ラブコメ主人公は卒業したはず!

ひろいち

第一章

01_01__プロローグで主人公を卒業する

●【現主人公】宇治上樹


 一年程前、とある友人は言った。


「樹はラブコメの主人公みたいで羨ましいよねー。大した取柄もないのにモテるし、頻繁に美少女とトラブルに巻き込まれるなんて、普通はあり得ないでしょ!」


 その言葉に俺は何と答えただろうか。

 当時の記憶はひどく朧気おぼろげだ。


 何度も羨ましいと言われてブチギレ、「代われるものなら代わってくれよ!クソがっ!」と泣き叫んだ気もするが、はっきりとは思い出せない。



 目を閉じると、ラブコメと呼ばれた日々が頭の中を駆け巡った。


 着替え途中にドアを開けて殴られ、躓いた女子に押し倒されて骨にひびが入り、肝試しで鯖折をくらい、嵐の雪山では二人きりで小屋に閉じ込められて凍死しかけた。



 あの友人バカが何を羨ましがっていたのか、俺には全く理解できない。

 実は超ド級のMだった可能性さえ疑いたくなる。


 そもそもラブコメと呼ばれる割には、恋愛要素が行方不明だ。

 俺の身近にいる女性たちは、個性が強すぎて内面がさっぱり読めない。


 外野からどう見えるかはともかく、実情は恐怖のバイオレンスコメディである。


 ……いや、今日をもってホラーに転向するかもしれない。

 なにせ俺は今、死にかけている。


 数時間前、道路へ飛び出した少年を庇ってねられ、気付けば三途の川のほとりで体育座りをする羽目になった。

 中学卒業よりも先に、人生の卒業式を迎えるとは予想外だ。


 一人で卒業ソングの『旅立ち〇日に』を歌うか。

 今まさにクソみたいな人生から飛び立つところだからな!

 AHAHAHAHAHA!超ウケるー。


「樹さん。涙を拭いてください……」

「……ありがとうございます」


 ハンカチを手渡してくれたのは、自称天使のクレアさんである。

 この花畑で目を覚ました時、ちょうど空から舞い降りてきた。


 見た目は人間そのままで、金髪碧眼に彫りの深い顔立ちをしている。


 背中にはいかにも天使らしい翼もあったが、「これ取れるんですよー」と軽い調子で外された。

 どうやら翼は体の一部ではなく、空を飛ぶための道具らしい。


「空を飛ぶといえば、日本にも忍者のムササビの術がありますよね!」


 突然笑顔で尋ねられた俺は「あ、そっすね」と雑な返ししか出来なかった。

 後日誰かが代わりに誤解を解いてくれることを祈ろう……。



 + + + + +



「あ、あの、樹さん。元気出してください!」

 涙を拭って顔を上げると、天使様が身を乗り出してきて、思わずのけぞった。


「樹さんは誤って三途の川に迷い込んでしまっただけで、事故の怪我はそこまで酷くありません。しばらくすれば現世で目が覚めるはずです! ここでの出来事は夢だと思って、ゆっくりしていってください」


「あ、ありがとうございます」

 大きな身振り手振りで励ましてくれるクレアさんを見ていると、段々申し訳なくなってきた。


 隣で男が突然泣き出したら、そりゃ怖いですよね……。

「取り乱してすいません……」


「いえいえ、見知らぬ場所で目が覚めれば誰だって戸惑いますよ――あ!体勢には気を付けてください。デラモテールが抜けたら一大事です」

「あぁ、すいません」


 俺は慌てて左胸の矢がずり落ちていないか確認した。

 魂だけの体には、なぜかデラモテールと呼ばれる矢が刺さっているのである。


 クレアさん曰く『抜いてはいけない大事な物』らしい。

 猟奇的な絵面に反して、痛みどころか異物感すらないので、正直忘れかけていた。


「今更ですけど、どうして胸に矢が刺さっているんですか?」

「……ごめんなさい。矢に関する説明は上司に禁止されていまして」


「そうですか……って、そんなに何度も頭を下げなくても大丈夫ですから!」

 随分と腰の低い天使様だな……。


 でも、秘密にする理由って何だ?

 わざわざ隠そうとするからには、デラモテールが俺に何らかの影響を及ぼしていることは間違いない。

 問題はその内容だが……。


「んー……」


 咄嗟に思い浮かんだのは、神話に登場するキューピッドの弓矢だ。

 刺された相手に恋心を芽生えさせる矢で、某猫型ロボットでも同じ効果の道具が登場していた。


 ただ、肝心の俺に思い人の心当たりはない。

 当然、その逆も…………ん?逆?


 もしかして、デラモテールってそんな安直なネーミング?

 まさかの名古屋弁?


「とっても、モテる?」

「へ?」


「いえ、この矢には他人を魅了する力があるのかなと」

「違いますよ!? デラモテールにそんな効果はありません!」

「そ、そうですよね!」


 あまりの勢いに思わず頷いたが、天使様は焦った様子で続けた。


「天界といえども、人の心を操る技術は存在しません。デラモテールだって、きっかけを作っているだけで、決して洗脳しているわけでは――」


「え。きっかけ?  つまり、この矢は俺がモテるチャンスを作っている?」

「……あ」


 慌てて口を塞ぐクレアさんを見て、全身の血が一気に冷えた。


 万が一、そんなふざけた力が実在するなら、思い当たる出来事は一つしかない。

 ラブコメじみたトラブルだ。


 以前からおかしいとは思っていた。


 社長令嬢や全国レベルの才女が田舎の公立中学に集まる不自然さ。

 偶然で片付けるには多すぎる騒動の数々。

 仮に一連の出来事が、意図的に引き起こされていたとしたら――



「……少し、質問させてもらってもいいですか?」

「ヒッ。な、なんでしょう」


「先程から気になっていたのですが、クレアさんは随分と俺の事情に詳しいですね? 事故の内容や怪我の程度までご存知のようですけど」


「それは、私が樹さんの担当で、身近に起きる出来事を把握できる立場だからです」

 さらっと『監視してる』宣言されたが、今は、置いておこう……。


「それなら、俺が普段から様々なトラブルに巻き込まれていることもご存じですよね?」


「もちろんです。……あの、そんなことよりも、先程から表情が怖いというか、目のハイライトが消えていますよ? 暗い顔をしていると不幸が寄ってくるといいますから、笑顔になりましょう。きっと気持ちも明るくなりますから――――ヒッ!」


「言われた通り笑ったのに、なぜ悲鳴を上げるんですか? クレアさんも元気よく笑いましょうよ。リピート・アフター・ミー。『イヒッ、イヒヒヒヒヒヒッ!』」


「笑い方が不気味過ぎません!? 死んだ目で繰り出される笑みが、狂気の塊なんですが!?」


 笑っただけで、ドン引きされるとは理不尽である。


 ……いや、もしかしたらこれは陽動か!

 あえて俺を感情的にさせて、追及を逸らそうとしたに違いない。


「っ……見た目によらず策士ですね」

「え?何の話ですか? 私はただ樹さんの顔面が怖かっただけで、他意はない――」

「あ?」

「ヒィッ!」


 おっと、また話が逸れてしまうところだった。


 やはり身構えている相手から情報を引き出すのは難しいか。

 話を進めるには、クレアさんが無視できない状況を作るのが一番手っ取り早いかもしれない。


 俺は息を呑み、胸元に手を伸ばした。

 矢は驚くほど簡単に抜けた。

 相変わらず痛みはなく、なぜか服にも穴は残らなかった。


「ダメです!元に戻してください!今ならまだ間に合いますから!」

 案の定、クレアさんは慌てて俺の行動を諫めてくる。


「元に戻したらどうなるんですか? 本当に俺のために忠告してくれているなら、どんなメリットがあるか教えてください」

「そ、それは……」


 クレアさんは言い淀んで、視線を彷徨わせる。

 俺は震える天使様を刺激しないよう微笑み、おどけた調子で矢を目の前で揺らして見せた。


「ねぇ、天使様?」

「ひぅ……」


「説明を禁止されているなら、イエスかノーだけでも構いませんので答えてください。俺が散々トラブルに巻き込まれてきたのは、この矢が原因ですか?」


 俺の問いかけに、涙目の天使様が何度も頷いた。

 それを見て、頭の中で、何かが、キレた。


「あのぉ、でもぉ、デラモテールはデメリットだけではなくてぇ……」

 たどたどしく漏れた言葉は、ほとんど耳に届かなかった。


 頭の中を占めるのは、過ぎ去った悪夢の日々だけ。


 誰も望まないラッキースケベ、響き渡る悲鳴、火を噴く拳、汚物を見るような女性たちの視線、男どもの歯ぎしりする不協和音、流れる涙(主に俺)。


 幾度となく苦しめられてきた元凶が、俺の手の中にあるのだ。

 コレがただの夢だとしても、今はせいぜい楽しませてもらおう。


 ふっ。ふふふふ。ははははは!あはははははははは!

 この腐れド畜生がっ!


「うきゃあああああっ!」


 全力で矢をへし折ると、天使様から間抜けな悲鳴が漏れた。


 「上の人に怒られるー」とか「番組が打ち切りですー」とか、よく分からん泣き言を尻目に、俺は満ち足りた気分で笑い続けた。


「ついでに良いことを教えてあげましょう!ムササビの術は某漫画の創作で、現実には存在しないんですよ!」

「ナ、ナンデスッテー!って本当になんで今その情報を!?」


 気分が良かったから教えただけなので、深い意味はございません。




 何はともあれ、こうして俺はラブコメ主人公を卒業した。

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