04_05__資格と自覚②

●【旧主人公】宇治上樹


 赤羽先生を脅迫――もとい、優しくエスコートしてやって来たのは、俺が普段利用しているスポーツジムだ。


 お目当ての個室が空いていたので二時間ほど借りる。

 普段はプライベートレッスンに使われている小さな部屋だ。


「さぁ、思う存分殴ってください!」

「……君を、かい? 先日に続き、教師に殴られたがるなんて特殊な趣味だね」


「俺のイメージが酷すぎません? 絵に描いたようなサンドバッグが目の前にあるでしょう」


 俺は革張りの円柱をペチペチと叩く。

 移動しやすいスタンド付きのタイプでもグレードの高い逸品で、安定感は抜群だ。


 このジムでは格闘技を教えていないが、ボクササイズの生徒のために導入されたらしい。


「壊れることを気にせず殴れて、ついでに体も鍛えられるなんて、サンドバッグは人類が考え出した英知の結晶ですよねぇ」

「……人のことは言えないが、君の精神状態が非常に心配になってきたよ」


 ええ、サンドバックでも殴らなきゃ、やってられない人生ですが、何か?

 俺は先生を宥めながら、腕にグローブをはめた。


「八つ当たりみたいな運動にリラクゼーション効果があるとは思えないけど、どうしてもやらなきゃいけないのかい?」


 中々往生際が悪い。


「騙サレタト思ッテ、ヤッテミテヨ! トッテモ気持チヨクナルカラ!」

「どうして片言なんだ……。そんな誘い文句に乗ってくる輩はすでに正気じゃないだろう」


 笑顔で送り出すと、赤羽先生はやる気がなさそうに、グローブをあて始めた。

 意外と子供っぽい抵抗である。


 だが、しばらく様子を見ていると、消極的ながらも真っすぐに拳を伸ばすようになってきた。


「どうです? 体を動かしていると、気分が晴れてきませんか?」

「そうだな。君の顔を思い浮かべると、自然と力がこもってくるるよ」


 ひどい。


「俺には、先生が自分の顔を思い浮かべながら殴っているように見えますけどね」


 トンと、力任せの一発がサンドバッグを揺らした。


「さっさと本題に入ってくれないか。真綿で首を締められている気分だ。君が聞きたいのは、私が退職願いを出した理由だろう」


 茶番に付き合えないとばかりに、両腕がだらりと垂れ下がった。

 運動も決して建前で勧めたつもりは無いが、これ以上先延ばしにするのは逆効果か。


 俺は諦めて、隣の天使様に声を掛けた。


「なぁ、クレア。赤羽先生に関して、俺に一つ隠し事をしているだろ」

「えっ。何の話ですか?」


 話を振られるとは思っていなかったのか、クレアは慌てて体を引いた。


「先日、屋上で書き込み事件について話していた時、クレアは先生の話を聞いて動揺していたよな?」

「あ、あれは、ただ考え事をしていただけで――」


「その考え事とやらは、赤羽先生が過去のリアリティショーに登場していたヒロインかもしれないってことか?」

「っ……」


 以前聞いた話によると、トラブル対応に当たる天使は、主人公の簡単なプロフィールしか知らされないらしい。

 誤って個人情報を漏らさないためのルールらしいが、おそらくこの制限には穴がある。


 例えば、赤羽先生が過去のリアリティショーに登場していて、その番組をクレアが視聴者として見ていたなら、その記憶は黙認されるはずだ。

 きっと、恩師が学祭でギターを弾いたエピソードが思い出すきっかけになったのだろう。


「華菱君、話が進まないから認めちゃっていいよ」


 クレアは頑なに口を開かなかったが、赤羽先生が折れた。


「……すいません」

「君が謝る必要はないさ。むしろ気を遣わせてすまないね。私が過去を隠したがっていると思って黙っていてくれたんだろう?」


「天界で知り得た情報を勝手に暴露するのは心苦しかったので……」


 クレアが申し訳なさそうに俯くと、赤羽先生は苦笑いした。


「宇治上君の想像通り。私はヒロインとしてリアリティショーに巻き込まれた経験がある。だから華菱君の正体もすぐに気付いたよ。私の会った天使は男性だが、同じ金髪碧眼で、雰囲気も似ていたからさ」


「隆峰が主人公だと知ったのは、テラス席で俺たちの話を聞いた時ですね。もしかして、打ち上げの監督役を申し出たのも、リアリティショーの様子を観察するためだったんですか?」


「ご名答。私も隆峰君に関わる機会は少なかったからね。君の作戦に便乗させてもらったんだ」


 リアリティショーのラブコメにも様々なタイプがあるらしいので、赤羽先生が巻き込まれた物語は趣向が違ったのかもしれない。


「でも、赤羽先生の過去が、退職願いを出した話にどう繋がるんですか?」


「これまでに起きた出来事を整理すれば自ずと分かる。別の物語のヒロインだったことから考えても、赤羽先生が隆峰のヒロインとは思えない。だが、明らかに先生の周りでは小さなイベントが起きていた。アレにはどんな意図があったと思う?」


「…………もしかして、デラモテールは隆峰さんがDV被害に気付くよう仕向けていたってことですか?」


 クレアの回答に俺は頷いた。

 思い返せば、イベントの各所にデラモテールの思惑が垣間見える。


 赤羽先生を転倒させたのは足のケガをほのめかすためだし、更科が皆元を目撃したのも加害者の情報を与えるだめだったのかもしれない。


 何よりも大きな転機は書き込み事件だ。

 騒動を通して赤羽先生のトラウマを露呈させ、イベントと向き合う覚悟を隆峰に固めさせられたのだから。


 隆峰の近くにいた俺が先生の異変に気付いたのは、むしろ自然な成り行きだったわけだ。


「そして、物語の経験者である赤羽先生が、デラモテールの意図に気付いていなかったと思うか?」

「それは――」


 クレアが振り返ると、赤羽先生はその視線から逃げるように目を瞑った。


「人に指摘されると、自分の屑っぷりに胸が痛くなるね」


 綺麗な顔がくしゃりと歪む。


「全て君の想像通りさ。皆元は周囲から信頼されていて、警察に行ってもロクに話を聞いてもらえなかった。証拠を残されないよう注意を払っていたし、力で敵うはずもない。あの苦痛から抜け出す手段が、私には思いつかなかったのさ」


 先生は足の力が抜けたように座り込んだ。


「だから、矢の意図に気付いた時、主人公補正がある隆峰君なら上手く解決してくれるのではないかと安っぽい希望に縋りついた。ソレがどれだけ危険か分かっていながら、我が身可愛さに生徒を巻き込もうとしたんだ。……そんな私に、教師を名乗る資格は無い」


 良心の呵責に苛まれた結果が、今日の退職願いに繋がったのだろう。


「先生は自分を悪しざまに語りすぎじゃないですか? 先程隆峰に詳細を伏せて聞いてみましたが、赤羽先生からそれらしい匂わせはなかったと言っていましたよ。あのお人好しを巻き込むつもりなら、方法は幾らでもあったでしょう」


「君なら分かっているだろう。矢が味方してくれていたのだから、私は自分から動く必要がなかっただけだよ。…………結局、私は皆元と同じだったのさ。誰かを犠牲にして、辛い状況から自分だけ助かろうとしたんだ」


 赤羽先生が皆元と同じ?


「全然違いますよ! だって、先生は身を呈して俺を庇ってくれたじゃないですか」


 精神的に追い詰められて恋人をストレスの捌け口にした皆元と、恐怖に震えながら自分を盾にした先生では比べるべくもない。


「第一、俺と水無月が家を訪ねた時、なんで先生はリビングから動かなかったんですか?」

「…………やめてくれ」


「怪我をした証拠があって、部活で関わりの深い水無月もいた。どちらの言葉を信じるかは分かり切っていたはず。生徒を犠牲にしてでも助かろうとしていたなら、あれほど都合の良い場面は無かったでしょう。どんな状況でも先生は結局生徒を守ったはず――」


「やめてくれっ!」


 悲痛な叫びと共に、先生の目から堪えてきた涙がポロポロと零れた。


「私を、甘い言葉で惑わせないでくれっ……。限界だったんだ。壊れていく彼を見るのも、彼からの暴力も、私をひたすら否定する言葉も……もう、耐えられなかった」


 カタカタと震えながら、殻に閉じこもるように両耳を抑える。


「苦しい時も、仕事をしている間だけは、私らしくいられた。恩師のように上手く出来なくても、出来る限り頑張りたいと、心から思えていたんだ。それなのに、隆峰君が主人公だと分かった瞬間、私は彼が自分を救う道具に見えてしまった。……どうしても、私は卑怯な自分を肯定出来ないんだっ。教壇に立っていると、みんなが私を責めているように感じてしまうんだ」


 静かな部屋に、嗚咽が零れる。


 やはり赤羽先生には皆元がつけた傷が残っているのだろう。

 DV加害者は、往々にして相手の人格を否定して、自分から逃れられないように仕向けると言う。


 皆元が吐いた暴言が自己肯定感を下げ、先生自身が持っていた恩師への劣等感を増長させ、首を絞めているのかもしれない。


「勘違いしてほしくないのですが、俺は先生を説得して学校に引き留めるつもりはありません。ただ、先生がこれまで努力してきたことにも目を向けてほしいんです」


 俺は先生の近くに腰を下ろした。


「例えば、一部の生徒が赤羽先生のことを何て呼んでいるかご存知ですか? 名字の一字をとって『赤ペン先生』ですよ。先生は受け持ちの生徒のテストに、間違えたポイントとかコメントを丁寧に書きますよね。進学塾でもあるまいし、あんなことをわざわざやっているのは赤羽先生くらいだそうですよ」


 ――『宇治上君は数学の集合や背理法が苦手だったね』


 面談で掛けられた言葉は今でもよく覚えている。

 生徒の得意・不得意を把握していなければすぐには出てこないセリフだ。


 先輩に心配されるほど激務の中で、一人一人に目をかけることがどれだけ大変か、学生である俺にだって想像がつく。


「あれはただ恩師の真似をしただけだよ」

「誰かの真似事だと価値が下がるんですか? あのコメントを楽しみにしている生徒がいることは先生だってご存知でしょう」


「…………」

「それと、コレは更科が先生のために作ったものです。偶々俺の手元に回ってきたので渡しておきます」


 俺はグローブの上に赤いお守りを置いた。

 不格好な造りの表面には『恋愛成就』が刻まれている。


「社会科見学の時、先生は『恋愛絡みのお守りが欲しい』と言っていましたよね。多分冗談だったと思いますけど、更科はあの言葉を真に受けて作ったみたいです。隆峰に聞いたところ、作ったはいいが恥ずかしくなったのか、代わりに渡せと押し付けられそうになったとか」


「………っ!」


 赤羽先生の顔が再び大きく歪んだ。


「さっきの更科は言葉足らずでしたし、あの行動が正しかったとは俺も思いません」


 ただ、一部の先生から除け者扱いされている更科にとって、真正面から向き合ってくれる赤羽先生がどれだけ救いになっていたかは想像出来る。

 『諦めなければ皆に追いつける』と言ってくれた言葉を信じて、腐らず勉強していたのだろう。


 だから、裏切られたという思いも少しはあったはずだ。

 一方で、更科は『私の面倒を見るのが負担だったなら、そう言えばよかった』とも言っていた。


「多分更科への補習が先生の負担になったのかと思って、自分に憤っていた部分もあったんだと思います」


 これに関しては、俺がそう思わせてしまう発言をしたので、申し訳ない気持ちもある。


「更科に限らず、先生は他の生徒からもたくさんお守りを受け取っていましたよね。彼らがお守りを贈った理由は、先生の言っていた通り『余ったから』だったかもしれません。でもあの日、お守りに込める願いの話を聞いた生徒たちが、ゴミを押し付けるように渡したと思いますか?」


 そんなはずはないと、先生だって分かっているはずだ。

 いらないなら材料のまま処分すればいいし、人気のお守りだから誰かに譲っても喜ばれる。


「わざわざ作った以上は、日頃の感謝とか、ただ親しみを込めてだとか、些細でも確かに厚意があったはずです。少なくとも俺は、足を怪我しているのかと思って『健康祈願』を選びました」


「…っ……ぐっ……うっ……」


 嗚咽が小さな肩を揺らし、顔を覆ったグローブの端からとめどなく涙が零れていく。

 俺が先生を追い詰めてしまっているようで、胸が重くなる。

 

 気遣いは、時に渡された側の重荷になってしまう。

 相手に無理を強いる気遣いなんて、過剰な薬と同じで毒にしかならない。


「もう一度言いますが、俺は辛くても仕事を続けてほしいなんて思っていません」


 水無月の言う通り、一度仕事から離れて休む時間が必要なのかもしれない。

 再び教師の仕事と向き合えるなら、その時に立つのは花崎高校の教壇でなくてもいい。


 だが、どうしてもコレだけは伝えておきたかった。


「俺も水無月も更科も、きっと他のクラスメイトだって、赤羽先生が教師にふさわしくないなんて思っていません。そんな考えのまま、自分を責めるように辞めてほしくはないんです」


「っ……うっ、ぐっ、……うぅ、ああぁ――――」


 せきを切ったように感情が零れだした。

 幼さも感じられるその泣き声と共に、抱え込んできた苦痛を吐き出せるよう祈って、俺は遠慮がちに背中を撫でた。



 + + + + +



 それから、どれくらい時間がたっただろうか。

 しばらく動かなくなってしまったので、眠ってしまったかと思っていたら、「は、恥ずかしぃ」と、消え入りそうな声が聞こえてきた。


「冷静になってきたら、猛烈に恥ずかしくなってきた。八つも年下の生徒の前で、こんなにも取り乱すなんて……」

「あー……、いや、誰にも話しませんよ?」


 張り合うつもりは無いが、俺なんて水無月たちの前で何度取り乱したか知れない。

 思い出したら泣きたくなるので、気持ちはとっても分かるけど。


 あと、俺は一浪してるので、多分七歳差です。

 ……こだわるコトじゃないな。


「そ、そうだ! 君を力いっぱい殴ったら、この三十分くらいの記憶を吹き飛ばせるかな?」

「なんでそんな発想に!?」


 勢いよく体を起こした先生が、物騒なことを言い出した。


「少し落ち着きましょ!? なんだか瞳の奥がグルグルしてますよ!? ――ヒッ!」


 懸命の説得も空しく、凄い圧で両肩を掴まれる。


「確か、『一発殴ってもいい』と言っていたよね?」

「あれは、その、言葉の綾というか――」


「言ったよね?」

「……言いました」


 あ、俺死んだわ。

 次の瞬間、真っ赤なグローブが視界を埋め尽くした。


「うぇぇぇえ!? 樹さん!?」


 クレアの慌てた声を最後に、俺の意識は吹き飛んだ。

 まぁ、半ば脅して連れてきたことも含め、自業自得な部分も多い気がする。

 ……多分。

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