01_04__どうしようもない俺の前にどうしようもない天使が舞い降りた

●【旧主人公】宇治上樹


 沈黙したインターホンの前で、俺は固く目を瞑った。


 ひとまず落ち着こう。まだ間に合う。

 ここは無視してやり過ごすそう。


 クレアが訪ねてきた理由は気になるが、あの天使様が俺に良いニュースを持ってきたとは思えない。


【ピンポーン】


「ヒッ!」

 二度目のチャイムと同時に、画面にクレアの目がアップで映った。

 下手な怪談より心臓に悪い……。


 現世の生活に疎いクレアは、インターホンの存在を知っていても、相手にどう見えるかまでは頭が回らないのだろう。

 本人は機械が壊れているのかと覗き込んだだけなのかもしれない。


【ピンポーン】


 ……正解ってことかな?

 いや、馬鹿な妄想は置いておいて、俺が考えるべき問題は一つ。


「ねぇ、誰か来たんじゃないの?」


 マナさんをどうやって誤魔化すかだ。

 俺は気分を落ち着けるため、水を一口飲んだ。


「コップを持つ手が面白いくらい震えてるわよ」

「ま、まままマナさん、おおおお落ち着いて聞いてほしい」


「その言葉はそっくりそのままお返しするけど、何?」

「俺は、どうやら疲れているらしい」

「はぁ?」


「さっきからありもしない【ピンポーン】の幻聴が聞こえるんだ。親友を自称する詐欺師のせいでストレスが溜まり、頭が【ピンポーン】になってしまったらしい。だからこの【ピンポーン】はきっと幻なんだ」


「話が支離滅裂だからいったん深呼吸しなさい。この【ピンポーン】は私にも聞こえてるから――って、さっきからやけに間が良いわね!狙ってんの!?」


【ピンポーン・ピンポーン】


「……………」

「……………」


 マナさん渾身のツッコミもクレアには届くはずがなく、俺は両手で顔を覆った。

 天使様、もうヤメテ……。

 謎に絶妙なタイミングでチャイムを鳴らさないで……。


「居留守に気付いているにしてもしつこいわね。樹が避けたい相手なら、私が追い返しておこうか?」


 マナさん・ミーツ・天使様。

 まずい!地獄のような組み合わせだ!


「いや、大丈夫!ちょっと現実逃避したくなる相手だったけど、逃げていても問題は解決しないよな! 俺一人で、きっと、なんとかなる、はず」


「血を吐くように言われても説得力ないでしょ……。別に無理しなくても――」

「あの、どうして開けてくれないんですか!? 私ですよ、クレアですよ!」


 マナさんの声を遮るように、悲哀に満ちた声が漏れ聞こえてきた。


「……随分と可愛らしい声だったけど、樹の知り合いなのよね?」


 気遣う素振りを見せていた叔母の目が、一瞬にして好奇心で埋め尽くされた。


 俺は悟りを開いた穏やかな顔で頷く。

 よし、戦争だ。


「はーい、今行っきまーす! 樹、そこをどきなさい!」

「ダメだ、俺の客だから俺が応対する!マナさんはキッチンに戻っててくれ!」


「嘘つき!本当は無視してやり過ごすつもりだったでしょ!」

「気が変わったんだよ! 男心と政治家の発言(=コロコロよく変わるよね!)っていうだろうが!」

「生まれて初めて聞いたけど!?」


 そこからは醜い取っ組み合いだった。が、叔母相手に本気を出せない俺がじりじりと後退させられ、ガードの隙間から手を伸ばしたマナさんが玄関のロックを外してしまう。


「お待たせしましたー!……って、あれ?誰もいない?」

「え、マジ?」


 首を伸ばして外を覗くと、確かに玄関には誰も立っていなかった。

 きっと待ちくたびれて帰ってしまったのだろう。


「ちぇっ。折角面白いネタが舞い込んできたと思ったのになぁ」

「だから、甥っ子を玩具にしないでほしいんだけど――ん?」

「ぐずっ」


 鼻を啜る音が聞こえて視線を下げると、膝を抱えて震えている天使様がいた。


「どうじですぐに開げてぐれないんですがぁ?」

「「ごめんなさい」」


 俺とマナさんは一糸乱れぬ動きでこうべを垂れた。




 ひとまずクレアを招き入れ、謝って許しを得ると、マナさんは殊勝な態度を捨て去り、天使様ににじり寄った。


「うわっ、絵にかいたような造形美! 髪は透き通るようなプラチナブロンドだし、瞳なんて宝石のパライバトルマリンみたい! 肌だって超真っ白! 私もお肌のケアには気を遣っているけど、このきめ細やかさには逆立ちしたって勝てないわ~」


「そ、そんなことないと思いますが」


「そういえばすっごい流暢な日本語!ちょと違和感あるくらい!でも、よく見ると日本人の血も混じっていそうな顔立ちよね」

「アハハハハ……」


 クレアから視線で助けを求められているが、助けてほしいのは俺のほうだ。

 俺はクレアをどう説明すればいいのやら……。


「もう、樹ったらこんなに綺麗なお嬢さんを待たせて、どういうつもりなの。もしかして私の前でクレアちゃんと話をするのが恥ずかしかった? 気難しいお年頃なのは分かるけど、折角のチャンスを棒に振ってどうするのよ」


 誤魔化すまでもなく、謎のストーリーが出来上がってたよ……。

 甚だ不本意ではあるが、今はその妄想に便乗しておこう。


「そうそう。マナさんの前だと恥ずかしいから、外で話してくるわ」


「つれないわねぇ。幼い頃は小鴨みたいに私の後ろをトコトコついてきてたじゃない。呼び方だって、昔は『マナちゃん』だったのに、しばらく実家を離れている間に『マナさん』になっちゃったしさぁ。 あ!クレアちゃんにはぜひ『マナお姉ちゃん』って呼んでほしいなぁ――」


【ガチャン】


「ハァァ……」

 玄関の扉を閉めると、深い溜息が漏れた。


「お、面白いお姉さんでしたね」


 言葉を選んでくれてありがとう。

 だが、マナさんのテンションをブチ上げたのは自分だという自覚は持ってほしい。


「改めまして、お久しぶりです」

「……約一年振りだな」


 クレアと現世で最後に会ったのは、確か交通事故の三日後だった。

 菓子折りを持って現れたクレアは、病室に入るなり綺麗な土下座を披露した。


 同室の辰吾郎さん(御年おんとし八十二歳)が、綺麗な発音で「Wow」と零したのをよく覚えている。


「毎回突然押しかけてしまってすいません。今日やって来た理由は必ず説明しますので、ひとまず私についてきてくれませんか?」

「分かった。どこに行けばいい?」


「そうですよね。急にこんな話をされても困りますよね――って、ついて来てくれるんですか!?」

「逃げ回ったら被害が拡大しそうだからな」


 俺は諦めの境地で、クレアを促し歩き出した。



「あの、もうお気付きかと思いますが、隆峰宙さんに樹さんの話を教えたのは私なんです」


 隣を歩くクレアが気まずそうに言った。

 来るタイミングが良すぎたから、落ち着いて考えたらすぐに察しはついた。


「昼のやり取りは隆峰から聞いたのか?」

「はい。私が口止めしたせいで、話をややこしくしてすいません」


 ……揚げ足とって断る口実にしたことは黙っておこう。


「ただ、事実を語られていても、大差はなかったかもしれません。前回私が隆峰さんに接触した時は、軽く雑談した程度で、身元も偽っていましたから」


 確かに、『偶然出会った見知らぬ女性に教えてもらいました』では雑なごまかしだと思ったかもしれない。


「ややこしいといえば、なんでわざわざ俺の印象を美化して教えたんだ?」

「その点については、印象を操作したつもりはありませんよ。だって、当時起きたトラブルは樹さんが皆さんと協力して解決したじゃないですか」


「……あー、そういうことか」


 俺が過大評価されている原因は、おそらく主人公という肩書のせいだ。

 映画を見ていて主人公へ感情移入してしまうように、当時クレアは俺を中心に日々の出来事を見ていたのだろう。


 それなら贔屓目で見られたのも理解できる。

 極論、事件が解決さえすれば主人公の手柄に錯覚してしまう構図だ。


 それに、天上から見ていた第三者と当事者の認識にズレがあるのも仕方ない。


「分かった。この問題は置いておこう。ところで話の流れからすると、俺たちは隆峰のいる場所に向かっているのか?」

「はい、その通りです」


「……なんでそんなに隆峰と俺を引き合わせようとするんだ? を知っている俺が主人公に近付くのは、天界にとって不都合じゃないのか?」


「その認識が私にとって、一番の誤算だったんです。樹さんが物語について尋ねられたら、私はてっきり真相を話してくださるかと思っていました」


「主人公にそんな致命的なネタバラシをするわけないだろ。俺が物語の裏側を聞かされたのも全てが終わった後だったし、タブーと考えるのが普通だ」


 余計な手出しをして、天界の連中に恨まれるのは勘弁だ。


「通常の物語であれば仰る通りですが、今回は少々特殊でして……」


 そう言って、クレアは俺の前に回り込み、深々と頭を下げた。


「お願いします!隆峰さんと合流したら、私の代わりに物語の真相を説明してくれませんか?」

「えぇ……」


 意図の読めない頼みに、思わず困惑の声が漏れた。

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