02_08__【幕間】天使様の地上生活奮闘記③
●【旧主人公】宇治上樹
「というわけで、申し訳ないけど、今日一日だけクレアを家に泊めても大丈夫――」
「モチロンよ!」
「……ですよね」
帰宅したマナさんに尋ねたところ、食い気味に許可が下りた。
所持金の少ない学生に用意できるのは、結局自宅しかないのである。
ただ、マナさんの上機嫌な様子を見ていると、俺の判断が正しかったのか不安になってきた。
「ありがとうございます! マナお姉ちゃん!」
「よし、ストップだ。『マナお姉ちゃん』って何?」
「え?だ って、以前お会いした時に、そう呼んでほしいと伺ったので」
「……アレはマナさんの願望が混じったジョークで、真に受けなくていいから」
「そ、そうだったんですか」
さすがのクレアも恥ずかしかったらしく、顔を赤らめて俯いてしまった。
「ぐっ……! 何なの? この天然激カワ純真美少女は? 私の中で禁断の扉が開きそう」
「開くな。今すぐその危険な扉を閉じろ」
マナさんの息遣いが荒くて怖いんだが……。
なにはともあれ、クレアの泊まりが決まり、マナさんは張り切って夕食の準備を始めた。
手伝おうとすると、「クレアちゃんがいい」と宣言され、俺は部屋の隅で大人しく丸まった。
「海老の腸抜き終わりました」
「お! 早いわね。形も崩れてないし、初めてにしては完璧なくらいよ!」
「そうですか? えへへ」
「…………」
ただの一人ぼっちよりも、集団の中で爪弾きにされるほうがキツイよね。ハハッ……。
少々おセンチな気分を味わったが、出来上がったトマトクリームパスタはとても美味しかった。
クレアも大袈裟なくらいに感動し、褒め称えられたマナさんは空を飛びそうなほど浮かれている。
「そういえば、樹さんのお家の雰囲気が以前と比べて変わりましたね。このテーブルも食器もお洒落で、とても趣があります」
「クレアちゃん、前にも家に来たことあるの?」
「えっ。いえいえ、二年ほど前、通話越しに家の中を見せてもらっただけですよ……」
失言に気付いたクレアが、目を泳がせながら言った。
多分、物語で俺を監視していた頃の話だろう。
「インテリアが変わったのはマナさんが実家に戻ってきてからだな。マナさんのお店で扱う商品を試す名目で、偶に変わっているから」
「マナさんのお店、ですか?」
「そ。家具とか雑貨を扱っているの。厳密には私は副支店長だけどね」
マナさんはタブレットを取り出し、お店の画像を開いた。
「わぁ! とっても良い雰囲気ですね!」
マナさんのお店では、個性的な家具や雑貨を多く取り扱っている。
モダンでシンプルな家具でさえ、独特なアクセントがあって、住宅メーカーの展示場でも重宝されているらしい。
「そうだ! クレアちゃんも暇な時に、うちの店でアルバイトしてみない?」
「いいんですか? こんな素敵なお店で働けるなら、私からお願いしたいくらいですけど……」
クレアはちらりと俺を見た。
いや、俺の許可がいるわけでもないだろ……。
「興味があるならやってみればいいんじゃないか。俺も展示品の組み立てとか搬送仕事で駆り出されてるし」
主人公たちのサポートに関しても、休日まで付いて回るのはしんどいだろう。
隆峰たちは関係を深めることに前向きだし、むしろお邪魔になってしまう。
基本的なガイダンスが終われば、困った時に手を貸すくらいで丁度いいかもしれない。
「それでは、日本の暮らしに慣れてきたらぜひお願いしたいです! 私の予算――ではなく、お小遣いも限られているので……」
クレアの生活費は会社から支給されているが、あくまで必要最低限らしい。
天界の技術は使えないので、資金も潤沢ではないようだ。
なお、住民票の一件があるので、天界の金策方法については聞いていない。
合法的なやり方だと切に信じたい。
「うふふふふ。クレアちゃんが働いてくれるなら、お給料には色を付けてあげるからねぇ~」
「露骨な依怙贔屓はやめろ。他の従業員に怒られるぞ」
「ちょっと、冗談に決まっているじゃない」
えぇ、なんか目の色が大分怪しかったけど……。
「だって私情は抜きにしても、輸入物も多く扱っているウチなら、クレアちゃんは良い看板娘になると思うのよね」
確かに、静かにたたずんでいる時のクレアは、天使の名にふさわしい繊細な雰囲気がある。
西洋アンティークの家具と並べば、それだけで絵になりそうだ。
口を開くと、良い意味でも悪い意味でも台無しだけど。
「樹さん、何か失礼なことを考えてません?」
「ソンナコトナイヨ?」
ジト目を向けられたので、視線を逸らした。意外に鋭い。
「それに、海外からも電話が掛かって来るから、取り次いでくれるだけでも助かるのよね。お母さまがアメリカの方なら多少は英語も話せるのよね?」
「はい。向こうでも家族とは日本語で話していました(※設定です)が、ゼンチ・ゼンノウ―――ではなくて、“ぜんじどうがたばんのーうぃき〇でぃあ”で勉強しましたから」
「ぜんじどうがたばんのーうぃき〇でぃあ?」
「え? え?」
何かおかしなことを口走ったのかと不安そうにクレアが見てくる。
これに関しては「すまん」としか言えない。
俺が変な造語を吹き込んだせいで意味不明な説明になってしまったようだ。
「まぁ、細かいことはいいけれど、もしかして英語と日本語以外も話せるのかしら?」
「はい、話せますよ」
口調からして、マナさんは冗談半分だったのだが、クレアは当然のように肯定した。
「ごく簡単な日常会話くらいでしたら、フランス語とドイツ語にスペイン語とイタリア語も大丈夫――――ひっ! い、樹さん? 目が血走っていますよ?」
「ナンデモナイヨ」
クレアが男だったら平手打ちしてでも止めているところだった。
やっぱり、早急に常識を教えないとマズイ……。
「お、恐ろしい子。この子を逃すなど、管理職として愚策の極みだわ! 弱みを握ってでも! ふんじばってでも!」
「アンタの発想のほうがよっぽど恐ろしいわ」
こんな恥ずかしい叔母を前にしても、クレアはニコニコと笑っていた。
冗談とはいえ、縛って拘束されると言われた自覚はないのだろうか?
ある意味タフかもしれない。
……ただの考えなしではないと信じたい。
+ + + + +
控えめなノックの音で目が覚めた。
「お風呂が空きましたよー」
「あぁ、うん……」
寝ぼけた頭で何とか返事をする。
夕食後、自室に戻って横になったら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
ベッドから体を起こすと、ドアが開いてクレアが顔を出した。
「すいません。もうお休みされていましたか?」
「いや、風呂には入りたかったから助かった。って何だその格好……」
「マナさんに寝間着を貸していただきました!」
クレアはワンピースシャツの袖をつまんで、両腕を開いた。
オーバーサイズのゆったりしたシルエットは可愛らしいが、上のボタンが閉じられていないせいで、襟元が大分怪しい。
「異性の前なんだから、もう少し注意したほうがいいぞ」
「はぁ……。でも、樹さんですし」
おい、失笑するな。失礼なことを考えただろ。
「百歩譲って今はいいにしても、人前ではもっと警戒するべきだ。クレアみたいに目立つ容姿をしていると、好意も悪意も人一倍集めやすい。現世に慣れるまでは、慎重なくらいがちょうどいいと思うぞ」
俺の不安をよそに、クレアは人差し指を立て、チッチッチと左右に降った。
その古臭いポーズはどこで学んだのやら……。
「心配していただけるのは嬉しいですが、樹さんは私をか弱い乙女だと思っていませんか?」
ツッコミの追い付かない天然ボケだと思ってます。
武士の情けで言わないが。
「私だって自分の身を守れるように、護身術くらいはちゃんと覚えてきましたよ」
「へー。そりゃとっても心強いなー」
「棒読みですね!? それじゃあ試しに、私に向かって腕を伸ばしてみてください」
「はいはい――ッ!?」
次の瞬間、気付くと俺はベッドに押し付けられていた。
伸ばした腕を背面に捻られ、固定されているらしい。模範的なアームロックだ。
「御覧の通り、逮捕術の基礎もちゃんと入っています。ゼンチ・ゼンノウの一番の長所は、技能さえ容易に習得できる点です。覚えた技術を保つ努力は必要ですが、現時点では樹さんにも負けませんよ」
「えぇ……、裏技じみた覚え方だな」
やたらと言語を習得していたのも、体に効率的にインプットしたからか。
「天界で道具を使う分には、ルール違反ではありませんからね。どうです? 私への認識を改めてくれましたか?」
お、おい、後ろから寄りかかってくるな。
何とは言わんが背中にでかいのが二つ当たってんだよ。
「分かった! 俺が悪かった! だから早く離れてくれ! こんなところマナさんに見られたら――」
「クレアちゃーん、未来のお姉さまが飲み物を持ってきたよーっ! ッッッ!?」
傍から見たら、ベッドの上で後ろから抱きしめられているようにしか見えないよね!
「…………」
「…………」
「ご、ごゆっくりどうぞ」
「待ってくれ、マナさん!盛大に勘違いしてるから!」
「大丈夫! 安心して! 今日はゴキゲンなヘビメタを爆音で聞こうと思ってたの! 隣の部屋でナニしてても、ヘッドバンキングしてて聞こえないから!」
「いらん! その気遣いマジでいらんから!」
「そ、そうですよ! 私たちはまだそういう関係では」
「『まだ』って、やっぱりクレアちゃん!」
「
「すすすすすいません!」
何このテンプレ展開?
全部天使様のせいや……。
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