まばたき

@misaki21

第1話 まばたき

「――ねぇねぇ、サヨ。『まぶたの裏の霊』って、知ってる?」

 それまでの雑談に一拍置いて、チキンを口に入れたままのハルナは、上目遣いでこちらをうかがう。声色まで変えて、こちらの派手なリアクションを期待しているそのまなざしに、私は「知らん」と返し、ポテトを1本、口にほうり込んだ。

「サヨ、ノリ悪ぅー。面白い話なのにー」

「っつーかさ、さっきの教頭不倫ネタも充分に面白かったぞ」

 2-Cの深谷美知子と金山ハゲ教頭がデキているというデマ。そういう話題に興味はないといったのに、ハルナは勝手に喋り始め、いざ聞いてみると、それがデマだと解っていても面白かった。

 学年イチのビジュアル系と学校イチの不細工というミスマッチ。余りに出来過ぎた目撃証言の数々。よくぞそこまで作ったものだと感心し、絶対に有り得ないからこそ、笑えた。

「いやいや、こっちは別ジャンル。まぁ聞いてやってよ。リカコから聞いたんだけどね――」

 毎度のことながら、知っていようがノリが悪かろうが、結局喋るハルナ。

「――人間って、1日に2万回以上、まばたきするんだって」

「マバタキ? って、これ?」

 両目をパチパチとやってみせる。

「それそれ。それでね――」

「うそー! 2万回もやってる? それって1分間に――」

「ああ! もぅ、聞く!」

「へーへー」

 このジャンルとやらの話題では、私に合いの手を入れる権利はないらしい。

「でね、まばたきって一瞬だけ目を閉じるでしょー?」

「あのなー。……あー、続けて」

「その一瞬の暗闇にね、……霊が映ってるんだってー!」

「……お、お終い?」

 ハルナの話は、面白い時とそうでない時のギャップが激しい。今回は外れか?

「ノンノン、サヨ、甘い。まばたきの度に霊が映ってる訳ないでしょ。映る条件があるのよ、ジョーケン」

「む? おいおい、じらすなよ。アンタはコメディアンか?」

 興味を惹いたと感じたら途端に得意になる、これもまた毎度のこと。いい加減、慣れたけど。

「ズバリ! 9999回目! 9999回目のまばたきの時に、霊が見えるんだって!」

「……数えるんかい!」

 思わずツッコミを入れてしまう。無茶な話にも程がある。霊が見えたって見えなくたって別に構わないが、それより何より、まばたきをカウントするというのはどうにも。

「だからね、9999回目のまばたきの時、目を閉じたままだと、もうバッチシ」

 ツッコミ甲斐のない奴。聞いてやいない。

「しーかーもー。その霊ってのが、いわゆる悪霊系なんだって。でね、それを試したリカコの友達のお兄さん、1週間後に自殺しちゃったとかいってたしー」

「まてまて! 情報源がリカコってだけでデマってるのに、追い打ちの伝聞系? 全然駄目だぞ、それ」

「またまたぁ。サヨはこの手の話題、いっつも否定派なんだからぁ」

「いや、そういう問題じゃなくって……」

 何に驚いたかといえば、その話題がそれで終わりだったこと。

 その後、次から次へと続く雑談の末、外が暗くなり始めた頃に私とハルナは店を出て、明日からの夏休みを有意義に過ごそうと誓い合い、分かれた。


 完全に忘れたと思っていたハルナのその話を思い出したのは、とても有意義とは呼べない夏休みを半分ほど過ぎた、ある夜だった。

 朝、物凄く怖い悪夢に飛び跳ねるように目覚めた。夏とはいえ尋常ではない汗の量。内容を一切覚えていないのは夢だから仕方がないが、恐怖感は昼過ぎまで続き、その日は結局家から一歩も出なかった。夕食を終え部屋で音楽を聴いている時に、唐突にハルナのいっていた『まぶたの裏の霊』を思い出したのだ。

 9999回目のまばたきが、もしも眠りに就くタイミングだったら、ハルナのいっていた霊とやらが見えるだろうか? そうだとしたら、寝ている間中、悪霊系に面と向かうのかしら?

「……アホくさ」

 余りの下らなさ、声に出す。型古のCDチェンジャーがガタゴトと音を立て、ヒットチャート上位の曲が流れ始めた。そのリズムをふんふんと口ずさみ、しかし頭の片隅に何ともいえない違和感が残った。


 翌日以降、下らないと解っているのに、まばたきを意識してしまうようになり、何もかもがどうにもぎこちなくなった。何でもそうだが、例えば呼吸のように、無意識にやっていることを意識すると、途端にギクシャクしてしまう。まばたきを数えるほどの根気はないが、何気なく、無意識にまばたきを出来なくなってしまった。気が付くと「今、まばたきした」と思い、その居心地の悪さは最悪だった。

 意識したまばたきは目の疲労を呼び、それは頭痛を招き、結果、夏バテでは片付けられない気だるさまで引き起こすようになった。このまま倒れでもしたら洒落にならない。ならば……。

「数えるか?」

 1日目は寝起きで失敗。

 2日目も同じく。

 3日目。覚醒したが目を閉じたままでキープすることに成功した。

「さあ、数えてやろうじゃないの」

 粘りに粘ったが2300回くらいで解らなくなり、あえなく断念。こうなると、もう霊だの何だのではなく、意地だ。馬鹿馬鹿しいのは百も承知、文具屋でカウンター(計数機)を購入し、翌日に備える。

 それから数日。食事や電話、テレビ、家族の何気ない一言でカウントはいとも簡単に狂い、夏休み後半の貴重な数日を無駄に過ごした。

「……無理なものは無理! 何やったって無理だっつーの!」

 文具屋ではなく薬局に行き、目薬を購入し、最初からそうすればよかったのだと脱力した。ひんやりとした目薬の感触は、それまでの馬鹿げた奮闘を柔らかく冷ましてくれた。残ったモヤモヤを、長期旅行から帰ったハルナにぶつけようと決めると、いとも簡単に普段の自分に戻れた。


 その夜。

 深夜放送の映画を観ていた私は、CM中に、夜更かしで疲れた目を何気なく閉じ、そこで……見た。

「な! 何!」

 驚いてソファから立ち上がり、辺りを見回したり目をしごいたりする。何かが見えた。姿形はハッキリしないが、とてつもなく怖い何かが、確かに見えた。もう一度目を閉じても、暗闇だけで何も見えない。

「……今の、9999回目だったの? ……ウソ。アレって……何?」

 そして、振り出しに戻った。その夜はまともに寝付けず、翌日は延々と続く頭痛をこらえつつ、まぶたの動きが気になって仕方がなかった。目薬は何の役にも立たず、カウンターもまた、無意味だった。


「8997、8998、8999、9000、9001……」

 前は頭の中で数えていたが、いつからか呟くようになっていた。不安そうな家族を手で追い払い、延々と数える。

「9110、9111、9112、9113、9114……」

 鏡に映る顔は明らかにやつれ、体重計の針は信じられない数字を示している。カサカサになった肌はまるで老婆のようだ。

「9755、9756、9757、9758、9759……」

 それがまばたきと呼べるのかどうか怪しいまぶたの動きを、眼球が追う。ほんの僅かに開いた唇から呪文のように数字が漏れる。

「9995、9996、9997、9998――」


「――ねえねえ、ハルナ。サヨ、新学期、一度も来てないじゃん。どうしたの?」

「うん? 知らない。お家の人、教えてくれないのよー」


――おわり

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