第40話 ちがう


 え、どうして、動いてる?

 どうして、人の形をしているヤツが、俺の服を着て、動いてる。

 覚えてる。覚えてるぞ、そのジャージ。



 大人になってから、服なんてほとんど買い足していなかったから。

 もう、随分色も変わってしまっているけれど。

 俺が一番よく着ていたのは、その青のジャージだったから



「危ない!」



 横から衝撃。

 身体が浮く。

 跳ね飛ばされたわけじゃない。

 ダイアーの腕に、抱きかかえられている。



 見ると、そいつは俺が元居た場所に倒れていた。

 飛びつこうとしたのだろうか。

 足元の砂場に両腕をついて、身を起こそうとしているところだった。



「ひっ」



 喉の奥から声が漏れる。

 そいつの顔が見えてしまった。

 別に、見覚えがあったわけじゃないけど。

 眼孔が窪んで、額が少し欠けていて。

 まばらに腐肉が残るだけの、その顔を見た瞬間。

 本能的な恐怖で声を漏らしてしまった。



 だからだろうか。



「火を吹け波打て木々揺らせ!」



 これからダイアーがやろうとしていることに気が付いた瞬間、凄まじい焦りが全身を駆け巡った。



「うあ……や、め」



 その瞬間、俺は息を詰まらせてしまっていて。

 辛うじて喉の奥から上げた声もか細くて。

 ほとんど言葉になっていなくて。



「行方知れずはここへ寄れ!」



 集中している、ダイアーには届いていなくて。

 彼の歌を止めることはできなくて。



「やめてえっ!」



 やっと俺が、そんな声を上げられたのは。

 ダイアーが妖精歌を呟き終えて、腕を振りぬいた後だった。



「あ……」



 そして、矢筒から抜かれ、目にも止まらぬ速度で飛び出した矢は、

 どぱぁん。という音を立てて、

 その、ジャージ姿の怪物の頭を、粉々に吹き飛ばしてしまった。



「ああ……」



 その瞬間、俺の頭の中は真っ白になってしまった。




***




 ダイアーとミナが、俺を娘として認めてくれてからも。

 ノエルが、お姉ちゃんと慕ってくれるようになってからも。

 アーネスという、少しいびつな初めての友達ができてからも。



 心のどこかに、ずっと引っかかっていた。




 ――前世の俺は、一体どんな結末を迎えたのだろう?




 そんなこと、考えたところでわからないし。

 実際のところ、レーダとしての人生は充実しているし。

 第一、死ぬ直前のことなんて覚えていなかったから、なんとかなっていた。



 でも、思い出してしまった。

 俺は確かに、一度死んでしまったのだ。

 


 死因は溺死だった。

 マンションから落っこちたことによる外傷ではなく、溺死。

 あの日、瀕死になった俺の身体は、謎の男たちによって水に沈められた。

 あまりに支離滅裂だったから、夢か何かだと思っていたけど。



 見当がついてしまった。

 俺はおそらく、死んでからこの世界に来たわけじゃない。

 この世界に来てから、死んだのだ。



「……」



 一連の浜辺での出来事は過ぎ去り、次の日になった。

 俺は今、自分の部屋から出られずにいる。

 ベッドの上に座り込んで、シーツを視界に入れ続けている。



 あれから、夜を明かすまでのことはよく覚えていない。

 おそらくは夏の妖精とも、契約できていないだろう。

 断片的に覚えているのは、下を向いて、森の中を進んでいた記憶だけだ。

 アーネスや、リーラントや、ダイアーが

 どんな反応をしていたなんて、覚えていない。

 


「レーダ、入るよ」

「あ……」



 ダイアーの声だ。

 そうだ、ダイアーにはもう、前世のことを話している。

 ダイアーに相談すればこの心のモヤモヤもどうにかなるかもしれない。



 はっきり言って、今の体調は最悪だ。

 何か考えようとしても、思考が思考に邪魔されてしまうし、

 食事をとったかどうかすら覚えていないし

 身体をうごかそうとしても、思い通りに動かない。

 でも……ダイアーなら。



「昨日から……大丈夫かい?」



 大丈夫。

 パパがいるから大丈夫。

 今、モヤモヤしているから、話を聞いてほしいの。

 ちょっと重い話になるけど、聞いてほしいの。



「あ……う……」



 そう言いたいのに、喉の奥から言葉が出てこない。

 ダイアーの方を見ても、目の焦点が合わない。

 辛うじて、数秒に一回視界がはっきりしても、顔を見れない。ダイアーがどんな表情をしているかわからない。





          ぐらぐらする。

  頭が痛い。

      胸も痛い。

    息が詰まる。

             息ができない。

   苦しい  

       息が……





「おえええ」

「レーダ!?」



 ……?

 私は今、何をしたの。

 ただ、反射的に下を向いたら、べちゃりという音がした。

 座り込んでいた膝の上に、生暖かい感覚が広がった。

 急に、息ができるようになった。



「ひゅーひゅー」



 か細い呼吸。

 少しして、それが自分の呼吸だってわかった。

 死人みたいな呼吸。



「レーダ! レーダ!」



 あ、声をかけられてる。

 目の前にパパがいるの。

 ねえパパ、何かおかしいの。

 私、昨日から何かおかしいの。

 おかしいのに、なにがおかしいかわからないの。



「レーダ……!」



 あ。

 抱きしめられた。




 パパの顔が見えた。



「あ……」




 あ

   ちがう





      ちがう

 ちがう

     違う

          違う





  全部、違う。





  俺の死因は溺死じゃない。

  ただ、男たちに沈められたあと。

  俺の身体は引き上げられて、操られた。



  そして助けを求めて陸に上がろうとしたら

  目がくらむほどの眩い光によって

  俺の視界は覆われて、何も見えなくなった。



  レーダとしての意識が覚醒する直前。

  俺の頭は一筋の光によって撃ち抜かれた。

  その時は何が起こったかわからなかったけれど。



  今ならわかる。

  あれは、あの光は、俺は今まで何度も見たものだ。

  光に包まれた記憶の中に、シルエットが浮かび上がる。






  前世の俺を



     助けを求めて叫ぶ俺を



          撃ち抜いて殺したのは





「違う!!」

「っ!?」



 腕を立ててはねのける。

 彼の身体が遠ざかる。

 ……? 俺、今何をした?

 何を考えた?



「あ、あの、違う」



 弁解しなきゃ。

 今の俺はおかしいんだ。

 自分でも答えを言葉にできないけど。

 おかしいんだ、だから。



「……わかった。今は、やめておくよ」

「あ……」



 待って、待ってくれ。

 行かないでと言いたいのに言葉が出てこない。

 今の説明をしたいのに話せない。

 手を伸ばせない。



「まって……」



 辛うじて、そんな言葉を喉奥から出すことができたのは。

 部屋の扉が、優しく閉じられた後だった。

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