夜会

@10100

夜会

足を踏み入れてしまったのは、明らかに不気味な集会だった。

 開催日は毎月一日。集合時間は深夜二時。つまり丑三つ時。曰く、「皆が集まれる時間にしたらこうなった」らしい。遅すぎる。誘ってくれた友人、美智恵が主催でなければ、絶対に首を縦に振らなかっただろうし、「騙されているんじゃないの?」と尋ねてしまうところだった。どう考えたって怪しい。

 ビジネスホテルの一室はセージの香りで満ちている。持ち込まれたアロマポットがオイルの混ざった蒸気を噴霧し続けており、室内灯も最低限のライトしか点いていない。演出にしても不気味さが勝る。ムーディだとかロマンティックには程遠い。

 私を含んで、五名の女性が輪になっている。ベッドの上に腰掛けている人もいれば、床に直接座っている人もいる。私以外は皆、寛いでいる様子だった。

 まるで魔女の集会だ。美容に興味のある人々の集まりだと聞いていたのだが、聞き間違いだったのだろうか。円の中心に方陣でも描かれていたら妙なものが召喚されてしまうのではないか。

 そんなことを考えながら、私はベッドから一番離れた床の上にしゃがみ込み、肩を竦めていた。与えられたクッションを抱き締める。

 隣では美知恵が「はい!」と手を叩いた。

「今晩もお集まり頂きありがとうございます! 時間になりましたので、『華麗倶楽部』の活動を始めたいと思います!……っと、その前に。今日は私の友人に参加してもらっています。真香、自己紹介よろしく」

 不意に脇腹を肘で小突かれ、すくみ上がっていた肩がぴゃっと跳ねる。

 綺麗に着飾った女性達の煌びやかな視線が一気に向けられる。僅かな身動ぎでアクセサリーが輝く。背筋に震えが走り、丸まっていた肩が開いた。早口で自己紹介をし、頭を下げる。「佐々木真香ですよろしくお願いします」

 化粧は好きだ。ひとを美しくしてくれる。

 実家が江戸時代から続く化粧品メーカーだから、化粧品はずっと身近な存在だった。大企業ではないものの、有難いことに多くのお客様にご利用頂いている。

 色彩豊かな化粧品は見ているだけで心が躍る。元から輝くものに目が無かった為に化粧品を、特にグリッターなどを好んで触っていたのだが、どんな人でも化粧次第で美しくなると知ってからは、一層その美しさと機能性にのめり込んだ。化粧技術を磨くために専門学校に進学し、現在はメイクアップアーティストとして生計を立てている。

 どちらかと言えば他人を綺麗にする側であって、自分を飾り立てることはあまり無い。スキンケアや日々の食事などを含んだ広義の美容行為によって、どこまで人間が美しくなれるのか、ということには非常に興味があるのだが。

 どんなメイクでもお手のものではある。しかし自分に施すのは最低限だ。職業柄、一般的には濃いめの化粧であることは承知している。それでも現在向けられている視線よりは薄い化粧だろう。

 私が常日頃から対応させて頂いているお客様と同じ鮮やかさ。肉体が資本である芸能人やモデルの方の様な、自分自身を磨いている人々。綺麗な人は目の保養であるものの、威圧も感じる。整っているからこそ、その美しさは作り物じみた病的で不気味とすら感じるものになる。これが熱狂の成せる業なのかもしれない。

 美知恵は

「職業は大体バラバラだね。住んでる地域も大分違うし。私の同僚の美容部員もいるけど、基本的にはSNSで知り合ったお友達だから遠くに住んでて、大地主で農家って人もいるんだよね。だから会場も変えて、結構色んな所でやってるよ。参加者も毎度変わってくるし」

 と言っていた。皆、美容が好きで、それだけで集まっているらしい。関東圏から大阪などの関西圏、果ては沖縄、北海道でも開催したと聞いた。美知恵は主催であるから毎度参加しているらしい。それなりに稼いでいる美容部員とはいえ、一体どこから旅費を捻出しているのか。

 私の自己紹介に美知恵が補足をする。

「真香はメイクアップアーティストやってます。あとご実家が幾世堂なので」

 実家の名前を出した瞬間に、参加者の目の色が変わる。

「幾世堂…!?」

「あの老舗化粧品メーカーの?」

「私、一回、幾世堂さんのゲイシャフェイシャルを使ってみたかったんです!」

 参加者の圧が一気に上がる。空気が色めき立つ。

「ご、ご存じなんですか。実家の商品」

「そりゃあもう!」

 私の対面、ベッドの上で膝を曲げていた女性が頭を振りかぶる。ウェーブの掛かった艶やかな黒髪がばっさばさと揺れる。

「鶯の糞を使用した洗顔料! 日本では幾世堂さんでしか取り扱っていない幻の商品ですもの! 美知恵さんからお聞きしてずっと使ってみたくて!」

 ばっちりとした二重と薔薇色の頬、赤い唇で構成された顔から「鶯の糞」と飛び出してくるのはとんでもない威力がある。

 実家の商品なので原材料は知っている。忌避感もない。ペースト状の洗顔料で、角質除去効果の為に米ぬかと混和されている。小じわとニキビに効果があり、実家の主力商品でもある。大抵の人は糞にいいイメージが無いので鶯の粉と呼ぶのだが、こんなに綺麗な人が堂々と糞というのは珍しい。と言うか美知恵。あっちこっちで宣伝してくれてたのか? ありがとう。

 感謝する一方で、では参加している皆様は実家のことと私が美智恵の友人だと知っているということは、一緒に私の趣味も知られているのではないか? と一抹の不安が過ぎった。

 別の女性がはっとした顔になり、美知恵の方を向く。

「もしかして、美知恵さん。今回が記念すべき二十回目の活動なので佐々木さんを……?」

 美知恵はうんうんと頷く。「真香も大概にゲテモノ使いなので是非参加してほしくて」

「なに言ってくれてんの!?」

 今バラされた。はっきりとバラしてきたぞコイツ。

 狼狽する私とは対照的に美知恵は落ち着き払っており、参加者の女性は感激しているのか、目を輝かせている。

「大丈夫、安心して。皆、一緒だから。普通の美容法やり過ぎて更に美しくなりたいって思った結果、オカルトにまで手を出すような人しかいない。月光が差し込む部屋でしか寝ない人ばっかり」

「ウチの商品はオカルトじゃないけど」

「ゲイシャフェイシャルが科学に基づいてることは知ってるけど、真香はヤモリの黒焼き食べたり、血行促進のためにマムシ捕まえて来たり」

「分かった。それ以上言うな」

 手で美知恵の口を塞いだものの、時すでに遅し。美女達に囲まれ、質問攻めにされる。

「まぁ素晴らしいわ。普段からご実家の商品を使っていらっしゃるの? 佐々木さんの肌ってどうしてこんなに美しいのかしら。スッポンの方法はお試しになりました?」

「一目見たときから美しい方だと思っていたんです! そういうことなんですの? ゲイシャフェイシャル、是非購入させて頂きたいわ!」

「折角美しいのに背中を丸めていては勿体無いですわ。今度、一緒にショッピングに行きましょう。 お洋服でも選びませんか?」

 美女達は私の手を取り、顔を眺め、好意の視線を投げかけてくる。

 質問に応じきれず、私は美知恵に視線で助けを求めた。美知恵は私と目が合うと、助けるでもなくウインクを飛ばしてきた。


 質問攻めから開放されたのは、会が終わった後だった。夜通し眠りもせずに人並外れた美容法についての論議を交わし、最新の化粧品についての雑談をした。

 荷物を纏め、チェックアウトを済ませる頃には太陽が登り掛けていた。徹夜明けの目には薄明の光ですら眩しすぎる。

「ショッピングの件、よろしくお願いしますね」

「次回も参加されるのですか? またお会いしたいわ」

 美女達は私と美智恵とは反対方向へ歩き出した。私達は互いの姿が見えなくなるまで手を振り合っていた。

「楽しかったでしょ?」

 振っていた手を下ろすと、美智恵がニコリと笑みを浮かべながら、伺うように顔を覗き込んできた。私は少しだけ頬を膨らませながら「楽しかった」と言った。

 話題が合うひとがこんなにもいるのだと知れるのも嬉しい。そして、とんでもない美容法を試していると知られても奇異の目で見られない。これが一番嬉しい。

 だが、怖い。押し殺していたものを一度でもおおっぴらにしてしまうと、許されたと錯覚してしまう。決してそうではない。不気味で恐ろしい。どんなに美しさを求めているひとでも、きっと普通の人ならば、こんなことにのめり込まない。私達は狂っている。

 彼女達と長いこと一緒にいたら、場をわきまえずに妙なことを口走ってしまいそうだ。会の参加者と昼中にランチなどに行きたくない。仲良くなりたくない。不気味なものとして扱われるのは嫌なのだ。

 駅の方面に向かって歩き出す。僅かな人影が同じ方向に向かって歩いている。皆、スーツやオフィスカジュアルに身を包んでおり、これから家に帰る私達とは正反対の目的の様だった。今日は日曜日なのに大変だなと思った。

「スッポン鍋の話であんなに盛り上がると思わなかったよ」

「どっちかっていうと、皆、生き血の方に興味津々だったけどね」

「あれ生臭いから飲みにくいし、匂いも結構するから人と会う前の日はやめた方がいいよ」

「普通は飲まないんだよねぇ。私も飲んだことあるけど」

「え、あるの」

「そりゃあ、こんな会の主催してるのに生き血くらい飲んでなきゃ可笑しいでしょ」

「え、え、なんで」

「なんでって、気になったから?」

 美智恵はケラケラと笑う。「そんな顔しないでよ」

 そんなってどんなと言いたいが、なんとなく自分の表情は分かる。愕然とした。血の気が引いていく。顔の温度が下がって、太腿の辺りがぞわぞわする。

 確かにそうだ。恐らく少数精鋭の、可笑しな会の主催が“それ”をしていないだなんて有り得ない。こんなことは本当にやっている人間内でしか許されない。一度も手を出したことの無い普通の人が出来る訳がない。 

 そうだ。普通の人はこんなことはしない。

 自分のやっていることが人並み外れ、既に外道の域に入っていることは分かっている。何度も言いたいが、実家の商品も効果はお墨付きであるが、良い印象を持たれたことが殆ど無い。小学生の頃は肩身の狭い思いもした。だからこそバレない様にこっそりひっそりと夜な夜な妙な研究を続けてきたというのに。

「また来るでしょ?」

 その問には否定を示した。美知恵は引き攣った呼吸を止めてから、意外そうに眼を丸くした。

「どうして?」

「だって、美知恵が」

「私が?」

「どうして、そんなことしてるの」

 そもそも、何故、『華麗倶楽部』などというよくわからない会を主催しているのか。美知恵はごく普通の美容部員である筈だ。

 少なくとも下法に手を染めさせてしまったのは私のせいだ。趣味がバレたからだ。私の迂闊さが原因だった。

 唯一の友達が遊びに来てくれている時にうっかり引き出しの中を見せてしまったのだ。引き出しの中にはなけなしのアルバイト代で購入した化粧品が入っている。互いの家に遊びに行くと、動画サイトやSNSで見かけた新しいメイクを再現するのが常だった。

 その頃には私達は高校生になっていて、私は下法に完全に手を染めていた。不気味な物品の数々は化粧品と共に入っていた。ただでさえ「鶯の粉」を売っている家に暮らしているのに、輪をかけて不気味な行為をしていると知られたら、きっと美知恵ですら気味悪がるだろう。そんな考えが何故か浮かばなかった。引き出しの中身を美知恵が見てから、しまったと思った。

 蒼褪める私に対し、美知恵は物品をまじまじと眺めた。

「ごめん。変なものみせた」

「いやぁ、へぇ」

 私と引き出しの中身を見比べながら、美知恵は感心したような溜息を吐く。

「気にしないよ。私達がいつもやってることでしょ。凄いね。全部集めたの?」

 本心でも嘘だったとしても嬉しかった。更に石を投げられる様な行為をしていたというのに、美知恵は決して私を否定しなかった。

 当時の嫌な記憶が首を擡げた。机に書かれた心無い言葉。折角綺麗に整えて行っても乱される髪。配られない給食。

 美知恵だけが誰かと差をつけることなく接してくれた。親しい友人として、過度な反応はしなかった。

 どうしよう。わたしのせいだ。

 足が徐々に重くなる。大切な友人に道を踏み外させてしまった。

「あれ、どうした?」

 美智恵は私が一メートルくらい離れた時、距離に気が付いた。恐らくこちらを振り返っている筈だ。

 すっかり焦って顔を見られないまま、体温が下がってしまい、体がガクガクと震え始める。アスファルトの上には客引きが配っていたらしいフライヤーが紙ゴミになって張り付いていた。

「やめる。もうしない」

「なんで」

「美智恵にそんなことさせられない。生き血とか、やっぱりおかしいもの」

「どうして?」

「普通じゃない。美智恵だって、わかってるでしょう」

 美智恵はゆっくりと「そうだね」と頷いた。

「でも止める必要はないよ。だって真香が一生懸命やってることじゃない。誰がどう思おうと私は気にしない」

 私が視線だけを上げると、美知恵は眩しいものを見るかのように目を細めている。登りかけた太陽が美智恵の頭上に見えた。

「小学校のときさ。真香、モテてたの知ってた? 」

 唐突な話題に少々、面食らう。

「実家のことで色々言われてたことしか覚えてない」と首を振ると、美智恵は「そうだよねえ」と頷く。

 あの頃のことは私と当事者以外ならば、美知恵が一番よく知っている。クラスメイト達から避けられ続け、終いには直接攻撃される様になった頃に唯一、私を庇ってくれたからだ。

「真香はあの時から一番綺麗でさ。大人びてて肌も信じられないくらいきめ細かで。初めて引き出しの中見た時、納得したもんね。だからか〜って。クラスの男子は皆、真香の気を引きたくて必死だったんだよ。馬鹿だよねぇ。好きな子ほど虐めたくなるって、難儀。んで、女子達はそれに嫉妬するじゃない」

 そんなの知らないと遮ろうとしたところで、

 美知恵がぽつりと呟く。

「真香は綺麗だよ、ずっと」

 その言葉に弾かれた様に顔を上げると、目の端で捉えていただけの美知恵の顔がはっきりと視界に映る。

 笑っていた。普段通り眦を下げている。今更ながらその笑顔は本心でありながら作り物じみていることに気がついた。

 私を真っ直ぐ見つめる瞳には、静かに熱狂が宿っていた。

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