04_03__ラブコメの裏のサスペンス劇場③

●【旧主人公】宇治上樹


 その後、鏑矢さんが皆元の父親と共に駆け付けてくれた。

 抜け殻状態の息子を退室させると、父親は端正な顔を歪め、深々と頭を下げた。


「この度は愚息がご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありません。手前勝手とは承知しておりますが、本日は状況を整理するためにお暇させてください。謝罪は改めて機会を設けさせていただきますので――」


 今更という気もするが、俺と水無月は部外者なので、大人たちのやり取りを離れた場所から見守っている。


「クレアさんと今から合流するのは難しいから、今日はこのまま切り上げてもらうわね」

「お、おう」


「それと、後で鏑矢さんへのお礼に、菓子折りでも買いに行きましょうか。本人は『また借りが出来た』と仰っていたけど、色々と動いてもらって、何もしないわけにはいかないし」

「そうだな」


「……何? さっきからチラチラ見られて鬱陶しいんだけど。言いたいことがあるならハッキリ言って」


「ぅぐ……。あの、さっきは水無月を置き去りにして部屋へ飛び込んで、すみませんでした」

「ああ、その件ね。確かに、皆元がすぐに貴方を追いかけたからよかったものの、さすがに私も冷や汗をかいたわ」


 ですよね……。

 単細胞でごめんなさい。


「膝の血に気付けなかった私が言うのもお門違いだけど、あの時は空気の読めない子供を演じてごね倒せばよかったのよ。『何時間でも待つ』と言えば、大抵の言い訳は封殺できる。騒ぎになって困るのは向こうだし、外出の予定さえ取り付ければ、先生に手を出す危険はないのだから」


「でも、強情に先生を外へ出そうとしなかった場合は?」


「その時は彼の父親に適当な用事を作ってもらって、外におびき出せばいいわ」

「……言われてみれば、とっても簡単な方法があったな」


 俺の暢気な言葉を聞いて、水無月はジト目で左頬を突いてきた。

 いや、ちょっと、触られると、まだ傷が痛むんですけど……。


「前回に引き続き、貴方は体当たりで解決しすぎよ。安易に危ない橋を渡るのは控えなさい」

「……へい」


 至極ごもっともな意見でございます……。

 


 反省会をしている間に、即席の話し合いも終わったらしい。

 鏑矢さんたちは引き上げ、戻ってきた赤羽先生は俺たちの正面に腰を下ろした。


「詳細はまた後日詰めるが、向こうの提案を受け入れることにしたよ。聞いた限りでは、全面的に私の意向を汲んでくれるようだからね」


「分かりました。もし納得出来ない部分があれば遠慮なく押し切ってください。交渉の主導権は先生にありますし、何かあれば私たちも話を聞きますから」

「……なんだか場慣れしているね。君たちが本当に高校生か疑わしく思えてきたよ」


 赤羽先生は苦笑い気味に肩を竦めた。


「それじゃあ、改めて聞かせてもらってもいいかな。宇治上君はいつ、私が暴力を受けていると気付いたんだい?」


「あー……、俺が気付いたのはあくまで些細なことですよ。今朝鏑矢さんに話を聞くまで確証はありませんでしたし」

「それはそうなんだろうけど、気になってね」


 ふと、赤羽先生は探るような――あるいは、怯えるような目で俺を見た。

 その意図を掴みかねていると、水無月に横から小突かれた。


「形はどうあれ、隠し事を暴かれたのだから、盗聴器でも仕込まれたように感じてもおかしくないでしょう。貴方自身のためにも、ちゃんと説明しなさい」


「な、成程……。いや、俺も別に説明が面倒だったわけじゃないからな?」


 俺は小声で弁明し、咳払いを挟んだ。



「最初に違和感を持ったのは、面談でイベントが起きた時です」


 当時、赤羽先生は机に足をぶつけて隆峰の背中に倒れ込んだ。

 その様子を見ていた俺は、衝撃の割に大きくよろけたのが気になって、『右足を痛めているのか』と尋ねた。


「先生はすぐに否定しましたけど、注意深く見ると右足を庇う歩き方をしていましたよね?」


 歩き方の癖かとも思ったが、後日確認した際には同じ歪みは見られなかった。

 だから、俺はなぜ不調を隠すのか気になっていたのである。


「あの時か……。私も咄嗟に否定してしまったが、失敗だったと後で気付いたよ。隠し事があると、いらない嘘までついてしまうものだね」


 赤羽先生は眉を下げて、右足をさすった。


「もちろん俺もこの時点では深刻に考えていませんでした。DVの可能性に思い至ったのは、書き込み事件で玉川が激昂した時です。先生の動揺振りは、犯人の剣幕に驚いただけには見えませんでしたから」


 おそらく暴れる男の姿がトリガーになり、赤羽先生自身の体験がフラッシュバックしたのだろう。


「振り返ってみれば、赤羽先生は社会科見学でも引っかかる反応をしていました」

「更科君が彼氏の話題を出した時かい?」


 ソレも切っ掛けの一つだが、もっと強く印象に残っていた点がある。


「先生は神社で右手をこんな感じで動かしていましたよね」


 俺は先生に向かって右手を開いた。

 そこから親指を曲げ、一拍置いて残りの指を全て閉じる。


「これはDV被害者が助けを求める時に使うハンドサインですよね」

「……よく知っていたね」


「当時は俺も知りませんでした。何かのおまじないかと思って覚えていただけです。意味は水無月に教えてもらいました」


 先生は自分にだけ見えるように行っていたので、精神状態を保つルーティンみたいなものだったのだろう。

 あるいは、場所が神社なだけに、神頼みの意味もあったかもしれない。


「成程、私は気づかないうちにボロを出していたのか」


 赤羽先生は小さく息を吐いて、リビングを見渡した。

 俺たちもつられて、その視線を追いかける。


「DV被害者の決まり文句を言うようだが、彼も元は暴力を振るうような人ではなかったんだよ」


 シンプルながらもお洒落な室内には、二人が上手く付き合っていた頃の面影が残っているような気がした。


「俺、余計なことをしましたかね?」


 卑怯な質問かもしれないと思いつつ、口に出してしまうと、先生は驚いた顔で首を振った。


「そんなはずないだろう。私も精神的に限界だったし、一人じゃ解決策もなかった。君たちには感謝しかないよ」


 さらりと出た『限界』の一言が重い。


「多分、君たちが想像しているほど酷い目には合っていないよ。彼も証拠を残されないよう加減する理性は残っていたからね」


「それはそれで十分悪質ですよ」

「…………そうか、そうだな。私も感覚が麻痺しているのかもしれない」


 赤羽先生は声を震わせたが、揺れる瞳から涙は零れなかった。


「えっと、もしよかったら、俺を皆元だと思って一発くらい殴っておきます? 気分がスッとするかもしれませんよ?」


「貴方ね……。その言い方だと殴ってほしいみたいじゃない。ついにソッチの趣味に目覚めたの?」

「俺が被虐趣味に目覚めたとしたら、原因は水無月たちのせいだろ」


 中学時代に俺が受けた暴力の四割くらいは、かなり理不尽だったんですが?


「な、何事も人のせいにするのは良くないんじゃないかしら」


 じっと見つめていると、さすがの水無月も目を逸らした。

 自覚はあるようでなによりだ。


 赤羽先生は俺たちのコントを見て薄く笑った。


「可愛い生徒に手を上げるつもりは無いさ。……つまらない話を聞かせて悪かったね。まだ日は高いが、帰りは車で送っていこうか?」

「いえ、先生もお疲れでしょうから」


「そうだな……。それじゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらうよ。君たちも気を付けて帰りなさい」


 赤羽先生に見送られて、俺たちは部屋の外へ出た。

 夏を先取りした日差しに、一瞬目が眩む。


 帰りのエレベーターを待っている間、俺たちは自然と顔を見合わせた。


「口では否定していたけど、やっぱり赤羽先生はまだ皆元に未練があったのかな?」

「いいえ。あの言葉は嘘ではなかったと思う」


「それにしては表情が暗かったよな。……もちろん、すぐに気分を切り替えられるはずはないんだけどさ」

「言いたいことは分かるわ。私も上手く言葉に出来ないけれど、先生の中で別の何かが影を落としている気がするのよね……」


 水無月の言葉に俺も頷いた。

 事件は終わったはずなのに、パズルのピースが余ってしまったような違和感が、頭から離れなかった。

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