04_06__エピローグには『お約束』を添えて①

●【旧主人公】宇治上樹


 ある日の放課後、俺と更科は体育館の柱の陰に隠れ、赤羽先生がやって来るのを待った。


 なぜこそこそ待ち伏せしなければならいないのか分からないが、更科が必要だと主張するので抵抗は諦めた。

 善良な市民に通報されないよう祈っていると、先生が職員玄関から顔を出す。


「おい、来たみたいだぞ」

「わ、分かってるよ。でも、もう少し近づいてから……………………よし、行くぞ!」


「っ!?」


 赤羽先生は死角から飛び出してきた俺たちに驚いて足を止め、


「この前は乱暴に胸倉を掴んで、本当にスンマセンっしたぁ!」

「えぇ……」


 直角に頭を下げる更科を見て困惑の声を漏らした。


「宇治上君。この状況を解説してもらってもいいかな?」


「解説と言われても……見ての通り、更科が先生に掴みかかった件を謝りにきただけです。ちなみに俺はただの付き添いで、なんでこんな方法を選んだのかは、いまいち分かってません」


 謝罪なら一人で行けばいいと言ったのだが、『また暴走したら止めてほしい(意訳)』と物騒な頼みをされたので、ついてくるほかなかった。


「そうか……。まぁ、乱暴な方法は良くなかったが、更科君の気持ちはちゃんと分っているつもりだよ。死んだ目をした妖精さんが素敵なお守りを届けてくれたからね!」


「うぐっ……」


 ちょっとした仕返しのつもりか、さりげなくデリケートな部分をつつく赤羽先生。

 なぜか俺にも流れ弾が飛んできている。


「私のほうこそ、周りの方たちを混乱させてしまって反省しているよ。先日の辞表は撤回したから、今後も分からない問題があったら聞きに来なさい。私は君との勉強を面倒だと思ったことは一度もないから」


「……ん。でも、ウチもセンセーに甘えてばかりじゃダメだって気付いたし、これからはもっと一人で勉強する習慣もつけるから」

「フフッ、そうだね。それも大事なことだ」


 赤羽先生が揶揄からかうように頭を撫でると、更科の引き結んだ唇が少しだけ嬉しそうに歪んだ。


「そ、それじゃあ、要件はそんだけ。ウチは、帰る、から。宇治上も、付き合ってくれて、ありがと、な」


 ぎくしゃくとした動きで更科が歩き出すと、追いかけるのも野暮な気がしたので、俺はそのまま見送ることにした。


「更科君もたった二か月で随分と変わったなぁ。……私、彼女の卒業式で号泣するかも」


 感慨深そうな言葉に頷いてしまった。

 コレが親心かぁ。……違うか。違うな。



「そういえば、退職願いは撤回したんですね」

「精神的に参っていたとはいえ、周囲を振り回してしまって、穴があれば入りたい気分だよ」


 赤羽先生は苦笑いしながら頬を掻いた。


「正直、魔が差した自分への嫌悪感は今でも残ってる。でもここで辞めたら余計に後悔すると思ってね。校長先生からも引き留めていただいたから、お言葉に甘えさせてもらった。これからは肩の力を抜いて、マイペースに頑張ってみるよ」


「無理はしないでくださいね」

「安心してくれ。しばらくは早めに上がって、休息と気分転換に充てるよう言われているからさ」


 辞めないなら今まで通り働け、とか言われていたらドン引きだから良かった。

 先生の先輩も『仕事を押し付けすぎだ』と怒っていたし。



「皆元の件も進展があった。鏑矢さんによると、彼は結局自分の意思で警察を辞めたらしい。今は精神科の病棟に入院しているそうだ。向こうの御両親との話し合いも終わって、相場の倍以上の慰謝料を渡されたよ。アレは素直に受け取っていいのかね?」


「多分、口止め料も入っているんだと思います。受け取ってあげれば向こうの家族も安心できると思いますよ」


「そういうものか……。誓約書は交わすつもりだが、よく分からない世界だな」

「同感です」


 金で解決したと言われると冷淡にも聞こえるが、今回は他に誠意の示し方もないだろうし。



「それにしても、宇治上君は主人公を卒業したと言い張っている割に、随分派手に立ち回ったね」

「俺はただ、リアリティショーに高校生活をおびやかされないよう足掻いていただけですけどね。結構失敗もしましたし……」


 赤羽先生の件で、最も解決に貢献したのは調査と根回しをしてくれた鏑矢さんだ。


 俺は水無月を置き去りにして特攻したり、更科に誤解を招く言い回しをしたりと反省点も多い。

 書き込み事件に至っては、隆峰を巻き込まないよう立ち回ったつもりが、結局はデラモテールのてのひらの上だったし……。


「おいおい、宇治上君は私に言った言葉を忘れてしまったのかい? 完璧ではなかったかもしれないが、自分の働きを君自身が認めてあげなくてどうする。『私は君に感謝している』。それが全てだろう」


「……はい」


 奇麗なブーメランに返す言葉もありません。

 人に偉そうに語ったくせに、自分のことは棚に上げて申し訳ないです……。


「……でも思い返してみれば、君にちゃんとお礼をしていなかった私にも非はあるか」


 赤羽先生は顎に指をあてて呟くと、こちらに向かって大きく踏み出した。

 無邪気な大人の笑顔にドキリとする。


「私の感謝の気持ちを、二度と忘れられないくらい刻み込んであげよう」

「え。ちょ、近っ――」


 フローラルの香りが通り過ぎ、耳元に汗ばむほど熱い吐息がかかる。


「ありがとう。溺れそうな私を引っ張り上げてくれて」


 左頬にしっとりと柔らかい唇が触れたかと思うと、鎖骨の辺りにおでこをぐりぐりと押し付けられた。


「――っ!?」


 え!? 今のナニ!? ナニが起きたの!?


「それじゃあ、また明日。授業という名の逢瀬おうせを楽しみにしているよ」


 混乱する俺をよそに、先生は手櫛で前髪を直して去っていく。


「肩の力を抜き過ぎでは!?」


 俺の絶叫に振り向いた赤羽先生は、白い歯を見せて無責任に笑った。



 + + + + +



「あ、宇治上先輩!」

「こんな所で出くわすなんて奇遇だねぇ。……なんでハンカチを水で濡らしてるの?」


「ん?いや、ちょっとな……」


 グラウンド横の手洗い場で、部活終わりの隆峰と坂巻に出くわした。

 俺は言葉を濁しつつ、絞ったハンカチでさりげなく頬を拭う。


 アレが赤羽先生なりの感謝の表現と分かってはいるし、気持ちはとってもありがたいのだが、

「人の顔に紅を付けないでくれよ……」


 嫌な予感がして鏡を確認したところ、薄っすらと唇の跡が残っていたのである。

 さすがに放置して帰る選択肢はなかった。


 普通に考えれば付くはずがないので、おそらく化粧を直したばかりだったのだろう。

 終業後におめかしして一体どこへ繰り出すのやら。


 買い物でも新しい出会いを探しに行くでも、良い気分転換が出来ているなら何よりである。

 ただ、紅はつけないでほしい。



 坂巻たちはファミレスに寄っていくそうで、『どうせ暇でしょ?』の言葉を否定できなかった俺も連行される羽目になった。

 阿吽の呼吸で俺を挟んで歩き出す。


 別に逃げるつもりは無いって。


「……今日は随分と機嫌がよさそうだな」


 小さく鼻歌を歌う隆峰に声を掛けると、その質問を待っていたとばかりに表情が緩んだ。


「分かります? なんと今日は一度も学校でイベントが起きなかったんです!」

「へぇ、早くも成果が出始めたか」


「はい!宇治上先輩のご指導の賜物です!」


 リップサービスかもしれないが、そこは素直に自分たちの成果でいいだろうに。

 謎に俺を持ち上げようとするのは何なの?


 反応に困っていると、反対側から坂巻がニヤニヤと意地の悪い顔で見てきた。

 殴りたい。その笑顔。


「樹も可愛い後輩が出来て良かったね。つい一ヶ月前まで一人寂しく泣きながら帰っていたのが嘘みたいだよ」


 一人寂しくは否定できんが、泣いてはいねぇよ。


「もしかして、この結果はお前の計画通りだったとか言い出さないよな」

「まさか!樹が隆峰君に協力すること自体、予想外だったよ」


 俺が声を落として尋ねると、坂巻は大袈裟に首を振った。


「ただ、中学を卒業してから、樹は水無月さんたちと距離を置いたからさ。隆峰君を見て思い出してくれたらいいなぁとは思ったよ。目が回るくらい大変な日々だったけど、楽しい思い出だってたくさんあったでしょ?」


 ……水無月と似たようなこと言いやがる。

 もちろん俺だって、坂巻の言葉も否定するつもりはない。


 だが、やはりどうしても安易に頷くことが出来なかった。

 何も答えない俺を見て、坂巻は少し残念そうに眉を落とした。


「僕の勝手なお節介だから押し付けるつもりは無いよ。今はそれどころじゃないだろうしさ」


 ………………そうだな。

 平穏な高校生活を勝ち取るために、目先の課題を優先しよう。


 後ろばかり向いて、躓いてしまっては本末転倒だ。

 過去は変えられないが、未来は変えられる。


 信じて進んだその先で、いつかの過ちに向き合える日だってくるかもしれない。

 というわけで、頑張れ未来の俺。


 雑に肩の荷を放り捨てると、隆峰と目が合った。

 俺たちの会話は聞こえていなかったようで、可愛らしく首を傾げる。


「……まぁ、これからもヨロシクってことで」

「はい!よろしくお願いします!」


 満面の笑顔に苦笑いしながら顔を上げると、奇麗な夕焼けが、暖かく町を照らしていた。

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