第六話 天谷の闇 その八


「ねぇ、陽兄ぃ。彼女でもいんの?」


 夕食中である。突然の鏡華きょうかの問いに、忠陽はご飯を喉に詰まらせた。せ返った忠陽は涙目になっていた。


鏡華きょうか! いきなりどうしたんだ!」


「いや、だってさぁ、最近の陽兄ぃの行動が怪しいから」


「どこがだよ?」


「最近まで、夜に、よく外に出てたでしょ? それに最近は学校から帰るのが遅いし。これは彼女ができたのかな~って」


「いや、たまには夜、コンビニに行ってもいいだろ?」


「コンビニに行くって言って、四時間も帰ってこないのおかしくない?」


 忠陽は妹の鋭い追求に怯んだが、それを誤魔化すように次の返答した。


「最近、学校の課題が増えて忙しいんだよ」


鞘夏さやかに聞いたけど、学校は、いつも通りらしいじゃん」


 忠陽はヒヤリとする。我が妹ながらきちんと情報を集め、かこいを作っている。


「まぁ、どうでもいいけどさぁ。妹の私にくらい、紹介しても良いんじゃない?」


 鏡華は視線を逸らし、さっきと打って変わってしおらしい。


 忠陽は神無たちの顔を浮かべた……。いや、できないよ。そう内心でツッコミを入れしまった。


「本当になんでも無いって!」


「嘘つくんだ!」


「嘘をつくもなにも、彼女はいないよ」


「怪しい……」


 鏡華はじとーっと睨む。忠陽はただ平常心を保つだけだ。


「ねぇ、今日はアイス買いに行かないの?」


「行かない」


「つまんないの。行ってきてよ、おゴリラ食べたい!」


「太るぞ」


「サイテー、彼女に嫌われるぞー」


「だから、いないって」


「はぁ。可愛い妹が彼女でもみたいと懇願しても出てこないのか。私、なんて可哀想」


「あのな! いないって言ってるだろう」


「じゃあ、最近なんで帰ってくるのが遅いのよ! 別に恥ずかしいことじゃないでしょう? 彼女くらい」


「お前が勘違いしてるから、違うって言ってるだけだろう!」


 二人は更にヒートアップする。じゃれ合うというには、その応酬は過激になりつつあった。


 ドンと音がなる。鞘夏が机を叩いた音だった。忠陽は怒りの感情も忘れ、鞘夏を見ていた。鏡華は舌打ちをした。


「何よ……」


「お二人共、はしたないです」


 鏡華は興が削がれたのか、それ以上追求することはなかった。


 忠陽は夕食後、鞘夏の皿洗いを手伝った。彼女には何となく伝えたいことがあった。黙々と食器を洗い、乾燥機へと入れていく。その手伝いをしながら言うタイミングを待っていた。


「陽様、お気遣いありがとうございます」


「ああ、皿洗いなんて。いつでも手伝うから言ってよ」


「いえ、そうではありません」


 忠陽は手を止めた。


 鞘夏も手を洗い、タオルで手を拭うと、畏まって謝礼をする。


「私などが先程差し出がましご注意を申し上げ、誠に申し訳ございません」


「そんなこと。あれは僕らが悪いんだ。そんなことを言わないでほしいよ」


 忠陽は気がいっしたことを悟り、皿洗いが終わると部屋へと戻った。部屋に戻る際に、扉に貼られた可愛い妹の切実な思いを載せた絵を見ると、不意に笑っていた。


 翌日、昼休み伏見のところへ訪れようと職員室を尋ねた。しかし、伏見は不在で、他の教員に聞くところによると生徒指導室にいるとのことだった。


 忠陽が生徒指導室へ訪れると、ちょうど部屋から伏見が出てきた。その後ろにいる女子生徒を見て、忠陽は一瞬心臓が止まった。


「忠陽くん、こんなところまで悪いな」


「いえ……」


 確かに今日の昼食の時、彼女はいつもと違い、居なかった。だが、ここに居たとは思わなかった。


 長い黒髪は艷やかに風が靡き、そして、凛とした佇まいは美しさを感じる。鞘夏がなぜここに? その疑問は忠陽の頭で堂々巡りをしていた。


 鞘夏は一礼をして、その場を去った。忠陽は何も言えずに見ているだけだった。


「忠陽くん、今日はこれや」


 伏見が渡す紙を受け取らず、忠陽は鞘夏を目で追った。


「忠陽くん、聞いてんのかい?」


 デコピンを食らって、忠陽は正気に戻った。


「今日はここや」


 伏見から渡された紙を受け取り、場所を確認する。だが、頭に入って来なかった。


「先生、鞘夏さんは――」


「気になるか?」


 忠陽は黙ったままだった。


「教えへん」


 忠陽は伏見を初めて睨んでしまった。


「意地悪いようやけど、個人的な相談事や。君には教えられへん」


「危険なことじゃないですよね?」


「君は自分が良くても、他人はダメなんか?」


「彼女は……」


 忠陽は言葉を飲んだ。


「安心し。そんなことやあらへん。はよ、行き。そろそろ掃除の時間やで」


 忠陽は不満を覚えつつも、大人しくその場を引いた。


 忠陽が去ると、伏見は嘆息する。


「なんや、考えることは一緒ちゅーことやな」


 放課後、忠陽は鞘夏を呼び止めた。普段通りに凜とした彼女の返事に忠陽は安堵する。


「あの、伏見先生に相談って……」


 忠陽はそう言いかけ、次の言葉がでない。


「いや、そのー。嫌だったら答えなくても良いんだけど……。ほら、鞘夏さんにも個人的な事はあるからさ」


「私は相談していたわけではありません。問い質していたのです」


 忠陽は安心感を得ていた。


「忠陽様のことを」


 その言葉で胸がドクッと動く。


 鞘夏は深々と頭を下げていた。


「このようなことをしでかし、私に罰をお与えください」


「罰だなんて……。鞘夏さんは別に何もしてないじゃないですか」


「いいえ。陽様への裏切りとも言えます」


「僕だって……、君が何か危ないことをするんじゃないかって、疑った。……それでなしってことにはいかないかな?」


 鞘夏は顔をあげ、真剣な顔をみせた。


「そうは、参りません」


 手を震わせながら、口を噛む姿がなぜが愛おしくもあった。


「なら、僕は罰を与えない。鞘夏さんが罰を望むのなら、それを与えないのが君への罰だ」


「それは……」


 忠陽は鞘夏に微笑んだ。だが、鞘夏は顔を歪めていた。

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