02_03__新主人公のためのイベント対策講座③
●【旧主人公】宇治上樹
「最後はイベントに関するお勉強をしておこう」
筋トレや受け身がハード面の強化だとすれば、頭を使ったソフト面の対策だ。
「やることは大きく分けて二つ。俺の物語を参考に予め知識を蓄え、一度起きたイベントを基に次回の予防と対策を練る」
「文字通り、予習と復習ですね」
何事も小さい積み重ねが肝心だからな。
一つでも多くのケースを学んでおけば、『このイベントは宇治上ゼミで覚えたところだ!』となって対応しやすくなる。
「今日
そう言って俺は、背後の男子更衣室を指さした。
「ドアを開けたら、着替え途中のヒロインがいるパターンですね。……僕も既に経験しました」
ご愁傷様。
実際に起きているなら、なおさら対策しておくべきだな。
デラモテールはネタ被りを気にしないので、機会さえあれば似たようなイベントを仕込んでくる。
「ちなみにここでクイズだ。扉を開けずに、部屋の中が無人かどうか当ててみてくれ」
「? 誰もいるはずないですよ」
「理由は?」
「え?」
「直感も馬鹿にはできないが、合理的な思考が物語を乗り切る鍵だ。百パーセント確実と九十パーセントで勝てる賭けは違う。デラモテールが相手だと、その十パーセントが明暗を分ける」
「な、成る程」
隆峰は眉を寄せると、更衣室の扉を凝視した。
「……やっぱり誰もいないと思います。僕たちは一時間以上居座っているので、誰かがいたらさすがに顔を出したはずです。例外は仕掛け人を用意されていた場合ですが、宇治上さんはクラスでぼっちだと坂巻先輩から伺っているので、協力者がいるとは思えない――」
「OK。ストップだ。なぜか胸が痛くなってきた。それ以上は俺の柔なハートがもたない」
「す、すいません」
今日はやけに夕日が滲んで見えるなぁ。
あとで坂巻をアレと同じくらい真っ赤に染め上げないとな!
「それじゃあ、答え合わせに移ろう」
ドアの前を譲ると、隆峰は戸惑いつつゆっくり
力をこめ、一息に開けると、
「……あっ。えっと、きゃー。えっちー(棒読み)」
扉の向こうには、恐ろしいまでの三文芝居を披露したクレアがいた。
「…………」
「…………あれ? 私、何かやっちゃいました?」
無言でそっと扉を締める隆峰。
なぜか目頭を強く押さえている。
「あの、どうしてクレアさんが学校に?」
「さっき転入前の挨拶に来ていたところを偶然出くわしてな」
「さすがに、そんな事態までは予想できませんでしたっ!」
分かる。俺も見かけた時は驚いた。
雑談ついでにこの講座の話をすると、「ぜひ手伝いたい」と本人から申し出てきたのである。
やんわり断っても引き下がらなかったため、問題のトラップ役になってもらった。
「ちなみに、受け身の練習で隆峰の背中を押したのもクレアだ」
「思ったより早かった伏線回収!? アレは遠回しなヒントだったんですね」
「ヒント云々よりも、扉を開ける前に確認を怠ったのが残念だったな」
「……あ。もしかしてノックすればよかったんですか?」
「正解。俺が設けた制限は『扉を開けないこと』だけ。クレアにも何らかのアプローチがあれば、返事をするよう伝えておいた。もっと視野を広げて、狡賢く立ち回るべきだったな」
屁理屈を言っている自覚はあるが、イベントを乗り切るには、柔軟な思考が大事だからな。
「ノックは中の人への合図になりますからね」
隆峰は小さく呟きながら、コンコンコンとドアを叩いた。が、あまりにも音が小さい。
「いくらなんでも奥ゆかしすぎないか?」
「そ、そうですかね?」
「静かな場所でぎりぎり聞きとれるくらいの大きさだったぞ。デラモテールが干渉すると、雨音とかで掻き消されるだろうな」
「ノック
――――バァン!バァン!バァン!
「いやいやいや!強すぎるだろ!借金取りかよ!?」
中から「ヒィッ!」ってクレアの悲鳴が聞こえたぞ。
「す、すいません……」
ドアの表面が鋼板だから、思ったより音が出たのだろうが、隆峰も意外に天然だな。
「まぁ、俺も似たような形でイベントを回避しようとした経験があるから、気持ちは分かる。ただ、極端な対応をすると、それが付け入られる隙にもなるから気をつけろ。俺が強めにノックした時なんて、横開きのドアが縦に倒れた」
「なんで!?」
そんなもん俺が知りたい。
確かに木製の古びた扉だったけどさ。
ちょっと強めに叩いただけで、二つの
あの時は飛び上がるほど驚いた友人にも心底申し訳なかった。
悲鳴と共に飛来してきたバッグも諦めの境地で受けいれたっけ。
直後に俺の意識も飛んでいったけど。
「隆峰も気をつけろ。あのクソッたれな矢は常に干渉する機会を狙っている。ヤるかヤられるかの勝負だ」
「う、宇治上さん。目がヤバイです。殺し屋みたいになってます」
「物騒なことを言うな。俺は人殺しじゃねえ。三度くらいガチで死にかけただけだ」
「ひぇぇっ……」
隆峰は小刻みに震えながら、情けない声を漏らした。
「ちょうど一区切りついたし、今日はここまでにしておくか」
「宇治上先輩。帰る前に一ついいですか?」
「いいけど、その前になんで急に先輩呼び?」
「あ、すいません。宇治上さんはとても頼りになる印象なので……。それに、主人公としては先輩で間違いないわけですし」
「はぁ……」
年上の同級生に先輩呼びは若干煽っている気もするが、本人に悪気があるようには見えない。
むしろ、師匠を慕う弟子のような雰囲気を感じる。
ニックネームと考えればおかしくもないので、こだわるつもりはないが。
「……まぁ、呼び方くらい好きに決めてくれていいけど」
「本当ですか!」
隆峰の表情がパッと明るくなった。
仔犬だったら勢いよく尻尾を振ってそう。
先輩呼びの何が琴線に触れるのやら。
「それで本題ですけど、宇治上先輩は、パンは好きですか?」
「そりゃ好きだけど?」
「良かった。実は、祖父母がパン屋を経営しているので、イベント講座のお礼にウチのパンを受け取ってもらえたらと思いまして」
そういえば、最初に会った時も、隆峰はパンを食べていたな。
人気店のロゴが写っていたからよく覚えて――――んん?
「もしかして、そのお店って『シエル・エクトール』か?」
「ご存知でしたか。僕の祖父はそこの店長なんです」
「なん、だと……。シエル・エクトールの店主といえば、フランスの有名なブランジェのもとで修業し、某三ツ星レストランのグランシェフから熱烈なオファーを受けるも、広く親しまれる町中のパン屋を目指して固辞し、地方で有名な行列店としてバラエティ番組でも特集を組まれた、地元のレジェンドじゃないか!」
「すっごい早口! しかも詳しすぎません!? ――ヒッ!」
俺は素敵な提案をしてくれた後輩の肩を掴み、
「隆峰の気持ちはとてもありがたい。でもな、お爺様の作り上げた芸術品ともいえるパンを、無料で受け取るなんて俺には出来ない。俺ごときの
「先輩が面倒臭いオタクみたいになってる……。えっと、それじゃあ、疑似的な店員割引で半額にするのはどうでしょう? その代わり人気の商品でも大丈夫――」
「ぜひお願いいたします!」
「食い気味ですね!パンだけに!」
仕方ないだろ。
シエル・エクトールの商品はすぐに売り切れるから、学生には中々買いづらいのだ。
「よし、それじゃあ帰るか」
人目もないのでその場で制服に着替え、荷物を担いで外に出た。
ちょうど十八時のチャイムが鳴り、文化部らしき賑やかな一団が武道場を横切って行く。
「今更だけど、今日はテニス部に顔を出さなくてよかったのか?」
「大丈夫です。坂巻先輩には事情を話していますし、うちの部はとっても緩いので」
「そ、そうか」
乾いた笑みを浮かべる理由には触れないでおこう。
「あの、それより僕たちは何かを忘れている気がしませんか?」
「……言われてみるとそんな気もする。なんだっけか?」
そんなとりとめのない会話をしながら、正門に向かって歩き出した。
+ + + + +
五分後、俺たちは慌てて柔道場にとんぼ返りし、更衣室の天使様を回収した。
膝を抱えて窓の外を眺めていたクレアに、二人揃って頭を下げた。
+ + + + +
「ほら、前回気に入っていたミックスジュースでも飲むか?」
「……いただきます」
「クラスメイトからお
「ありがとうございます。……美味しい」
クレアの顔が
「口に合って良かったな。ところで、そろそろ俺の制服から手を放してもらえるとありがたい――――いや、なんでもないです」
裾を掴む手に力がこもったので、慌てて取り消した。
いじけてしてしまった天使様の調子が中々戻らない……。
ただ、今回は完全に俺が悪い。
クレアからすれば、異世界の見知らぬ場所に置き去りにされたのだから、心細くもなる。
下校時刻までに持ち直してくれることを祈ろう。
俺は説得を諦めて腰を下ろした。
向かいのベンチでは、連帯責任を感じたのか隆峰がオロオロしている。
「気にせず先に帰っても大丈夫だぞ」
「いえ、今日は予定もありませんから」
隆峰には非がないのに、生真面目なことだ。
「今日みたいな講義を続けつつ、折を見てヒロインたちにも事情を説明していかないとな」
主人公側だけで対策をするにも限界がある。
イベントを減らすには、ヒロインたちにも協力してもらわなければならない。
「まず、ヒロインを見極めるところからか。……そういえば、クレアはヒロインが誰か知らないのか?」
「はい。私は今後現世で生活する都合で、主人公の方のお名前と簡単なプロフィールしか知らされていません。うっかり個人情報を漏らしてしまうと大変ですから」
正論だが、人間を
天界のルールは所々で人間の感覚とはズレてるな……。
クッキーを頬張る天使様を横目に、溜息が零れた。
「あの、僕とトラブルに巻き込まれている人なら、心当たりがありますよ」
「昨日話題に出ていたクラスメイトか」
当事者の感想なのでおそらく間違いないだろうが、出来るなら俺自身の目で確認しておきたいな。
クラスが離れているから、イベントの現場を見たのも、連休明けの一回のみだ。
「……機会がないなら、いっそ作ってしまえばいいか」
思い付きを口にすると、二人が首を傾げた。
「よし、他にヒロインがいないか探るためにも、お見合いパーティでもしてみるか」
「え?」
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