ぶらんこ
尾八原ジュージ
ぶらんこ
日曜日の午後三時、夫と一緒に公園に出かけた四歳の娘が、大泣きしながら帰宅しました。後ろには困った顔の夫が立っていました。
「パパがブランコのった」
娘はそう繰り返して泣くのです。
そういえば家の近くの公園にはブランコがふたつあって、そのうちのひとつを娘はとてもいやがるのです。ブランコという遊具自体は好きなのに、そのブランコだけは、空いていても絶対に乗りません。そういえばこのブランコだけ空いていることが多いな……とは私も思ったことがありましたが、かと言って気になるというほどのものでもありませんでした。
「パパがブランコ乗った乗ったって、泣くんだよ」
夫は困った顔で頭をかいています。「何でかわかる?」
そんなこと、聞かれても困ります。
「わかんないけど、この子がいやがるのに乗ったんでしょ? そういうのはよくないよ」
夫はそういうところがあるのです。娘がいやがるのを面白がって、乗らないでというブランコに無理やり乗ったのだろうというのは、想像に難くありません。
「理由がわからないにせよ、本人があそこまで嫌がってることを何でやるのよ」
そう問い詰めると夫も不機嫌な顔になって、
「そうやって娘の言う事ばっか聞いて甘やかすの、どうかと思うよ」
と、まるで私にだけ非があるかのような口調で文句をつけるのです。その間に娘は子供部屋に戻って、ベッドで布団にくるまってしくしく泣くのです。
私が夫を放っておいて慰めに行くと、娘は布団にくるまったまま「もういいよ」と言いました。
「もういいよママ。ついてきちゃったもん」
聞いたことのないような低く冷たい声でした。とはいえ少しするといつもの娘に戻って、大好きなみかん入りのゼリーを食べたり、テレビを観たりし始めたので、その日はそれでおしまいになったのです。
それから十日ほど経ったある日のことでした。
娘の手を引いて幼稚園から帰ってくると、閉めたはずの玄関の鍵が開いていました。
夫が在宅ワークで家にいるとはいえ、これでは不用心です。お迎えに行くときには間違いなくかけたはずなのに……などと考えながらドアを開けると、入ってすぐのところにある階段の手摺にロープをかけて、だれかが首を吊っていました。
私の悲鳴を聞きつけて、夫が部屋から出てきました。階段の手摺の外側に人間がぶら下がっていることに気づくと、夫も悲鳴をあげました。
首を吊っていたのは知らない男性でした。思いつく限り一切接点のない、まったくの他人です。それが我が家で首を吊っている――本当にわけがわからないのです。
二階でテレワークをしていた夫も、いつからこんなことになっていたのか、一切知らないと言うのでした。とにもかくにも警察に通報し、そちらでも捜査が行われたようでした。しかし、やはり「自殺した人は我が家とまるで関係のない人物だった」ということがわかったのみです。私と夫はとても混乱しました。
ところがただひとり、娘だけは妙に落ち着いていて、「だからいったじゃん、ついてきちゃったって」と言うのです。
「ついてきちゃったって、何が?」
「ぶらんこのとこにいた人」
何のことか、私にはよくわかりませんでした。
ともかく、それから私達の家には何かよからぬものが入り込んだようで、廊下を黒い影が横切ったり、誰もいない部屋から足音が聞こえたりするようになりました。
私は引っ越したいと訴えたのですが、夫は頑固に反対しました。警備会社と契約したり、防犯カメラを何台も設置したり、その上で異様なほど戸締まりに神経質になったりして、精神を擦り減らすような日々が続きました。
そんな夫も、ある日とうとう階段の手摺で首を吊って死にました。それ以来娘がその手摺を指さして「パパぶらんこしてるね」と言っては嬉しそうに笑うものですから、そうそう引っ越すこともできなくなってしまいました。
それで、たまに娘と外泊をするのです。特にこんな風の生ぬるい夜、家でひっそりと過ごしていると、自分もぶらんこをしたい気分になりそうなので。
ぶらんこ 尾八原ジュージ @zi-yon
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