01_02__一年後の春

●【旧主人公】宇治上樹


「いっけな~い。遅刻! 遅刻~!」


 よく晴れた春の朝。不吉なセリフが聞こえてきて、俺は足を止めた。

 直後、パンをくわえた美少女が目の前を横切る。


「へんきょうひょひひふぁほふふぁんてしゃれにふぁんふぁーい(※転校初日から遅刻なんて洒落になんなーい)」


「…………何アレ?」


 隣の坂巻さかまき智哉ともやが呆然と呟く。

 俺は動悸を押し殺し、静かに頷いた。


「お、落ち着け。春にはよく見かける光景じゃないか。きっと穏やかな陽気を浴びて、頭がヒャッハーなんだろう」


「いやいや、春のせいにすれば、どんな奇行でも許されるわけじゃないからね? ゴールデンウイークも終わっちゃったし、免罪符もそろそろ発行停止だよ。あと、頭がヒャッハーって何?」


 知らん。

 考えるな。感じろ。


 青春爆走少女を見送った俺たちは、気を取り直して歩き始めた。


「それにしても、さっきはよく止まれたね。二年前の樹ならそのままぶつかって、ラブコメのヒロインを増やしていたでしょ」

「期待に沿えず申し訳ないな。俺はもう主人公を卒業したんだ」


「そうだね~。まさかその余波で高校浪人をするとは思わなかったけど」

「……同感です」


 一年前、三途の川でデラモテールを抜き、当時頻発していたトラブルはピタリと収まった。

 『夢だけど、夢じゃなかった!』と喜んだのも束の間、色々あって、俺は入試を受けることさえ出来なかった。


 おかげで高校に入学できたのは一年後。

 同級生だった坂巻たちは、今や一学年上の先輩である。


「でも、まさか樹が一年遅れで僕を追いかけてきてくれるとは思わなかったよ。さすが共に苦労を乗り越えてきた親友だね!」


「え? 親友? 右往左往する俺を見て爆笑していたの間違いじゃなくて?」

「そんなことよりさぁ」


 都合の良い耳をお持ちの坂巻先輩は、俺の皮肉を聞き流しやがった。


「入学してからちょうど一カ月が経ったけど、ようやく手に入れた高校生活はどう?」

「あー、ぼちぼちってところかな」


「ん? ぼくボッチ?」

「お前、分かっていて聞いただろ!」


 横目で睨んでも、坂巻は暢気に笑っている。


 腹は立つが、何度も醜態を晒してきた相手に、今更取りつくろってもむなしいだけか。

 むしろ今は恥を忍んで、相談に乗ってもらいたい気分である。


「実は、クラスメイトから若干怖がられている気がするんだよなぁ。必要ないって言っているのに、敬語で話しかけられるし」


 俺の顔立ちは良い意味で平均的で、子供の頃から話し掛けやすいと言われてきたのに、何がいけないのやら。


「……自覚無いの? 今の樹は目がとってもアレだよ」

「アレってなんだよ」


「深淵を覗き込むのと同じくらい怖い。見ていると、底なし沼に飲みこまれた気分になる」

「……俺の目って暗黒物質だっけ?」


 そういえば先日、授業中に偶然目が合った先生も引きった声を漏らしていたな。

 俺は真面目に板書していただけなのに、酷くない?



 つまらない雑談をしている間に、俺たちの通う花崎高校が近づいてきた。


 建て替えられて三年目の校舎は真っ白だ。

 特に今日は、昨夜降った雨のおかげか、いつもより輝いて見える。


 正面玄関へ向かって赤煉瓦の道を歩いていると、坂巻が何かに気付いて腕を伸ばした。


「樹。駐輪場の近くに茶色の髪の男の子がいるでしょ? 実は彼――」

 突然、短い悲鳴が上がった。


 声の出所に目を向けると、足を滑らせたのか、女子生徒が大きくよろめいている。


「あ、危ない!」


 隣にいた茶髪の男子が慌てて引き寄せる。

 伸ばされた腕と縋りつく腕が交差し、二人はきつく抱き合う形で止まった。


「あ、ありがとう。助かった。って、どこを触ってるの!?」

「違っ! コレは不可抗力で――って、痛い!」


 必死の弁解もむなしく、振るわれる平手。

 その甲高い音に、俺も思わず顔をしかめた。


「あっ、ごめん! 私ったらつい……。でも突然は困るよ。人の目もあるから」

「え? あぁ、うん……。えっと、僕のほうこそごめん」


 …………何、アレ?

 隣を見ると、坂巻は苦笑いして肩を竦めた。


「今ので察しがついたと思うけど、どうやらあの一年生が新しい物語の主人公らしい。彼の周りでは、樹の中学時代と似たようなトラブルが頻発しているみたいだよ」


「そうなのか……。俺と違って、随分とイケメンな主人公だな」


「んん? 思っていたより冷静な反応だね。自分以外の主人公を見かけたら、もっと動揺するかと思ってた」

「そりゃ思うところはあるけど、所詮は対岸の火事だしな」


 部外者の俺に出来るのは、可哀想な後輩主人公の無事を祈るくらいだ。


「へぇ。良い傾向だね。過去の傷も大分癒えてきたのかな。……そうだ! 突然だけど、今日の昼休みに、食堂でご飯食べない?」


「本当に唐突だな。急にどうした?」

「ふっふっふっ。僕も大事な親友には、色々と気を遣っているってことさ」

「はぁ……?」


 いまいち噛み合わない言葉を残し、坂巻は去っていった。


「何なんだ、アイツは」


 ……やめよう。考えるだけ無駄だ。


 坂巻は意味深な発言をしておいて、蓋を開けてみたら空っぽだったことが何度もあった男だ。


 今回もぼっちな俺に付き合ってくれるだけかもしれない。

 人の厚意はありがたく受け取っておこう。


 俺は頭の中のスケジュール帖に予定を書き込み、軽い足取りで教室へと向かった。


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