第11話 金騎士

 大都市イグラル


 聖騎士団金騎士『無傷の神父』フティアフは意識を研ぎ澄ませ、都市内にいる魔物の気配を探った。

 銀騎士以上の騎士に与えられる奇跡『救世の呼び鈴リャ・クルブ』は魔力を探知する。探知の範囲と精度は他の奇跡や聖具と同様、使用者の信仰心の深さに左右される。

 魔物からと揶揄されるフティアフの探知範囲は大都市イグラル全域に及び、精度はネズミ程度の小さな魔物の魔力さえも探り当てるほど正確だった。

 フティアフはフクロウのようにグルリと首を回し、魔物を感知した方角を見た。

「近場から参りましょうか」

 足音も無く、フティアフは忽然と消えた。



 穿葬隊のウェアウルフ『銀爪の狼』エソンは、人間の姿でも190センチの長身であるが、人狼形態では3メートルにも及ぶ巨体となる。

 彼の自慢は二つ名の由来でもある銀色の爪。魔力を込めることで大剣並みのサイズに肥大化し、切れ味は鍛冶屋顔負け。その巨体からは想像もできぬ俊敏さで敵陣を縦横無尽に駆け回り、戦場に血飛沫の花を咲かせる。敵陣を駆け抜けた頃には、彼の銀色の爪と白い体毛は真っ赤に染まっているのだ。

 誇り高き穿葬隊の精鋭でもあるエソンは、勝負に決闘じみた精神性を求めることが多々あった。特に聖騎士団のような、確固たる主張と戦意がある者が相手ならなおのこと。

「さあ、次はどいつだ?」

 エソンは五体をバラバラに裂いた死骸を跨ぎ、集まった聖騎士たちに詰め寄った。

「誰が闘う? 大人数でかかって来ても構わんぞ。俺は寛大だ、特別に許してやろう。どうやら俺と貴様らには、ハンデをくれてやってもいいほどの戦力差があるようだからな?」

「ぐ……っ」

 聖騎士たちは苦い顔でエソンと対峙していた。彼らの足は後ずさりたくて仕方がないようだが、命を賭すと誓った聖騎士の自負が敵前逃亡を許容しなかった。何より、周囲にはまだ逃げ遅れている住人が多数いた。彼らに非力な信徒を見捨てて逃げる道は無い。

「……ククク」

 だからこそ、エソンは聖騎士との闘いが好きだった。敵に逃げられることほど興醒めなことはない。その点、彼らは決して逃げない。全滅するまで、最期まで足掻いてくれる。

「どいつだ。今度は誰が折れの爪を赤く彩ってくれる?」

 エソンの背後から、男の声がした。

「私も、あなたを赦しますよ。『銀爪の狼』エソン」

 慈愛に満ちた、優しい響きのある声だった。不覚にも後ろを取られたエソンの体毛がゾワゾワと逆立つ一方で、声の主に気づいた聖騎士たちは顔に生気を取り戻した。

「何奴ッ!?」

 声の位置から相手との距離と背丈を予測し、エソンは振り向き様に銀爪を振り抜いた。

 甲高い金属音を鳴らし、エソンの右手の爪が根こそぎ砕け散った。彼の背後に立っていたのは、全身鎧尽くめの聖騎士だった。

「まさか、貴様」

 胸に埋められた金色の『聖剣十字』がエソンの目に留まった。彼は喉をゴクリと鳴らしたが、堪え切れずに牙の隙間から涎がだらしなく垂れた。

 彼の体毛を波打たせたのは、武者震い、本能的に感じた恐怖、そして果てしない――悦び。

「なんという僥倖!」

 エソンは高々と跳躍し、高層の民家の壁に足の爪で張り付いた。

「その兜! マント! 胸の証……フハハ! やはり貴様は狂神父だな!? こんなところで出遭えるとは!」

『無傷の神父』フティアフはゆっくりと顔を上げ、エソンを仰いだ。兜の奥にあるフティアフの眼が、確かに自分を見ている。エソンは強敵から注がれる視線に、満面の喜色を称えた。

(狂神父フティアフ! 聖騎士団最高戦力の一角を担う男! 数え切れない魔物を葬ったその口で、俺に何を語ってくれる!?)

 違和感にエソンが気づくのは早かった。それは野生の勘というより、戦士としての経験則だった。

(……なんだ、その眼は?)

 敵意が無い。フティアフからは殺気を全く感じなかった。構えもまるでなっていない。騎士が戦場で取るべき臨戦態勢からは程遠い、無防備な佇まいだ。

(油断を誘っているのか? 金騎士を侮る者などいない。何のつもりで……)

 フティアフは両手を挙げた。エソンは隣の建物の屋根に素早く移ったが、攻撃ではなかった。鎧の神父が取った行動は、信じ難いほど拍子抜けだった。

 まるで抱擁を求めるように、胸に飛び込んで来いとでも言うように、両手を大きく広げたのだ。

「『銀爪の狼』エソン」

 父が子に語りかけるように、フティアフは言った。

「懺悔しなさい。あなたの罪を告白しなさい。私は、その全てを赦します」

 一陣の風が、フティアフのマントを揺らした。エソンは言葉の意味を深読みしようとしたが、2秒で諦めた。裏表の無い、まっすぐな言葉だ。魔物であるエソンにそう確信させるほど、フティアフの吐く声は誠意と包容力に溢れていた。

「……金騎士ともあろう者が、呆れる」

「はい」

 フティアフは兜を上下させて頷く。

「狂神父と言えども、度が過ぎるぞ。魔物に懺悔を求めるとは」

「はい」

「信心深いにも程がある」

「ええ」

「この期に及んで、我ら魔族に平和的解決が通じるとでも思っているのか?」

「そうなんですか」

「武器を取れ。それともステゴロか? 俺がそこまで降りてやらないと攻撃もできないのか?」

「それは大変でしたね」

「……」

「そうだったんですか」

 エソンの鋭敏な嗅覚は、獲物の位置を正確に把握できる。先程まで対峙していた聖騎士たちが住人を連れてそそくさと退散するのを、エソンは嗅ぎ取っていた。

「なるほど、仲間と住人を逃がすための時間稼ぎか」

「私はわかって上げられますよ、エソン」

「意外と姑息な手段を使うのだな、聖職者という奴は」

「勇気を出して、話してくれましたね。私は嬉しいですよ、エソン」

「……もう時間稼ぎは充分だろう。その気色の悪い相づちをやめろ」

 鎧をカシャンと鳴らし、フティアフは大きく手を広げた。

「おいで、エソン」

「いい加減に――」

 フティアフは言った。

「私は、あなたを赦します」

「……ッッ」

 エソンが悪寒を覚えたのは、未だかつて経験したことがないほど優しい言葉を投げかけられたから、ではなかった。実際、そんな言葉の数々をかけられるのは吐き気を催すほど気持ちが悪かったが、それよりも許容し難かったのは――フティアフ自身が、吐いた言葉全てに、一言一句余すことなく本気の慈愛を込めていたことだった。

 あろうことかこの神父は、本心から、魔物に赦しと慈愛を与えようとしているのだ。

「フ、フフ……」

 四天王を殺した、規格外の人間。

「フフフ、まさに狂神父だ」

 精神性までも、規格外だ。

「望み通り、行ってやる」

 爪で瓦を掻き蹴り、エソンは屋根から跳んだ。フティアフの遥か頭上を跨いで対面の民家へ移り、また壁を蹴って別の建物へ移る。エソンは跳躍を繰り返すごとに加速し、フティアフの周りを嵐のように跳び回った。

「できるものなら、貴様の愛とやらで魔物を赦してみせろ! 生首になってからでも、同じセリフを吐けるならなぁッ!」

「ええ、もちろんです」

 いつ首を刎ねられるかわからないこの状況でも、フティアフは一向に敵意を表に出さなかった。防御の兆候すら無い。自分を生贄として捧げているようですらある。

(ノーモーションの奇跡を発動するのか? 何が来るかわかったものではないが……面白い、それでこそ四天王殺し!)

 かつてないほど溢れて止まらない涎が、エソンが踏み砕く壁や屋根の破片とともにあちこちへ飛び散った。あまりに速く跳び回るエソンは、滞空する自分の唾液に顔を打たれてびしょ濡れになっていた。

(いくぞ、金騎士ィッ!)

 死角ではなく、敢えて真正面から。人体の動体視力では追いつけないほどのスピードで、エソンは突撃した。

 狙いは、宣告通り首。小指と薬指の銀爪は牽制、本命は中指だ。人差し指は仕留め損ねた際の予備。親指は防御。大手を広げたポーズのまま、呑気に突っ立っているフティアフの首へ銀爪の切先を突き立てる。

(死ね狂神父!)

 エソンは『無傷の神父』の由来を知っていた。

 途方も無い信仰心による、絶対的な加護の防御力。彼の鎧には傷一つつけることができないという。絶対防御であるが故に、絶対に負けることがない。四天王を討ち取るほどのフティアフの厄介さは単純明快だった。

 しかし噂は山ほど耳にするが、現実にどれくらい防御力が優れているかは、触れてみなければわからない。イメージはあくまでイメージでしかない。

 さて、百聞は一見に如かずとはよく言ったものだが……その事象があまりに現実離れしていた場合、直に触れたとしても理解ができないということは、稀にある。

 エソンは一度、触れていた。ファーストコンタクト、振り向き様に一閃した爪を根こそぎ折られた。目の前で起きた現実が過ぎたので、エソンの頭は理解を拒んだ。解釈を曲げたと言ってもいい。何か、摩訶不思議な奇跡を作用させて銀爪を破壊したのだと、エソンはそうに違いないと決めつけた。

『無傷の神父』が規格外であることはわかっていたが。

 では、具体的にどれくらい規格から遠い場所にいるのかを、エソンはわかっていなかった。

 ファーストコンタクトの再演。

 バギャアンと音を立て、エソンの銀爪は最後の一本まで砕け散った。

「……ッッッッ????」

 鎧が硬過ぎて爪が割れたのなら、まだ理解できた。

 エソンが混乱したのは――手応えがからだ。

 加速に加速を重ね、音速を超える速さに達していたエソン渾身の銀爪突きを急所に食らったにもかかわらず、フティアフは微動だにしなかった。

 踏ん張っていたわけでも、姿勢を保とうと努めていたわけでも、なんなら歯を食いしばってすらいない。佇まいを見れば、それくらいエソンでもわかる。

 硬いとか、防ぐとか。1ミリも下がらないとか、身じろぎ一つとか。

 そんな易しい次元レベルの話ではない。

 兜越しでもわかる。フティアフはエソンの攻撃を受けて、眉一つ動かさなかった。本当にフティアフに攻撃したのか? と自分を疑ってしまうほどに、ピクリとも。

「……はっ、は……はぁっ……!」

 そのあまりに過ぎる現実は、たちどころに戦士エソンの許容キャパシティーを超過した。

「うわぁぁああああああ!?」

 理解できないという、恐怖。

「エソン、安心しなさい」

 人類から生じた、埒外バグ

「あなたを赦します」

 踵を返し、エソンは逃走した。500年の生涯で最も速く、彼は走った。骨格を入れ換えて狼に限り無く近い形態フォルムに変わりながら、文字通り尻尾を巻いて逃げた。あっという間に、先程の聖騎士や住人をも追い越していた。

「大丈夫」

 すぐ隣から声がした。

「怖がらないで、エソン」

 そこには、並走するフティアフがいた。

「~~~~ッッ!!??」

 フティアフがエソンの首を横から掴み、彼を傍の建物の外壁に衝突させた。3メートルの狼の首は太く手に余ったが、フティアフは凄まじい握力で皮膚ごと首の肉を捕らえていた。フティアフはエソンを壁に押し付けたまま、100メートルに渡って走り続けた。

「これは赦しです」

 建物の無い広場に出ると、フティアフは逃げようとするエソンの尻尾を掴んだ。わけがわからないほどの腕力でエソンを振り回し、広場の中心にある噴水の天辺に叩きつける。

「あなたを救います」

 木端微塵になった噴水からエソンを持ち上げ、レンガ敷きの地面に振り下ろす。地面にクレーターができ、レンガが波打った。

「頑張って下さいエソン」

 尻尾を引っ張り、噴水の残骸にエソンを叩きつける。また持ち上げて、地面に叩きつける。エソンの天地がひっくり返ったかと思うと、また元に戻る。空に落ち、地面に上がる。何度も何度も。

(ああ……そうか)

 尻尾がちぎれると、フティアフはエソンの下顎を掴んだ。

 そして、また振り回して地面に叩きつけた。

(あの聖騎士ども……俺から住人を逃がしていたんじゃない)

 下顎が取れると、フティアフはエソンの睾丸を掴んだ。

(この化け物から……逃がしていたんだ)

 睾丸が取れると、フティアフはエソンの右足を掴んだ。

 右足が取れると、フティアフはエソンの左足を掴んだ。

 左足が取れると、フティアフはエソンの恥骨を掴んだ。

 恥骨が取れると、フティアフはエソンの右腕を掴んだ。

 右腕が取れると、フティアフはエソンの左腕を掴んだ。

 左腕が取れると、フティアフはエソンの背骨を掴んだ。

 背骨が取れると、フティアフはエソンの……。

「良かったですねぇ、エソン」

 手元に残った左耳エソンに、フティアフは慈愛を込めて語りかけた。

「これで、あなたは赦されました。あなたは天国へ逝けます」

 兜の内側は満面の笑みだった。終始、フティアフの声と表情から慈愛と温もりが絶えることはなかった。

 不思議なことに、鮮血に染め上げられた広場の中心にいながら、フティアフには返り血一つ付いていなかった。左耳エソンを握り潰した掌にも、血溜まりを歩く靴底にも、血は付かなかった。大気を漂う微小な塵でさえ、鎧には触れもせず不自然に迂回して過ぎ去った。

「次はどなたでしょう」

 フティアフは『救世の呼び鈴リャ・クルブ』で捕捉した最も近い位置にいる魔物の方角へ、足を向けた。

「行きましょう。一人残らず、天国へ逝けるように」

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