04_04__資格と自覚①

●【旧主人公】宇治上樹


 放課後、答案用紙とにらめっこをする更科の横で、俺は時計を見た。

 秒針がゆっくりと十二に近付いていく。


 八、七、六、五――


「よし!全部解き終わったぞ!」


 更科がペンを置くと同時にアラームが鳴った。


「お疲れさまです!」

「お疲れさん。俺とクレアで採点しとくから、しばらく休憩な」


「ふいー」

 風船が萎むように突っ伏す更科。

 問題を解いている最中は過剰ともいえるほど集中していたので、そりゃ疲れるだろう。


 勉強会をするにあたって小テストをしてみたのだが、想像以上に真面目に取り組んでいて驚いた。


「お、結構正解率良いな」

「そこは最近やったところだからな!」


「あれ? 私の見ている箇所は不正解が多いですね」

「そ、そこはまだやってねぇから」


 いやいや、中学時代にやっているはずなんだけどね?


 今更なので口にはしないが、やはり更科の成績は単に勉強をしてこなかった結果らしい。

 この数日見ている限りでも、物覚えは悪くない。


 真面目に勉強した部分は答えられて、それ以外はさっぱりという印象だ。

 各単元の基礎は身についている点からも、最低限で乗り切ってきた姿が目に浮かぶ。


「そういえばさぁ、あの眼鏡、結局退学したらしいじゃん」


 眼鏡?……あぁ、書き込み事件の玉川か。

 先週はドタバタしていてすっかり忘れてた。


「暴力行為だけならともかく、アカウントの乗っ取りと誹謗中傷の余罪もあったからな。教師陣も俺が擁護しなかったら、退学処分を出すつもりだったみたいだし」


 もちろん俺の提案は恨まれないための打算だが、あまりに事務的な対応で少しばかり同情した。


「それじゃあ、あの日ウチが眼鏡に手を出してたら、やっぱりマズかったよな……」


 成る程。そっちが本題か。


 多分、更科は暴力沙汰であっけなく退学に追い込まれた玉川を見て驚いたのだろう。

 あの時手を出していたら、立場が逆だったかもしれないと考えたのかもしれない。


「そもそも、更科はなんであの時、玉川に突っかかったんだ?」

「それは、あの眼鏡が上から目線で宇治上を馬鹿にしてたからムカついて……」


「えっ。そんな理由?」

「そ、そうだよ」


 てっきり、玉川が更科の態度とか服装を注意したのかと思っていたら、まさかの俺が原因?


「でも、更科は自分に売られた喧嘩以外は買わない主義じゃなかったのか?」

「だから、宇治上が馬鹿にされたから……」


 ……もしかして、俺は更科の仲間だから、俺への侮辱は更科に対する攻撃と同じって解釈なのか?

 当たり判定デカすぎない?


 思っていたより身内認定されていたことにも驚きだ。


「更科さんは情に厚いんですね!」

「そんなんじゃねぇから!」


 無邪気に感心するクレアに、更科は顔を赤くしている。

 俺も依怙贔屓えこひいき全開で肯定してしまいたいが、対話手段が肉体言語では危なっかしい。


 本人も当時の行動が正しかったと思っているわけではなさそうだ。


「自覚はあるようだからうるさく言うつもりは無いけど、義務教育と違って、高校だとあっさり切られるから気をつけろよ。あの状況で揉め事を起こしたら、隆峰に飛び火した可能性だってあったわけだし」


「そうだよな……」


 今の更科に隆峰の話題はとてもクリティカルなようで、目に見えて落ち込んでしまった。


「ウチさぁ、昔から感情任せで行動しちまうんだよな。宇治上はあの眼鏡を上手く罠に嵌めてたけど、どうやったらそんなに賢く立ち回れるんだ?」


「別に俺も正しい行動をとれているわけではないけど」


 水無月にボロクソ言われた行動を持ち上げられても気分的に複雑……。


「理性的な行動をしたいならアンガーマネジメントじゃないか? いわゆる六秒ルールとか」


「ソレは中学の教師にも言われたけど、六秒我慢しても怒りが消えたことが無ぇんだよなぁ」

「……そうか」


 気持ちは分かる。

 うろ覚えだけど、我慢していれば必ず怒りが静まるという法則でもないからな。


 俺も水無月に短絡的な行動を注意されたばかりだし、上手いアドバイスは思いつかない――――いや、更科には有効そうな方法があるか。


「それなら――」

 と、言いかけたところで、ノックの音にさえぎられた。


 振り返ると水無月が教室の入り口に立っている。


「樹、ちょっといいかしら」

「……いいけど」


 なにやら固い表情をしていたので、俺は二人に断って席を立った。


「おい、クレア。彼氏が水無月センパイにとられちまっていいのか?」

「へ? 彼氏、ですか?」


 更科の頓珍漢とんちんかんな心配は当然スルーだ。


 教室の外へ出ると、水無月はわざわざドアを閉め直して声を落とした。


「これはさっき偶々職員室で耳にした話だけど、しばらくは他言無用でお願い」

「はぁ、分かった」


 慎重な前置きの後でも、水無月は迷うように唇を撫でる。


「ついさっき、赤羽先生が退職願いを出したの」

「……は?」


「一応言っておくけど、すぐに受理されたわけではないわよ。最近は人手不足だから、いったん教頭先生の説得で留意されたみたい。私が見た時には荷物をまとめて帰るところだったわ」

「でも、なんで突然退職なんて」


「知らないわよ。……もちろん私たちが口を出す話でないのは分かっているけど、先日も表情が暗かったし――」


 直後、教室の扉が開かれ、更科が勢いよく駆け出して行った。


 呆気にとられていると、遅れてクレアが顔を出した。


「ご、ごめんなさい。私は止めたんですけど、話が気になると言って聞いてくれなくて」

「っ……!」


 盗み聞きって、アイツは小学生かよ!?


「ちょっと、呆けてないで追うわよ」

「お、おお」


 俺も慌てて廊下を蹴ったが、更科の足が速い。

 スタートの差が大きすぎて、中々距離が縮まらない。


 ただ、目的地は見当がついた。

 体育館横の職員駐車場だ。


「俺は最短ルートで行くから、二人はこのまま追いかけてくれ」


 念のため保険を掛け、廊下を曲がった。

 階段を駆け下り、運動部を横目に小体育館の横を突っ切る。


 ようやく駐車場にたどり着き、赤羽先生の姿を確認した直後、更科が現れて先生の胸倉を乱暴に掴んだ。


 俺は横からその腕を掴み、肘で先生との距離を離す。

 こういった状況では握力で締め上げるのが王道だが、掴んだ手首の細さに躊躇ためらってしまった。その隙に更科が思い切り吠えた。


「教師を辞めるって、どういうことだよ!!」


 赤羽先生は目を丸くした後で、すぐに気まずそうに俯いてしまう。

 相手が更科だからか先日のような動揺は見られないが、生気が感じられない。


「『諦めなければ皆に追いつける』とか、『分からないところがあれば何でも聞いてくれ』とか偉そうに言っておいて、自分から投げ出すのかよっ!!私の面倒を見るのが負担だったなら、そう言えばよかっただろうがっ!!」


「お前は、注意したそばから暴走してんじゃねぇよ……!」

「ぅるせぇ!」


 乱暴に振り払われる手をなんとか抑えこむ。

 細腕に見合わない馬鹿力だが、クレアと違って、ただの力任せなのが救いだ。


「頭を働かせろよ更科っ! ここで怒鳴り散らして、お前は何がしたいんだ!? 暴力で屈服させて、恐怖で従わせられれば満足なのか!? 、少しは考えてみろよ!」

「……!」


 敵意に満ちた猫目が、大きく揺れた。


 更科の力でねじ伏せるスタイルは、中学時代の荒れていた環境ではある意味合理的だったのだろう。

 だが当然、世間でソレは認められない。


 歪んでしまった認識を中々正せないなら、視点を別の誰かに置き換えて自分を見ればいい。


 生真面目な隆峰は、更科が誰かに危害を加えることも、その罰を受けることも望まない。

 更科だって少なからず隆峰の善性に惹かれたのだろうから、想像はしやすいはずだ。


「クソッ……クソッ!!」


 悪態をついて、更科は手を振り払った。

 俺はよろけた先生を慌てて支える。


「お前のことなんか、もう知るかっ……!」


 赤羽先生を睨む更科の目には、怒りよりも置き去りにされる寂しさが滲んでいるように見えた。


「更科っ!」

 俺の制止を聞かず、更科は踵を返す。


「すまん。任せてもいいか」

「ええ」


 離れて見守っていた水無月とクレアに先生を預け、俺は不機嫌そうな背中を追った。


 周囲を見渡す限り、幸い他の生徒には見られていなさそうだ。

 声は聞かれたかもしれないが、赤羽先生の名前は出ていなかったはず。


「ついてくんな!帰るだけだ!」

「そう言われてもね……」


 今の更科は文字通り一触即発で、誰かとぶつかれば即ストリートファイトを始めそうな剣幕だ。


「やり方は良くなかったけど、先生に辞めてほしくなかったからあんな行動に出たんだろ?」

「うるせぇ!」


 駄目だ。取り付く島もない。

 下手に話しかけてもヒートアップさせるだけなので、黙って歩こう。


 幸い放課後で人通りも少ないため、余計な騒ぎを起こさず教室に戻ることが出来た。

 更科は教科書を詰め込み、鞄を掴む。と、勢い余って零れたが俺の足元まで転がってきた。


「……コレって、もしかして」

「そ、そいつはもういらねぇから捨てとけ!」


 更科は動揺を隠しきれないまま、捨て台詞を吐いた。

 乱暴な歩き方が駄々をこねる子供のように見えてきて、思わず苦笑いしてしまう。


 あまり人のことは言えないが、アイツ本当に不器用だな……。




「樹、コッチよ」


 更科の帰りを見届けて駐車場に戻ると、水無月たちは少しだけ場所を移して待っていた。


「先生、大丈夫ですか?」

「あぁ、問題ない。更科君のことも騒ぎ立てるつもりは無いよ。期待を持たせておいて一方的に梯子はしごを外したのは私だからね」


「先生が責任を感じる必要はないと思いますよ。元を辿れば勉強をしてこなかった更科が悪いんです」


 先生は否定とも肯定とも取れない曖昧な表情で首を振った。


「仲裁に来てくれて助かったよ。それじゃあ、また明日」


 力なく立ち上がると、駐車場の奥へ歩いて行く。


 その後ろ姿に声を掛けようか迷っていると――


「先生が退職願いを出した理由について、貴方は心当たりが出来たようね?」

「……へ?」


 心を読んだかのような水無月の言葉に、間抜けな声が漏れた。


「俺、そんなに分かりやすい顔をしてますかね?」


「ええ。先生と話をしたいけど、自己満足だし傷口を広げてしまうかもしれないと迷っている顔をしているわよ」


 ソレどんな顔?

 図星だから反論する気も湧かんけど……。


「今回も妄想の類だし、合っているかは分からない。でも、黙っていたら後悔しそうな気がする」


「そう……。それなら、私は生徒会の用事もあるから任せるわ。くれぐれも無理やり留めさせるような真似はしないでね。仮に退職が逃避行為だとしても、今の先生には必要かもしれない。その辺りの機微きびは、貴方もよく分かっているでしょうけど」


 冗談めかしてはいるものの、中々耳に痛い一言だ。

 気まずく返事をすると、水無月は表情を緩めて去っていった。


「クレアは――」

「行きます!」

「お、おお」


 一緒に来てくれると助かるのでありがたいが、食い気味だな……。

 背中を押してもらったので、俺は覚悟を決めて足を前に踏み出した。


「赤羽先生。俺、良い気分転換の方法を知っているんですけど、ちょっと付き合ってくれませんか?」

「……気持ちはありがたいが、今は一人にしてくれないか?」


「ん~。先生の気持ちはもちろん尊重したいですが、先生は先日の件で俺たちに一つ貸しがあると思いません?」

「そ、それは……」


「先に種明かしをしておくと、軽く体を動かすだけです。運動がストレス発散に良いのは、脳のメカニズムからも間違いないですし」

「…………ハァ。分かったよ。確かに恩を返さないまま去るのは気詰まりだと思っていたからね」


 そう言って先生はがっくりと肩を落とした。

 よし。まず一つ目の壁は乗り越えたな。


「い、樹さん、さっき水無月さんが無理強いはしないようにと仰っていたのに……」


 クレアがドン引きしながら呟いた。


 勝手に首を突っ込んで報酬を寄越せという、当たり屋もどきの論法だが、本題とは別だからよくない?


 ……よくないですよね。

 必ず埋め合わせはするので許してください……。

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