第六話 天谷の闇 その十壱

 六


 昼休み、忠陽ただはるは伏見のところへ訪れていた。


 昨日で、夢のような時間が終わりだと分かっていても、忠陽の足は迷いなく踏み出していた。


 職員室に入ったが、伏見の姿はそこにはなかった。他の先生に聞くと今日は休みだという。


 昨日は人さらいの連中の拠点を大掛かりに襲撃すると言っていたから、おそらく、それが今日も続いているのだろうか。どのように襲撃したのかを聞きたいという好奇心が忠陽には生まれていた。


 一旦、職員室から出ると、そこには鞘夏さやかが待っていた。鞘夏は神妙な面持ちだった。人目をはばからず、鞘夏は忠陽に懇願こんがんし始めた。


「忠陽様、お願いです。あの男にはもう関わらないでほしいのです」


「鞘夏さん、ちょっと…」


「無理を承知で申し上げております。ですが――」


「ちょっと待ってって、鞘夏さん!」


 周りの見る目は異様なものだった。特に女子生徒はなにか忠陽を目の敵のように睨まれた。


「忠陽様!」


「落ち着いてって、周りも見てるんだ!」


 忠陽は両手で鞘夏の肩を掴んでいた。


 鞘夏は辺りを見回す。視線は自分たちに集まっており、忠陽を見る目はいぶかしんでいるよう見えた。その時である。自分が主に対して不利益なることを行っていると気づいた。


 鞘夏はその行為に怯え、手を震わせて後ずさる。


「鞘夏さん?」


 鞘夏の視線は右往左往しており、首をゆっくり振ると、忠陽の声掛けにも反応せず、どこかへと走り去ってしまった。


 忠陽は鞘夏の後を追いかけようとしたが、周りの邪魔で、見失ってしまった。


 昼休み後の掃除の時間にも鞘夏は見かけなかった。心配なった忠陽はホームルームが終わると、すぐに教室を出て、鞘夏を探すことにした。


「ちょっと、待ちなさい!」


 忠陽はこの間の悪さには苛立った。


神宮じんぐうさん、今日は急いでいるんだ」


「私は待てって言ったの。聞けないってわけ?」


 これまで由美子の傍若無人な振る舞いはなんとも思っていなかったが、今日は自然と怒りがこみ上げてくる。


「僕は急いでいるんだ……」


 今には一発触発しようとしている廊下の雰囲気には周りの生徒は驚いていた。


 由美子は忠陽に迫り、顔を近づける。


「いいから、私に時間をくれない?」


 忠陽は渋々了承し、校舎裏へと連れて行かれた。周りが見ても、学園でも階級的組織構造ヒエラルキーのトップに君臨する由美子が、忠陽を校舎裏へ連れていく姿には恐怖を感じていた。それをさらに助長させるのが、忠陽の反抗的な態度に由美子が高圧的にねじ伏せたことだ。


 校舎裏へと連れて行かれると、由美子はすぐに話を切り出した。


「真堂さんと何かあったの?」


「まぁ、ちょっと……」


「昼休み、あまりにも様子がおかしかったから、話を掛けたんだけど黙りだったわ。あの様子じゃあ、授業に出てもしょうが無いから早退してもらったわ」


「えっ、じゃあ……」


 忠陽は由美子の話を聞くと、反射的に家へ帰ろうとした。由美子は動きを止めるため忠陽の手を掴む。


「わ、た、し、の、は、な、し! 終わってないんどけど」


 忠陽は素直に謝った。


「何があったかは他の人から聞いたけど、痴話喧嘩ちわげんかにしては――」


痴話喧嘩ちわげんか!?」


 忠陽は大きな声を出していた。


「ちょっと待って! 僕らはそんな関係じゃ―」


 由美子は溜め息をついた。


「はいはい、そうね。あなたたちはそんな関係じゃないものね。一緒に暮らして、一緒に登校してきて、一緒に昼ご飯食べてて、一緒に下校してるのに、そんな、関係じゃあないものね」


「神宮さん、どうしたの? なにか機嫌が悪いみたいだけど……」


「そうですねー。本当に御馳走様でした。なんとかは犬も食わぬというけど、本当にそうよね」


「僕らは夫婦でもないんだけど!」


「で、喧嘩の原因は何なのよ?」


 忠陽は昼間起きた事を自分なりに話した。そして、由美子がいだいている誤解も解くためにも一生懸命に話したがその点だけは理解してくれなかった。


「あの男に近づくなっていうのは分かるわ。あなた、よくアイツと仲良くできるわね」


「僕も最初は危ない先生だと思ったけど、今は信頼できる先生だよ。神宮さんは色々とあるみたいだけど、少なくとも先生としては信頼できるでしょ?」


 由美子はこの世の全てを憎悪するような顔をしていた。


「そんなわけ無いでしょ。敵よ、敵!」


「鞘夏さんもそう思ってるのかな……?」


「そうかもね」


 そっかと俯く忠陽。


「まぁ、それでも、腕だけは認めるわ。この島には必要かもしれないわね」


 忠陽は明後日の方向を見ている由美子を見て、笑った。


「神宮さんは優しいんだね」


「どうして、そうなるのよ?」


「僕は、自分の呪いを解きたいんだ。神宮さんも見たんでしょ? もう一人の僕を…」


 由美子は黙っていた。忠陽はまた、俯いた。


「鞘夏さんを殴ったり、蹴ったりして傷つけていたって。もしかすると家族にもそうしてきたかもしれない。そんなのは嫌なんだ……」


「呪いを解くのは簡単じゃないわよ」


「この前、先生の知り合いに言われたよ。呪いを解くのは自分自身だって……。まずは、僕が強くなればアイツは出てこられなくなる。先生は僕に力を貸してくれてるだけなんだ」


「私なら絶対に頼らないけどね、あんな奴……」


 由美子はふと、忠陽と視線が合う。たが、すぐに顔を背けた。


「あー、もう! 分かったわよ! ……私からも真堂さんに話してあげるわよ」


 忠陽は意外な顔をしていた。


「なによ!? 意外!?」


「いや、そ―」


「感謝しなさいよ。この私が動いてあげるんだから!」


 忠陽は言葉を止めた。少し後に鼻から息が出て、笑った。


「やっぱり、神宮さんは優しい人だよ」


 忠陽が家に帰り、リビングに入るとそこには鞘夏がいた。


 鞘夏は家に帰ってから、リビングにある食卓テーブルの椅子にずっと座っていたようで、鞄も片付けておらず、制服から着替えていなかった。


 忠陽に気づいた鞘夏は慌てた調子で「お帰りなさいませ」と言った。


 忠陽は鞘夏と対面するように座った。


「ただいま」


 忠陽は和やかに返事をした。


 その後、二人はそのまま黙ったままだった。鞘夏は顔を俯かせ、口を閉じたままだった。


「鞘夏さん。鏡華きょうかが来るまで話をしてもいいかな?」


 鞘夏は頷いた。


「神宮さんから聞いたけど、気分は大丈夫?」


 鞘夏はまた頷くだけだった。


「あのね、僕の呪いのことは知ってるよね……。僕はそれを解きたいんだ。学戦のとき、もうの一人の僕が君にしたこと、もうしたくない。……させたくないんだ」


 鞘夏は答えない。忠陽はその状況を見ながらそのまま続けた。


「本当は、父さんに助けを求めるべきだと思う。だけど……そうしなかったのは、本当の僕はどっちかを知るのが怖いからだ。今でも、呪いを解けば消えるのは、自分じゃないかと思うんだ」


 鞘夏は顔を上げ、忠陽を見る。


 忠陽は自嘲したように苦笑いしていた。


「でも、そうだとしても、僕が僕である限り君を、家族を傷つけたくないんだ。だから、もう一人の僕を出させないためにも強くなりたいんだ。それだけは分かってほしいんだ」


 二人は見つめ合う。お互いに何かを探り合うかのように。


 鞘夏がおもむろに口を開く。


「陽様の……お気持ちは……分かりました」


 彼女のいつもの口調とは違うが、それでもいつもと変わらない受け入れ方に、忠陽は不安を覚えた。

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