03_08__反省会①
〇【新主人公】隆峰宙
部屋の扉が再び開くと、駆け付けた先生たちは中の光景を見て顔を強張らせた。
「これは思っていたよりも派手な騒ぎがあったようですね」
聞き覚えのある声がして、一人の男性が前に進み出る。
「え。なんで――」
「初めまして。S県警の鏑矢です」
「警察!?」
鏑矢さんは自然な動作で、口の前に人差し指を立てた。
その意図を汲んで、僕は慌てて口を押える。
「……警察の方が、なぜ学校にいらっしゃるんですか?」
宇治上先輩も目を見開いていたけれど、すぐに初対面の振りをして尋ねた。
「実は先日、『花崎高校のホームページに他人を貶める書き込みがあった』と匿名の通報があってね。普段はそんな通報で動くことはないんだが、ちょうど県内でネット犯罪への対策強化を打ち出していたから、事情だけでも伺おうとやって来たのさ」
鏑矢さんは周囲の注目を集めながら、軽い足取りで部屋へ入った。
「君が被害者の宇治上君だね。犯人を告発したところ、逆上されたので取り押さえたと聞いているけど、間違いないかな?」
「はい」
「OK。それじゃあ、そろそろ手を放してあげたらどうだい? 下の彼も傷のついた経歴に、公務執行妨害を付け足す元気はないだろう」
先輩は大きく頷いて後ろにさがる。
一方の玉川先輩は、ぐったりしたまま起き上がろうとしなかった。
「玉川徹君だね。暴力行為については反論の余地がないとして、学校のサイトに宇治上君を中傷する投稿を上げたのも、君で間違いないかな?」
「……はい」
「分かった。詳細は後で聞かせてもらうとして、まずは傷の手当てをしてもらおう。力任せに殴ったせいで拳が酷い有り様だ」
玉川先輩が促されて部屋を出て行くと、先生たちが鏑矢さんの近くに集まってきた。
「我々はこれからどうすれば……」
「そうですね。子供同士のことですから、署に連れて行く前に両者から事情を聞きましょう。静かに話を聞ける部屋はありますか? もし可能なら、加害者のご家族にも連絡していただければ助かります」
「成る程。分かりました。至急対応します」
「お話し中すいません」
宇治上先輩が小さく手を上げて、大人たちの間に割って入った。
「両親との話し合いに、俺も同席させてくれませんか? 事と次第によっては、今回の件を警察沙汰にするつもりはないので」
「え!?」
驚いたのは僕だけではなかったようで、先生たちも呆けた顔で固まっている。
まるで全ての決定権を持つかのように、視線が鏑矢さんに集まった。
「……名誉棄損はともかく、傷害罪は被害届が無くても起訴が出来る。無論、被害者側の意見は尊重されるが、寛容な対応が必ずしも加害者のためになるとは限らないよ?」
「分かってます。けど、子供同士の喧嘩なら大抵は厳重注意で済ませるはずです。俺も必要以上に煽ってしまいましたし、反省しているなら大事にはしたくないんです」
「あの、刑事さん、本人もこう言っていますし……」
「っ!」
名前も知らない先生の、おもねるような声で頭がカッと熱くなった。
あの人はただ、事件を無かったことにしたいだけだ。
先輩の意思を汲んだわけでも無ければ、心配だってしていない。
感情のまま責め立てたい衝動に駆られた僕と違って、宇治上先輩は眉一つ動かさなかった。
その様子を見て、僕はなぜか泣きたい気分になってきた。
「分かりました。宇治上君の言い分は尤もですからね。ただし、話し合いがどう転ぼうとも、医者の診断書をもらうことが条件だ。証拠はしっかり残しておかないとね。それと、君も早く保健室で怪我を診てもらおう」
その一言で場の空気が一気に緩む。
先生たちが慌ただしく動き始めた隙に、僕は宇治上先輩に近付いて声を掛けた。
「この後、少し話せませんか?」
「構わないが、話し合いと診察の後だから、何時になるか分からないぞ?」
間髪入れずに頷くと、先輩は呆れたように笑った。
+ + + + +
聞き込みに付き合ってくれた更科さんにお礼を言って別れ、僕は宇治上先輩を待った。
一人で淡々と今回の騒動を思い返す。
混乱続きで頭は重いのに、視界だけはやけにハッキリとしていた。
「お。隆峰君じゃないか」
玄関で待っていると、帰り際の鏑矢さんが通りかかった。
「……鏑矢さん、警察の方だったんですね」
「黙っていて悪かったね。職業を明かすと、今の君みたいに身構えられちゃうからさ」
「うっ。すいません」
「別に責めているわけじゃない。君みたいな反応はむしろ可愛らしい部類だ。俺が嫌いなのは公務員を便利屋みたいに考えている連中でね。警官になった途端、知り合いが身近なトラブルを相談してくるのは、俺を含め多くの同僚が経験している。プライベートで謎の権利を主張してくる馬鹿と付き合うのは面倒臭くてさ」
「そ、そうですね……」
言い回しは乱暴だけど、真っ当な理由だと思う。
喋っている内に愚痴モードに入ったのか、鏑矢さんは疲れた顔で壁に手をついた。
「警官なんてただでさえ苦労が多いのに、非常識な通報も多くてさ。極端な例だと、飛行機の時刻に遅れそうだから送迎してくれだの、家の鍵を無くしたから何とかしろだの、正気を疑いたくなる通報までかかってくる。警察をなんだと思っているのかね。どうせなら旨味のあるネタでも持って来いって話だよ」
「……旨味?」
「ああ、すまん。話がそれてしまったな。きっと隆峰君が知りたいのは、今日の話し合いの結果だろう」
「教えてもらえるんですか?」
「どうせ遅かれ早かれ耳に入るだろうからね」
鏑矢さんは軽い調子で、ガムを口に放り込んだ。
「結論から言えば、玉川君は退学するらしい。宇治上のとりなしで自主退学勧告まで抑えられたが、罪を暴かれてまで残る根性は無かったようだ。暴行についても、今後問題を起こさないことを条件に不問になった。俺からも強く念押ししておいたから、再犯の可能性は低いだろう」
宇治上先輩の温情に、玉川先輩一家は泣きながら謝罪と感謝を述べていたらしい。
「宇治上も上手く立ち回れるようになったもんだ。俺の事情を汲んで先回りしてくれた点を加味すれば、満点と言っていい出来だったよ」
「鏑矢さんの事情、ですか?」
「ああ。学校に乗り込む口実が大分苦しかったからね。学校にいたことを説明しづらいという意味で、事件化されて困るのは俺も同じだったのさ。部署も全然違うし」
……もしかして、完全な職権乱用だったのかな?
「それじゃあ、後々先生から警察に連絡がいったらまずいのでは?」
「連絡先には俺の携帯電話を伝えておいたが、バレたら懲罰ものかもな。万が一の時は、お偉いさんのツテを頼って口を利いてもらうさ」
僕は今、とっても黒い話を聞かされているのかもしれない。
快活に笑う鏑矢さんの横で、少しだけ身震いした。
「俺はそろそろ帰るよ。宇治上はこれから提携先の病院に行くそうだ」
「ありがとうございます。それじゃあ、僕もそちらに向かってみます」
折角時間を作ってもらったので、再び学校に戻ってきてもらうのは申し訳ない。
僕は病院の名前だけ教えてもらって、鏑矢さんを見送った。
+ + + + +
「メッセージは見たけど、本当に来たのか」
病院に着くと、宇治上先輩の呆れ顔で迎えられた。
既に診察は終わっており、付き添いの先生の送迎を断って待っていてくれたらしい。
やっぱり後日にしてもらえばよかったかもしれない。
考えが至らなくて余計な手間をかけさせてしまった……。
「それで、話って何だ?」
診察時間は終わっていたので、僕たちは病院横の公園に場所を移した。
これから話す内容は、答え合わせに似た僕の自己満足でしかない。
先輩に回答を拒まれた場合は潔く引き下がることを心に決め、お腹に力を込める。
「宇治上先輩は、玉川先輩を退学させるためにわざと殴られたんですよね?」
「……なぜそう思ったんだ?」
先輩は驚くでもなく、リアリティショーの講義のように尋ねてきた。
「あの時全く動けなかった僕が言うのもおこがましいですが、玉川先輩はとても喧嘩に慣れているようには見えませんでした。普段の講義を見る限り、宇治上先輩が対処できなかったとは思えません」
玉川先輩が大きく振りかぶったテレフォンパンチだったのに対し、宇治上先輩は倒れ方も、取り押さえ方も模範のような動きだった。
「俺だっていつでも万全に動けるわけじゃない。恐怖で動けなかっただけかもしれないぞ?」
もちろんその可能性は否定できない。
でも、宇治上先輩は会話の中で明確に挑発したタイミングがあった。
「宇治上先輩は玉川先輩が事件を起こした動機を知っていて、あえてみんなの前で聞きましたよね?」
「……隆峰も気付いていたのか」
「いえ、僕が気付けたのはついさっきです。ただ、坂巻先輩に明瀬新聞を見せてもらったので、元々手掛かりは揃っていました」
鍵はチャットにアップされた写真の内、水無月先輩の写真だけ明るさやコントラストが違っていた点だ。
明瀬新聞では差がなかったので不思議に思っていたけど、答えは至極単純。
水無月先輩の写真だけ、スキャナーで取り込まれた画像じゃなかったからだ。
新聞部に在籍していた玉川先輩は、おそらく原稿データを無断で持ち出したのだと思う。
データを持っていたから、プリントは処分して手元に無かったのかもしれない。
だから玉川先輩は水無月先輩の写真だけは、カラーデータを他の画像と同じに見えるよう編集ソフトで調整して代用した。
チャットにアップされた写真だけなら気付きにくい差でも、元の学校新聞と比べるとどうしても違和感は残ったのだろう。
なぜ水無月先輩の記事だけ持ち出したのかは考えるまでもない。
「きっと玉川先輩は水無月先輩に好意を持っていたんだと思います。そして、それが宇治上先輩を逆恨みした理由じゃないでしょうか」
そう考えれば、水無月先輩が調査に加わらなかった理由も納得できる。
犯人の動機に気付いていた先輩は、宇治上先輩と一緒に行動すれば犯人を刺激すると考えたからだ。
「宇治上先輩は危険な玉川先輩を水無月先輩から遠ざけるために、あえて挑発したんじゃないですか?」
考えていた内容を話し終えると、喉が乾いて思わず唾を呑む。
宇治上先輩は強張った僕の顔を見て、気の抜けた笑みを浮かべた。
「玉川の動機については正解だろうな。ただ、俺が水無月のために体を張ったと考える辺りは、いかにも隆峰らしい」
「……違いましたか?」
「違うな。俺だって最初から玉川を潰すつもりで臨んだわけじゃない。一連の騒ぎを見て反省しているようなら、水に流すことも考えていた。動機を尋ねたのは、素直に話すかどうかを確認したかったからだ。……まぁ、直前のやり取りで無駄だと悟っていたけどな。玉川は演技でも謝罪が出来ないプライドの塊だ。告発しただけで終わらせると、俺への逆恨みを悪化させる危険があった」
「それは――」
今日の玉川先輩の様子を見ると、無いとは言い切れない。
「だから、玉川の暴走は一つの展開として予想していたが、あの挑発は出方を探るための試金石だったんだ」
「……そうなんですか」
宇治上先輩は玉川先輩の人となりを知らなかったみたいだし、煽られたとはいえあの場面で殴り掛かるのは明らかに異常だ。
そんな非常識な行動を前提とするよりは、確かに筋も通っている。
僕の考えすぎだったらしい。
「デラモテールの干渉があったにせよ、やはり今回は俺の物語の延長線で起きた騒動だったな。ただ、隆峰の物語で起きてもおかしくないことは覚えておくといい。……玉川みたいな馬鹿が大勢いたら世も末だが」
宇治上先輩は深い溜息を吐いて、空を見上げた。
まるで研究の一例について総括するような、淡々とした口調だった。
疲れの滲んだその姿に、僕は深々と頭を下げた。
「すいません!」
「んん!? 急にどうした……」
「僕は今回の騒動で、自分の認識の甘さを痛感しました。僕はこれまで宇治上先輩に教わっている間、ずっと受け身で、先輩に助けてもらうような気持ちでいたんです」
社会は川の流れのようだと誰かが言った。
デラモテールがあっても無くても、何もしない人間は誰かが作った流れに運ばれ、翻弄されるだけだ。
「これからもたくさん頼ってしまうかもしれません。でも、いつかは自分の望む未来を自分の力で掴めるくらい、強くなってみせます」
僕の宣言に、宇治上先輩は苦笑いを浮かべて顔を伏せた。
「隆峰は俺なんかより真っ当な主人公だな」
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