02_09__打ち上げの裏側で

〇【新主人公】隆峰宙


 男子トイレを出ると、目の前の休憩スペースに足が吸い寄せられた。


 インスト曲に紛れて、近くの部屋から歌声が漏れ聞こえてくる。

 その絶叫にも似た歌い方に、ちょっと笑ってしまった。


 あれだけ思い切り叫べれば、良いストレス発散になるに違いない。

 僕だったら、一人でカラオケに来ていたとしてもきっと真似出来ない芸当だ。


「お疲れ様」

「っ……!」


「……ごめんなさい。まさか、そんなに驚くとは思わなかったわ」

「いえ、完全に気を緩めてしまっていたので」


 もごもごと言い訳しつつ振り返ると、水無月先輩が立っていた。



「貴方のグラスを洗ってきたのだけれど、何か飲む?」

「あ、ありがとうございます。それじゃあ、ウーロン茶をお願いします」


 水無月先輩が持っているグラスは、とあるクラスメイトが倒してしまったものだ。

 幸い割れはせず、中の水が僕にかかっただけで済んだ。


 多分、リアリティショーのイベントだと思う。


 動揺したクラスメイトに濡れた服を脱がされかける珍事も発生したけれど、水無月先輩が冷静に諫めてくれた。

 淡々と後始末の指示もしてくれて、僕は濡れた服を着替えるために席を立ち、今に至る。


 宇治上先輩のアドバイス通りに、タオルと予備の服を持ってきておいて本当によかった。


「貴方も苦労しているわね。しばらく席を外しても不審に思われないだろうから休むといいわ。私も少し休憩させてもらうから」


 水無月先輩は僕にグラスを手渡すと、離れたベンチに腰を下ろした。


 本当に、綺麗な人だ。

 背筋が伸び、スタイルもいいためか、人混みでも目立つ華やかさがある。


 ストレートの黒髪も、限りなく黒に近い瞳も、何物にも染められない力強さが感じられた。

 その眩しさに、僕なんかは少し気後れしてしまう。


「? 私の顔に何かついているかしら?」

「あ、いえ……」


 まじまじと見てしまっていたので、慌てて誤魔化した。


「そういえば、水無月先輩は一年生にも慕われているみたいですね。みんなに先輩を紹介した時、歓声が上がって驚きました」

「これほど熱狂的なのはさすがに初めてよ。まさか取り巻きができるとは思わなかったわ」

「なんかスイマセン……」


 その熱心なファンは、一組の女子です。


 僕が謝る必要はないけど、巻き込んでしまった手前、申し訳ない気持ちが湧いた。

 水無月先輩は女性が憧れるカッコイイ先輩という印象なので、彼女たちの気持ちも分かる。


「それにしても、今日の打ち上げを通して、ヒロインらしき人物が四名ほど見つかったわね。赤羽先生を除けば事前の見立て通りだったわ」


「僕の知る限り、皆さんに物語の話をしても気を悪くされることはないと思います」


「その辺りは説明の仕方次第ね。不誠実にならない範囲で濁すのも手だと思うわ。神様に選ばれたパートナー候補と聞かされたら、変に意識してしまうでしょうから」

「……あ、確かに」


 客観的に考えて、突然誰かに『私たちは運命の相手なの』と言われたら怖い。

 僕のように第三者の宇治上先輩から教わるのと、当人から言われるのでは印象がまるで違う。


 イベントはヒロイン以外の人とも起きるそうなので、名前が挙がっている方たちも確定ではない。

 イベント回避の方法を共有することが一番大事なので、ノイズになる情報は伏せておくべきかもしれない。


「……今更ですけど、水無月先輩もリアリティショーの話を信じているんですね」

「あら、私が信じていたらおかしい?」


 揶揄からかうような笑みを向けられ、心臓が跳ねた。


「い、いえ。ただ、成績優秀と伺っていますし、話していても頭の回転が早いと感じるので」


 答えになっていないな、と我ながら思う……。

 僕のしどろもどろな様子がおかしかったのか、水無月先輩は気の抜けた笑みを浮かべた。


「私も、手放しにクレアさんの話を信じているわけではないわ。けれど、どんなに穿った見方をしたところで、おかしな偶然が何度も起きた事実は変わらない。それを、『運が悪かった』で片付けるよりは、説得力があると思っているだけよ」


 それじゃあ、水無月先輩は宇治上先輩と相性が良いという話も、疑ってはいないのかな……?



「お! 聞き覚えのある声がすると思ったら、水無月のお嬢さんじゃないか」


 突然聞こえてきた声に振り返ると、体格のいい男性が陽気に片手を上げていた。


 年齢は三十代の中頃だろうか。

 首元を緩めたスーツが、良い意味で力の抜けた大人な雰囲気を感じさせる。


「鏑矢さん、どうしてここに? ……あぁ、サボりですか」

「待ってくれ。なぜ真っ先にソレが思い浮かぶ。土曜日に頑張って働く会社員に向かって酷い言い草じゃないか」

「会社員……」


 鼻白んだ調子で、水無月先輩が復唱した。


「その真面目な会社員が、夕方にカラオケで何のお仕事ですか?」

「だからちょっと休憩していただけさ。時間を自由に使えるのは、外回りの特権だろう?」


 水無月先輩が大人の男性と気さくなやり取りをしていて驚いた。

 丁寧な口調ではあるけれど、気心が知れている相手だと分かる。


「おや? 随分とカッコイイ子がいるじゃないか。新しい彼氏かい? 宇治上には愛想が尽きちゃったかな?」

「違います。あまり失礼なことを言っているとセクハラで訴えますよ」


「おいおい、やめてくれよ。最近そういうのはウチのカイシャでも敏感でな。冗談でも背筋が寒くなるじゃねぇか」

「冗談で済むかどうかは鏑矢さん次第ですね」

「おぉ、怖っ」


 同意を求めるように視線を向けられたので、苦笑いしておく。


「隆峰君、相手にしなくていいわよ」


 ど、どうすればいいのだろう……。

 板挟みにされた気分で、頬が引きつった。


「ふむ。隆峰君というのか」


 鏑矢さんは口の端を持ち上げて僕を見た。

 顔を近づけてくると、甘い煙の香りが漂ってくる。


「水無月さんは気難しいところもあるけど、根は良い子だ。よければ仲良くしてやってくれ」

「は、はい」


 内緒話には大きな声だったので、水無月先輩が肩を竦めた。


「それじゃあ、お邪魔虫はこの辺りで退散するよ。君たちには借りがあるからな。困り事があれば、ぜひ声を掛けてくれ」

「そんな機会がないことを祈っていますけどね」


 水無月先輩が瞑目して応じると、鏑矢さんは「もっともだな」と笑って去っていった。


「……えっと、あの方は?」

「中学時代にお世話になった鏑矢さんよ。当時はイベント絡みで学外の方と関わる機会も多かったから」

「はぁ。大人と縁があるって凄いですね」


 世の中には学生の内に起業し、商談をする高校生もいると聞くけれど、似たような雰囲気かな。

 なんというか、とても大人っぽいやり取りだった気もする……!


「なぜそんなにキラキラとした目を向けてくるのか分からないけど、多分誤解しているわよ。顔を合わせれば挨拶する程度だから。それに、アルバイトでもすれば大人と関わりがあるのなんて普通でしょう」

「……言われてみればそうですね」


 僕も実家のパン屋で働いてはいるものの、店内がほぼ身内だけなので、お手伝いの空気が拭えない。


 

「話を戻すけれど、神様のリアリティショーなんて話を信じなくても、やるべきことは変わらないわ」


 水無月先輩は仕切り直すように、腰を下ろした。


「大切なのは優先目標を固めておくことね。身の安全か、周囲の評価か、あるいは仲間内の交流か――何を大事にするかで、とるべき行動も変わってくる。周囲への気遣いは必要だけれど、貴方たちも巻き込まれた立場なのだから、卑屈になる必要はないわ」


「ありがとうございます。宇治上先輩にも似たようなことを言われました」

「……そう」


 あれ? ちょっと難しい顔になってしまった。

 宇治上先輩と同じ助言をしたことが嫌、とかでなければいいけど……。


「それと、何の救いにもならないでしょうけど、現状私たちの中学時代よりは大分マシだと思うわ」


「先輩たちの物語はかなりハードモードだったんですね……」

「アレはね。不快で愉快な生ぬるい地獄のカーニバルよ」


 あ、水無月先輩も中学生時代を思い出すと目のハイライトが消えるみたいだ。

 表現も大分混沌としている。


 頼りになるお二人でさえ手を焼く物語って、どれだけ過酷だったのかな?

 知りたいような、知りたくないような……。


「そ、そういえば、先輩たちの物語はどんな形で終わったんですか?」


 僕は話題を変える意味も込めて、気になったことを尋ねた。


「……さぁ、知らないわ」

「え?」


 素っ気ない返事に戸惑い、遅れて、自分の質問の仕方が悪かったと気付いた。


「すいません。物語という言葉で漫画や小説と同じように考えていましたけど、現実の生活を線引きするのは難しいですよね」


 神様のリアリティショーが終わっても人間関係は続くし、変化もする。

 神様が勝手に決めた区切りに意味は無いのかもしれない。


「そうじゃないの」


 小さいけれど、強い意思を感じる声に耳を引かれた。

 水無月先輩は僕から視線を逸らし、さりげなく表情を隠した。


「物語の終了時点に限定すれば、貴方の質問には答えられる。でも、そんな区切りが意味を無くすくらい、私たちの関係はある出来事で大きく変わったの。その一件の後で、樹は私たちから明確に距離を置いた」


「ある出来事って、……一体何があったんですか?」


「だから、知らないの。私たちは断片的な情報しか持っていない。全てを知っているのは、樹とだけ。樹は頑なに口を開かなかったし、彼女には話を聞くこともできなかった」


 近くの部屋から聞こえていた歌声はいつの間にか途絶え、アップテンポな曲だけが場違いに響く。


「悪いけど、樹にもその質問はしないであげて」

「は、はい」


 振り返った水無月先輩は、固くなった僕の顔を見て表情を緩めた。


「ごめんなさいね」


 その小さな笑みを見ていると胸が詰まって、強く首を振ることしかできなかった。

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