夜、卯月家にて。


「お父様、おやすみなさい。」

「ああ、 八重。 おやすみ。」

お父様は知らない、八之助があんな人だってこと。

外面はいいから余計に腹立たしいわ。

……でも私があんなにからかわれるのって、私がだらしないからしら。勉強も、お茶やお琴だって苦手で、 癖毛もそのままで...

お見合いも上手くいった試しがない。 それでお父様にも迷惑や心配ばかりかけて


「でも決められた人生なんて...嫌。」

「お嬢?」

八重が声に気付き前を見ると八之助が立っていた。

「八…」

「どうされましたか? 思いつめた表情で。」

「…っ何でもないわ。」

「ですが、 」

「いいの!本当に何でもない!」

そう言って八重が歩き出したその時、 足を滑らせてしまった。


「きゃっ!?」

「お嬢!?」

何が起きたんだ?... お嬢は?

ふと八之助が下を見ると倒れた八重がいた。 八之助は八重に覆いかぶさる形になっていたのだ。


「...っ!?」

「お嬢...大丈夫ですか...?」

しかし恥ずかしさでいっぱいになった八重は、次の瞬間八之助の腹を思い切り蹴ってしまう。

「ぐうっっっ…!」

何 ... 何なのよ今の...... もうっ!!

「ほんとにサイアク!!」


そう言って八重は走り去ってしまうのだった。 八之助は腹の痛みと共に、廊下にひとり残った。


「......あー、痛え。 お嬢は意外といいとこ蹴るなあ...。」

ふと先ほどの出来事を思い返すと、何故か顔が熱くなる八之助。


-何だったんだろう、 あの感情は。

「参ったな、良い暮らしのし過ぎで浮かれてるみたいだ!よし!」


そう言って立ち上がった八之助の頭をふと過去の記憶がよぎる。

少し浮かれるのも無理ないさ。でも大丈夫。気が変わるようなことは決してない。


「ちゃあんと目的は果たしますよ...... この一家は俺が潰す。」


俺たち貧乏人の苦しみを考えない阿呆どもに分からせてやるんだから。


金持ちは嫌いだ。


此れは

愛を知らぬ青年と

愛を探す少女

そんな二人の物語である。

             

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