第10話 魔王親衛隊

 魔王軍領 魔都

 魔王城


 魔王親衛隊副隊長の豹人『虚玉の奏者』イローは執務室で業務に勤しみつつ、試煉参加者の帰還を待っていた。

 第1試煉開始から2か月。期間は半年だが、早くも5人の通過者がいた。試煉会場に参加者が『聖剣十字』を持って入ると、イローの机に置いた髑髏の顎がカチカチと鳴って報せてくれる。ついさっきも、潰葬隊のゴブリンで名は確かアリルレグと言ったか……が、『聖剣十字』を持って来たところだった。

「……」

 イローは仕事の手を止め、そのゴブリンのことを思い出していた。

(ゴブリンが四天王試煉に参加するとは思わなかったが……まさかこんなに早く通過するとはな)

 ゴブリンは弱小種族だ。体格が小さく、魔法も不得手。武器といえば繁殖力に物を言わせた数の暴力くらいのもの。寿命も魔族の中ではそれほど長くない。

 種族間には努力だけではとても埋められない格差がある。イローも獣人族の一種の豹人ではあるが、数代前に魔女の血が入っている。魔法の才に恵まれたのは魔女の血のおかげだ。対して、アリルレグは純血のゴブリン。とても四天王の器には思えない。第1試煉は上手く乗り越えたようだが、この先の試煉では生き残れるかどうかすら怪しい。

(と、考えるのが普通だが……)

 イローは髑髏の報せを受けて空間転移魔法エヴォムで会場に行き、アリルレグに『聖剣十字』と引き換えに第1試煉の突破認定を与えた。その際、正直に打ち明けると……イローは直で対面したアリルレグに、見惚れてしまった。

(……とてつもない眼をしていた)

 一人の戦士として、アリルレグに素直な畏敬を抱いた。

 仄暗く澱み、狂気と理性を同居させた冷たく猛々しい眼光。多くの命を奪って来た眼だ。そして、己が死ぬことも恐れていない。あれは目的を果たすためならば、己の命も他者の命も平気で犠牲にする狂人の貌だった。

(潰葬隊にはゴブリンの専門部隊があったな。長期潜伏奇襲部隊エガルフオマック……奴もその隊員か)

 アリルレグはまだ100歳かそこらの若造もいいところだが、先の戦争には参加していたはずだ。戦績を残していないか調べてみよう。もしかしたら、魔王様が期待する掘り出し物かもしれない。

(よもや、本当にゴブリンなんかが四天王にでもなったら……魔王軍の歴史が大きく変わるな)

 業務に戻ろうとすると、執務室のドアがノックされた。イローが返事をするより先に、ドアが勢いよく開け放たれた。

「イロー! 元気かー!」

「お邪魔します副隊長」

 ドアを開けた女のアンデッドは、親衛隊『土葬のデドヌ』。

 後から入室した身長250センチ強の鳥人は親衛隊『弾鉤師だんこし』エルジェ。

 イローの直属の部下であり、四天王試煉の運営も務めている。

 イローはペン尻で頭を掻き、デドヌに苦言を呈した。

「返事をする前に開けるな」

「んんー!? 返事をするために息を吸うのが聞こえたがー?」

「キモい聴力だな。エルジェもこの腐乱女を止めろ。いつか俺の部屋のドアが壊れるぞ」

「申し訳ございません」

 エルジェはイローより200歳下の800歳。腕は確かだがいまいち積極性に欠ける男。きっと次もデドヌを御すことはできないだろう。デドヌが若く見えて実は1600歳の親衛隊最古参であることも、エルジェが遠慮する原因の一つだと思われる。

 デドヌはイローが机に広げた書類を見て、無駄にオーバーなリアクションをした。

「うわーなんだイロー! 仕事してんのかーお前ー。試煉運営で大変だろーにー」

「暇だからな。お前も試煉を理由にサボってないで溜まってる仕事を片付けろ」

「よしー暇なら遊びに行こうぜー。ちょうどこれから競竜が始まるんだー」

「鼓膜まで腐ってんのかよこの女。おいエルジェ、こいつをさっさとつまみ出せ」

「承知致しました。デドヌさん、もう行きましょう」

「いやだー!」

「承知致しました。駄目でした、副隊長」

「意志が弱ぇ!」

 デドヌがイローの机の上で頬杖を突き、露骨に仕事を邪魔して来る。

「遊びに行こうぜーイロー。お前は頑張り過ぎだー、たまには休まないと死ぬぞー」

「既に死んでる奴に言われたくねぇな。あと競竜は中継で観るからどのみち行かん」

 エルジェが顎髭を撫でて納得したように頷いた。

「なるほど。それで片目を閉じていらっしゃるのですね」

「あー、千里眼セリムかー」

「違うわ。こっちの眼は試煉の様子を観察してんだよ!」

 参加者に配ったバッジにはイローの千里眼がマーキングしてある。単独の千里眼魔法では視ることのできる範囲に限界があるが、バッジを中継すればどれだけ距離が離れていようと装着者の近辺に千里眼を展開できる。

「真面目だなーイローは。そんなに試煉が気になるのかー?」

「監督してんだから当たり前だろうが」

「副隊長は仕事熱心でございます」

「そう思うならお前らもちょっとは俺を見習って?」

 イローは椅子の背に凭れ、大きなため息を吐いた。

 全くこの馬鹿どもと来たら。戦場では優秀だが、平時の業務となると途端に役立たずになる。

 親衛隊は魔王への忠誠心と純粋な戦闘能力を基に選抜されているため、メンバーはちょっと話が通じるだけの戦闘狂ばかり。実力は確かでも、四天王にはなれない類の連中だ。

 選抜基準に見合わず、実際の業務は魔王城の管理や後進育成、魔王軍の各隊の統率など地味なものばかり。本来の役目とも言える魔王の護衛任務は、100年に一度勇者が攻め込んで来た時のみである。

 親衛隊の仕事は、退屈な雑務も平気でこなすことができる変わり者に押し付けられる仕組みになっている。そう、変わり者。親衛隊の隊長や副隊長に指名されるのは単なる実力者ではなく、決まってイローのような変わり者なのだ。

「お前らも少しは試煉に関心を向けたらどうだ。仮にも運営だろう」

「そう言われてもー、うちらはイローみたいに千里眼マーキングしてないしー」

「参加者は600人もおりますしねぇ」

「チッ。お前らならやる気を出せばどうとでもなるだろ」

 イローはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「やれやれ。大都市イグラルでは四天王候補者がピンチになっているというのに。運営がこんな奴らでは浮かばれんな」

「イグラルぅー?」

「『聖剣十字』が多い都市でございますね。ピンチとは、いったい何事で?」

 イローは参加者が身に付けたバッジを通じ、遠く離れたイグラルの景色を視ながら言った。

「金騎士が現れた。『無傷の神父』フティアフだ」

 デドヌとエルジェの目つきがわかりやすく変わった。猛者の名前には反応が良いようだ。

「マ?」

「誠にございますか?」

「ああ、マだ。『光の扉エンフィス・エターグ』を使ってのご登場だ。おおかた、都市の近辺に遠征でもしていたんだろうな」

「はははー、それはー人が悪いなーイロー。いくらなんでもー」

 デドヌはイローの隣に回り、肩に肘を置いた。彼女の体には顔も含めて無数の縫合痕がある。彼女が顔を寄せてくると、仄かに、彼女自身の死臭が香った。

「有力候補もみーんな死んじゃうよー? 金騎士の遠征に被せるなんて、悪意マシマシじゃーんー」

「人でなしでございますね」

「そりゃ人じゃねぇからな。あと別にわざとじゃないぞ」

 イローは迷惑そうにデドヌの肘を振り払った。

「金騎士がいたのはたまたまだ。流石の俺でも、候補者を金騎士に売り渡すような真似はせん。魔王軍の戦力の損失に繋がるからな。しかも狂神父だぞ? やるならせめて相手は銀騎士に留めるさ。俺も鬼じゃない」

「いやー『聖剣十字』って来いって言う時点でだいぶ鬼だけどなー」

「鬼でございますね」

「あーはいはいわかったわかったもういいよ鬼でも悪魔でも。どうせ魔王軍だから」

 エルジェが真面目な声色で尋ねた。

「で、どうするのでございますか?」

「……はっきり言って大ハプニングだが、試煉として始めた以上は手出しできん。損失を覚悟で見守るしかない」

 デドヌが机の髑髏を指でコツンとつついた。

「何人死ぬかなー?」

「あいつらも馬鹿ではない。金騎士と真っ向からやり合いはせんだろうさ。逃げるのも賢い選択だ。……まぁ、一部例外はいるだろうが」

 蛮勇や私怨で金騎士に挑みそうな候補者を数人頭に思い浮かべ、イローはかぶりを振った。いま浮かんだ者たちの命は、諦めた方が良さそうだ。

「不測の事態ではあるが、『無傷の神父』はある意味、四天王選抜試煉に相応しいゲストとも言えるな」

「あー言えてるー。『猛進のエスロ』をタイマンで倒した四天王殺しだもんねー」

「……」

 エルジェは眉間に深いしわを作り、心底から遺憾そうに呟いた。

「候補者たちは本当に気の毒でございますね」

 彼は仕事ができないだけで、根は真面目な鳥人だ。魔王軍の未来を担う若者たちを憂いたセリフは、本心だった。

「我々でさえも、あの狂神父には勝てないのですから」

 憎き敵への評価もまた、惜しみない本心だった。

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