第41話 気分転換


 あの日、妖精の試練に対して、分担行動を提案したのは僕だった。

 僕とリーラントは、妖精の試練についてはいろいろと知り尽くしていたから、子供たちに対して、それぞれがついていれば大丈夫だろうと、そう思っていた。

 何より、僕も久しぶりに、娘にいい所を見せたかったから、必要以上に張り切ろうとしたことを覚えている。

 その結果がこれだ。



 浜辺での出来事の後、レーダは塞ぎ込んでしまった。

 きっかけは浜辺で、動く死体、レヴナントに出会ったことだろうか。

 ……いや、誤魔化すのはやめよう。

 おそらく原因は、僕の行動にある。



 僕がレヴナントの頭を吹き飛ばした瞬間、レーダは何かを叫んでいた。

 悲痛な叫びを上げていた。

 今思えば、アイツに出会った瞬間から、レーダの様子はおかしかったのに。

 僕はその原因を特定しようともせず、軽率にそいつを殺してしまった。



 それからだ。レーダがうわ言のように何かをつぶやき始めたのは。

 ほとんどまとまっていなくて、言葉と言葉がつながっていないような様子だったけど。

 「俺」だったり「前世」だったり、断片的な単語から、その内容は推察できた。



 心が逸っていたばかりに、なんて迂闊だろうか。

 レヴナントの生前が……それ自体が残した面影が。

 誰かにとって大切なものだったなんて、物語になるほどよくある話じゃないか。



 そうだ。

 どうして、確認しなかったんだ。

 レーダは、僕の娘でいてくれている彼女は……




 元々僕の娘ではなかったのに――




「パパ?」



 聞こえた声で、思考の底から戻ってくる。

 幼い女の子の声。僕のことをパパと呼ぶ、もう一人の声。



「どうしたの?」

「ノエル……」



 見ると、フリルに飾られた小さな手が、僕の肩に添えられていた。

 まだまだ身長の高くないノエルに背中を擦られてしまうほど、身を曲げて考え込んでしまっていたとは。

 我ながら、随分な落ち込み様だ。



「ごめんね、心配させてしまったかな」

「うん。最近ずっと元気無さそうだよ?」

「そうか……」



 正直な良い子だ。

 そう言えば僕はレーダに入れ込み過ぎて、ノエルのことはミナにまかせっきりだったな。

 もう少し、父親らしいことをしてあげないと……



「お姉ちゃんもそう、大丈夫なの?」

「……それは」



 ああ、ノエルにもわかるのか。

 それは、そうか。

 レーダが随分落ち込んでしまっていることくらい、身近にいれば、誰にだってわかる。

 ましてや、レーダとノエルはよく一緒に遊んでいるしな。

 もしかすると、定期的に仕事に出ている僕より、ノエルの方がずっと詳しいのかもな。



「僕には……わからない」

「……そっか」



 もしかするともう、どうにもならないのかもしれない。

 僕が彼女を傷つけたのなら、僕がどうにかするべきかもしれないけど。

 少なくとも僕にはもう、何も出来ない。



「ダイアー。そう思いつめすぎないでね」



 僕が俯いていたら、キッチンの方からミナが来てくれた。

 リーラントの姿が見えないってことは、彼女はもう帰ってしまったか。

 ただでさえ季節の変わり目だったから、しょうがないことだけど。



「あなたの相棒も心配してたわよ? レーダの方はもちろんだけど、あなたのことも」

「彼女は……もう違うだろう」



 僕とリーラントがバディを組んでいたのは、昔のことだっていうのに。

 ……そう考えると、僕は未だに心配をかけてしまっているのか。

 申し訳ないな。

 僕は結局、人の力を借りてばかりだ。



「……僕はどうすればいいんだろうね」



 それでも結局、他人に頼ってしまう自分が少し嫌になる。

 でも、頼らないよりこっちのほうがずっといいってことを、僕は知っている。

 正直に言って、僕にはもう、レーダをどうこうしてあげられる自信はない。



「考えてわかるなら苦労しないわ」

「……だよね」

「でも、一つ言えるのは……」



 コトリという音がして、反射的に視界が上を向く。

 机の上には、微かな湯気の立ち昇る、陶器のコップが置かれていた。



「あんまり一人で抱え込み過ぎないことよ? あなたも、レーダもね」

「……そうだね」



 確かに、僕もレーダも、そういうところは似ているな。

 コップに触れると、温かさが指に伝わってくる。

 この季節に合わないが、今の僕には丁度いい。



「そうだ! 今日はアーネスが来てるよ。お姉ちゃんに会わせてあげる?」

「ん……アーネス君か」



 ……ああ、そうだな。

 白湯を呷り、思考を一度途切れさせたら、なんとなく分かってきた。

 もしかすると、今のレーダを救えるのは、僕ではないのかもしれない。



「……少し、話がしたいかな」



 もしかすると……僕のような人間より。

 最近の彼女をよく知っている、彼のような人に頼んだ方が、いいのかもしれない。



***



 ……家の中が、騒がしい。

 ノエルが暴れているんだろうか。

 彼女はずっと元気だな。

 俺と違って……いいことだ。



 そう言えば、あれから何日経ったんだろうか。

 一週間は、経っていない気がするが。

 ずっとベッドの上で横になっているから、わからない。



「レーダ、いるか?」



 これは……ダイアーの声じゃないな。

 もちろんミナでも、ノエルでもない。

 アーネスか……アーネス。



「あ、血……」



 そう言えば最近、アーネスに血を吸わせていなかったな。

 何日経っているか知らないけれど、申し訳ないことをした。

 彼の吸血衝動をなんとかできるのは、俺しかいないのに。



「ごめんね、今準備するから、ちょっと待ってて……」

「ああいや、一旦そのままでいい」



 扉に駆け寄ろうとしたら、そんな言葉をもらってしまった。

 足取りが止まって、思考も止まる。

 何か違う用だったんだろうか。



「ほら、最近外に出てないんだろ? 丁度行きたいところがあるから、一緒にどうかと思ってさ」

「行きたいところ?」



 ほう。アーネスからの誘いだなんて、珍しい。

 村の各所はこの一年間で大体巡ったつもりだったけど、行きたいところか。

 言い方からして、買い物ではないのか?



「今日は、王都への馬車が出ているらしいんだ。一緒に行ってみないか」



 ふむ、王都に一緒に……

 え? 王都?

 地図で見た、あの、ネルレイラ王国の王都?



「そんなに急に行けるものなの?」

「……うん」



 うんって。

 そりゃいつかは行ってみたいとは思っていたけど、今? なんで?

 今から……うーん、今からか。



「新しいものを見れば、気分転換にもなるだろ?」



 あ……なるほど。

 アーネスは心配してくれてたのか。

 そりゃ……ありがたいな。



「わかった、今出るよ。でも一応、パパとママに言ってからじゃないと……」

「え? あっ、おい、ちょっとまっ」



 うん? 何かアーネスが焦っているな。

 とは言っても、話している間に扉に手はかけてしまった。

 というか、もうすでに半分開いてしまっている。

 なんか忘れてることあったっけ?



「……何も見てない」

「え?」



 扉の向こうにいたアーネスはこちらを向きながら、腕で顔を隠している。

 なんだ? 何か見られたくないものでもあるのか?



「何も見てないから! 閉めろ!」



 バタンと扉が閉まる音。

 部屋の中に追い返されて、きょとんとしてしまう。

 というかなんか、こっち見てから顔覆ってたな。

 別にそんな、変な服装してるわけじゃないのに……



「あ」



 そう言えば、そうだ。

 俺、最近ずっと部屋からでてないんだ。

 お風呂も入ってないから、髪はぼさぼさ。

 臭いもしそうだが……それ以前に。



「この恰好……まずかったか」



 季節は夏真っ盛り。

 暑さに耐えるため、俺の今の恰好は、随分だらしないものになっていた。



 具体的にはどうかって?

 ハーフパンツとシャツ1枚だよ。

 ……アーネスには早すぎたな。

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