旧友、それにコーヒーと夕日 ―後編―

 警察証を私的に使うまでもなく、世間話の体で聞き込みはできる。

 友人、仕事、行きつけのバー。情報はすぐに集まった。

 カミラ・ジレ。二十二歳。翻訳業。

「飲食種だろ?」

 向き合って座る彼女に問うと、彼女は夕日色の目を数回瞬かせた。

 ダフトトゥーハ殺しの一件が片付き、犯人逮捕の後処理も終え、ようやく休暇を取れたときには世間では仕事が始まっていた。若者に人気のこのバーも、連休中のような活気はなく、席の半分も埋まっていない。幸い仕事の時間に融通のきく彼女は、平日昼間の呼び出しにも問題なく現れた。

「飲食種。私が?」

 奥まったテーブル席には大きな窓が日光を落とし、ブラウンの髪に金属光沢を乗せている。

「この髪を見て、そう言います?」

 確かに、金属光沢を持つ髪は言語食種の特徴だ。目の色も振る舞いも、どこを取っても飲食種には見えない、けれど。

「ご実家のお母上に話をうかがった。ジレトゥーハが本名だろ」

 口角を上げた愛想笑いが消えた。

「うちの実家に? ……なぜそんなことを?」

 口数は少ないがその代わり、目が口ほどに物を言う。瞳に宿る表情が瞬きのたびに切り替わる。

 不審、不安、敵意、それから? 最後には表情はまぜこぜになり、かと思うと強気に俺をにらんだ。

「そもそもあなたはまだ名乗ってもいません。レットムさんのご友人とは聞きましたが、一方的に名前を知られているのは不愉快です」

「それは失礼。俺はダフロート・ソロー、こういう者だ」

 今日は私服だが、ジャケットの内ポケットから警察証を出して示すと、夕日色の目が今度は驚きに染まった。

「では、あなたは今警察としてここにいるのですか? 悪事を働いた覚えはないのですが」

「覚えがない? 偽名を名乗っていただろうが」

「偽名ではなく通称です」

「嘘をついてたことに変わりはないだろ」

 飲食種に多い『トゥーハ』の接尾部を隠していた。

「本名を隠して友人に近づく奴がいるのに、黙って見過ごすわけにはいかない。警察官としても、友人としても」

「レットムさんに話すつもりですか?」

 俺は何も答えなかったが、そのつもりだとわかったのだろう。

「言わないでください」

 苦しげに声を絞り出した。

「誰にも、知られたくないんです」

 なぜ?

 外見が言語食種に近い彼女は、それを利用して言語食種に紛れ込んでいる。

 しかし外見がどうだろうと、名前も出身地も経歴も偽って過ごすのは並大抵の努力ではできない。一瞬たりとも気が抜けないはずだ。そんな苦労をしてまで種族を隠して、割に合うのか?

 そうは思えないから疑う。裏の目的があるんじゃないかと。

「飲食種なら飲食種と、そう言えばいい。隠すことなく堂々としていればいいじゃないか」

 レットムみたいに。あいつには隠し事なんてない。それこそが人間のあるべき姿だと思う。無垢で、素朴で、悪意を知らない。警察官が守るべき市民というのはああいう奴のことで、嘘つきじゃない。

「……堂々としてたら、守ってくれるんですか?」

 偶然だろうが、俺の思考を読んだような言葉だった。

 もちろんだ、とうなずくより早く、彼女が言葉を継ぐ。

「一人でも守ってから言いなさいよ嘘つき」

 口角がひきつるように笑みを浮かべた。目だけは痛みをこらえるように、下まぶたに力が入っている。

 いつだったか事件に巻き込まれた子供が、両親が亡くなったと知らされて、ちょうどこんな笑い方をしていた。受け止めきれない苦難に遭うと笑いたくなくても笑うものだとリプラー先輩が言っていた。神が人間に仕込んだバグだと。

 飲食種でもそうなのか。

「どうして本名を隠すか、どうして家に友人を呼べないか、どうして私が自分の髪をコーヒー色と呼べないか――警察になる頭があるならちょっとは想像してみればいいのに」

 言い返そうとして気迫に圧された。夕日のような目が赤みを増す。沈む直前に一際燃え立つあの色だ。

 肌が泡立った。

 もしここで俺がにらみ返していたら火花が店を焼いていただろう。

「何してるんだよ、ダフロート!」

 そうならなかったのは、高い声が割って入ったからだ。

 ピンクのモジャモジャ頭を振り乱して駆け込んできたレットムは、彼女をかばうようにテーブルに手を突いた。

 意外にも力強い音に、張り詰めた空気が薄硝子のように弾けた。

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