旧友、それにコーヒーと夕日 ―前編―

「ああわかった。それで被害者の名は……」

 建物の壁沿いに並ぶ電話ボックスの中で、ほうきのように束ねた髪が揺れている。同じ警察署のリプラー先輩だ。

 道を挟んだ反対側の通りには商店が並び、軒先に棚を出して客寄せをしている。夏の連休も終わりに迫り、残り時間を有意義に過ごそうと町の人々は忙しそうだ。ボックスの外で待ちながらその様子を見渡した俺は、買い物客の中に知った顔を見つけた。

「これ、カミラさんに似合いますよ」

 顔をというか、真っ先に目につくのはあのモジャモジャのピンク頭。ジャケットは下ろしたてらしくシワひとつないが、肩に葉っぱが乗っているのがあいつらしい。

「可愛い鳥のイヤリングですね。ナイチンゲールかしら」

「僕、買いましょうか?」

「いいんですか? じゃあ、私からも何か」

 驚いたことに、彼は隣の女性と手をつないでいた。帽子を拾ってくれたという彼女だろうか。休み前に聞いたときは気持ちを伝える気配はなかったのに、一体どんな心境の変化があったのやら。

 女性の方は、見たところ二十代前半。レットムより拳ひとつ背が低い。帽子の下からは煙水晶でできたような暗いブラウンの髪が長く垂れ、日を受けて金属的に輝いている。金属光沢のある髪は、平均的な言語食種の特徴だ。

 一方で、俺のようにそれ自体が光る髪は珍しい。俺もあんな普通の髪に生まれたかったものだと、ヴェールに隠した青緑色に触れ、ほのかに発光するそれにため息をつく。

 カップルはワゴンに並んだアクセサリーを指して、飽きもせず会話を続けていた。

「あ、あのブローチ、カミラさんの髪と同じ色です」

「コーヒー色ですか」

「コーヒー? って、何ですか?」

 レットムが首をかしげた。モジャモジャ髪がふわりと揺れる。

「飲食種の伝統的な経口飲料です。小説に出てきたので調べたんですけど、こんな色でした」

「へえ」

 知らない名前を見ると調べちゃいますよね、とかなんとか言いながら、彼はワゴンの棚に手を伸ばした。小さなブローチを彼女の髪にかざして微笑む。

「コーヒー色か。きれいですね」

 彼女は何か言いかけた。しかし不自然な沈黙に続いたのは、慌てたような「ありがとうございます」だけだった。髪色を褒められて照れたのだろうか。レットムは何でもかんでも口に出すから、その気持ちはわかる。ミドル・スクールのカップルかよとツッコミたくなるほのぼのした光景。だからこれはただの勘だ。

 あの女、嘘をついている。

「――移動するぞ。被害者の関係者の居場所がわかった」

 声に振り向くと、リプラー先輩が電話ボックスから出てくるところだった。俺は素直に返事をして、友人と連れから目をそらした。今は殺人事件の調査中だ。

「少し距離がある。車を使う」

 背の低い先輩が大股で歩くのを、つむじを見下ろしながら追いかける。道の先で辻自動車が客を待っていた。先輩が黒手袋の手を振ると、運転手は吸っていたシガーを携帯灰皿に押しつけ顔を上げた。

 雨天時のみ広げられる屋根は今は畳まれていて、運転席の横の高い煙突が蒸気を噴き上げるのが後部座席からもよく見えた。先輩が短く告げた住所は、飲食種の暮らす地区。おや、と思う間もなく、表紙のよれた手帳が胸に押しつけられる。

「被害者の名前がわかった。コーディ・ダフトトゥーハ。五十歳」

「飲食種っすか」

「ああ。十年前から住む場所がなく、仕事も断続的に暮らしていたらしい」

 俺がギリギリ読み終わるタイミングで手帳を取り上げる。せっかちな人なのだ。ほうきのような髪までも、車が道を曲がるたび揺れてせわしない。風が前髪を巻き上げるのを邪魔くさそうに手で払い、自分の手帳を見返しながら、先輩は不思議そうにつぶやいた。

「ダフトトゥーハね。なんで飲食種って似た名前が多いんだろな」

「『トゥーハ』は町という意味らしいっす。飲食種の元いた土地の言葉で」

 ラニーの大地に言語食種以外が暮らし始めたのは百年くらい前だとも、もっと以前からともいわれる。いずれにせよ、別の土地からの移民の歴史があって今に至る。

 俺がつい知識をひけらかすと、「へえ」と感心した声が上がった。

「詳しいな」

「昔調べました。俺は飲食種じゃないって説明するために」

 俺の言葉に先輩は首を傾げた。

「説明も何も、おまえ違うだろ?」

「髪のことでいじめられてたんすよ、ハイ・スクールの頃。そんで人をいじめるような馬鹿どもにとっちゃ『飲食種』はお手軽な悪口なんす。事実は関係なく」

「ふうん。そりゃあ馬鹿どもだな」

 形のいい眉がひそめられる。ペリドット色の目ににじんだ嫌悪に、頼りがいと安心感を覚える。

「おまえの髪は確かに目立つけど、飲食種の髪質とも違うだろ。うちの爺さんもそんなだったぞ。ちょっと違うけどな。帯電してたんだ」

「それは……冬場は嫌われたことでしょうね」

「そうだと思う。おまえも嫌だったろ」

「まあ。でも、友達いたんで」

「そうか、そりゃよかった」

 すっと胸に溶ける言葉をためらわない彼は、ほんの少しレットムに似ている。

 学生時代を思い出す。あいつは多分、俺がいじめられていたことに気づいていない。

 というか、俺に対する態度があまりにも変わらないので途中からターゲットがレットムに移ったのだが、そのことにも気づいていなかった。嫌なことをされたらその場で「嫌なことをされた!」と大声を上げる奴だ。抱え込まないし悩まない。陰険な嫌がらせであいつを追い詰めようってくらい無謀な挑戦はこの世にはない。

 その後さらに別の奴をターゲットに定めたいじめは、レットムのおかげで空気が白けていて長続きしなかった。しょぼくれたいじめっ子たちの顔を見たその日はせいせいして、家に帰ってから一人で大笑いしたものだ。

 そんなことを思い出しているうちに、やがて灰色の集合住宅が見えてきた。

 先輩がドアノッカーをしつこく鳴らす。面倒くさそうに出てきた女性は、俺たちの制服を見て怪訝そうな顔をした。

「コーディ・ダフトトゥーハを知っているな?」

「もう十年会ってないよ。あいつがどうかしたの?」

「殺された」

 えっ、と声を上げた彼女に、先輩は「知人として話を聞きたいんだが、入ってもいいか」と尋ねた。

 ソファとテーブルのある部屋に案内され、腰を下ろす。部屋の奥の扉が半開きになっていて、その向こうに「キッチン」が見えた。かまどの上に鍋が乗っている。「料理」は日常的な営為だと頭ではわかっていても、見るたび怪しい実験でもしているのかと思ってしまう。

 被害者の知人だという彼女、リタ・ポナトゥーハは、被害者と同じく飲食種だ。その証拠に、縮れた金髪に金属光沢はない。これが言語食種の金髪だったら、それこそ黄金かプラチナのように輝くのだが。

 彼女はかまどの火を消すと、キッチンを出て後ろ手に扉を閉めた。

「コーディが死んだって? そもそもあいつ、この十年どこで何してたのさ」

 声は鈍重で淡泊で、隠し事の得意そうな味ではない。何年も会ってないというのは本当だろう。

「色々だ。住む場所がなく、金に困っていたらしい」

「家族とか親戚は……そっか、いなかったっけ。路上で寝起きしてたの? ああそう、それでわかった」

 ポナトゥーハが、俺たちと向かい合うソファに腰を下ろしながら言った。

「やったのはどうせ、言語食種だろ。若いのが遊び半分でさ」

 暗い色の瞳がこちらをにらむ。

「そんであんたら警察はまた犯人を見逃すか、厳重注意で済ませるんだ。同じ種族の仲間だもんね!」

「……犯人の種族は不明だ。種族を問わず捕まえて裁判にかける。そのためにも協力願いたい」

 リプラー先輩が答えるが、その冷静さが気に入らなかったのだろう。ポナトゥーハは赤い唇を曲げて舌打ちをした。

「ネジ巻き人形風情が偉そうに。人間並みにしゃべってるだけで気味悪いってのにさ」

 『ネジ巻き人形』は言語食種への蔑称だ。

 飲食種の言葉では「共にパンを食べる者」で「仲間」という意味になるというほど、彼らにとって飲食と精神的な絆は密接らしい。だからなのか飲み食いしない俺たちは人間味に欠けて見えるようで、何かあるたびに人形呼ばわりが飛び出す。

 頭に血が上って立ち上がりかけた俺を、先輩が片手を上げて制した。仕方なく、大人しく座り直す。

「ネジ巻き人形も、仕事をさっさと終わらせたいのは同じなんでな。ここでご協力願えないなら、うちの署に来てもらってもいいが?」

 先輩が言った。そして数秒目を閉じ、声のトーンを下げる。

「すまない、今のは取り消す。脅迫的な発言だった」

 どこが!? 言うことを聞かないとしょっ引くぞと、直接言ってやってもいいくらいだった。これで脅迫的ならさっきのポナトゥーハの発言は暴力的だ。

 再び立ち上がりかけた俺に、先輩が再び片手を上げた。黒手袋の手がポンと胸に当たり、仕方なく、大人しく座り直す。

「飲食種にことさら疑いの目を向けたり、言語食種が飲食種に加害しても見て見ぬふりをしたり……警察の憎むべき体質だ。だが少なくとも俺は、犯人が同種だろうときちんと手錠をかけるつもりだ」

「は、『俺は』? 集団の中じゃ個は溶ける。紅茶に入れた砂糖みたいにね」

「…………」

「紅茶に入れると砂糖は溶けるんだ」

 先輩が黙り込んだので、ポナトゥーハが面倒くさそうに説明した。

 言語食種を侮辱して気が済んだのか、先輩の真摯な態度に心打たれたのか、それとも比喩が通じなくて気が抜けたのか――最後の要因が一番強い気がするが。

「コーディはプライド高い頑固者だったけど、悪い奴じゃなかったよ。友達を頼ってくれなかったのは不満だけどね」

 ぽつりとつぶやいた声からは、悪意と敵意が少し薄らいでいた。

「殺されるなんて酷い死に方、していい奴じゃなかったはずだ」

 声が詰まる。泣いているのだろうか。でも涙は見えなかった。人前で泣くのが嫌だったのかもしれない。代わりに、深くため息をつく。

「あんたらのことは信用しない。でもあたしには隠すことなんてないし、あんたらの仕事を邪魔する理由もない」

「ありがたい」

「何もなしで話ってのもつまらないね。コーヒーでも飲むかい?」

「あいにく飲めない体質だ。タバコを吸っても?」

「いいけど、灰皿はないよ」

 あたしは飲ませてもらうね、とポナトゥーハが席を立つ。キッチンに消えた彼女が液体を入れた容器を持って戻るまで、しばらく時間がかかった。

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