第9話 打貫の騎士

 聖女トゥニアは尋ねる。

「あなたはどうして聖騎士になりたいのですか?」


 意外にも、聖都で生まれ育った敬虔な信徒が聖騎士になることは滅多にない。安全且つ恵まれた環境しか知らない彼らにとって、争いとは遠い世界の出来事だった。それに、別に自分たちがやらずとも、自ら進んで戦場に赴いてくれる勇敢な者がいた。その者たちに任せておけば、信徒たちは危険を冒さずに済んだのだ。

 聖騎士の大半は聖都の外の出身者だ。魔物の蔓延る無法地帯で生まれ、地獄を味わってきた子供たち。多くが幼少に家族を喪い、飢餓に苦しむか、魔物に奴隷として飼われているところを聖騎士団に保護される。

 聖都に連れて来られた子供たちには、清潔な服と温かな食事と、安全な寝床が与えられる。それまでの人生では考えられないほどの幸福な暮らしだ。

 やがて子供たちは、自ずと使命に目覚める。神に仕える兵となり、自分の運命を狂わせた邪悪な者たちを滅することだ。大人になる頃には、彼らは卓越した対魔物の戦闘技術を身に付けた精鋭の騎士に育て上げられている。

 外部のあらゆる機関が幾度と無く聖都の孤児院を調査したが、教育の過程で聖騎士団が子供たちに騎士になることを強要した証拠は見つけられなかった。無作為に選んだ複数の子供に聞き取りを行っても、聖騎士団への不満が吐露されたことは一度も無かった。

 誘導率ゼロ。に対する、孤児の100%が聖騎士を志願するという事実。

 この驚異の数字の差は、聖騎士団の洗脳教育が完璧であることを物語っている。

 ただし彼らが施す洗脳とは、世に跋扈する悪辣な催眠と苦痛を伴う洗脳とは程遠い、純粋な真心から植え付けられるものだった。それ故に根深く透明で、双方が自覚を持たず、親子間の慈愛によく似た自然な形で形成される。

 救済。

 わかりやすく単純なこの行為ほど、愛に飢えた子供の心に容易に入り込むものはない。

 飢えから、痛みから、寒さから、恐怖から。聖騎士団は孤独な幼子たちを掬い取る。たったそれだけで、生涯を捧げる兵士が手に入る。

 如何にそれが計算づくの措置であろうと、物理的にも精神的にも救済が成された事実に変わりはない。自発的に恩を返そうと奮い立つ、ごく純粋な子供たちの姿勢に異を唱えられる者など、誰一人いなかった。

 こういった救済と洗脳の歴史を1000年に渡り積み重ね、聖騎士団は現在の勢力と地位を確立したのである。


「こんにちは、ツェノ」

 聖騎士団の創設者にして生ける神の代弁者、聖女トゥニアは聖騎士を志す全ての者と対話する。

「あなたのお話を聞かせて下さい」

 救済を無害な洗脳に利用した第一人者である彼女こそ、孤児の聖騎士志望率100%を保ち続ける直接的な要因だった。

「あなたはどうして聖騎士になりたいのですか?」

 幼きツェノは答える。涙を浮かべた眼の奥に、熱く煮え滾った溶岩のような憎しみを渦巻かせて。

「魔物を……この手で皆殺しにしたいからです」

 聖女トゥニアは、ツェノの頭を優しく撫でた。実母と見紛う深い慈愛に満ちた笑みで、ツェノを包み込む。

「あなたなら、きっとできます」


 ある日、聖女トゥニアは語ったことがある。

「魔王軍には感謝しています」

 カップの水面に映るその微笑みは、信徒や子供たちに語りかける際と変わりなかった。彼女は愛を説くのと全く同じ声と心境で、次のセリフを吐くことができた。

「神は兵を生みません。復讐者という名の兵士を生み出すのは、いつだって悪魔なのです」



 大都市イグラルから北へ200キロメートル

 エレノール森林


「驚いた」

 赤とピンク色と、白色が混ざった生温かい雨が降る中、ニドは素直な感想を口にした。

「そこまで加護の鎧が硬いとは。凄い信仰心だね、流石は銅騎士だ」

 生き残ったのは『打貫の騎士』ツェノだけだった。

 誉れ高い銅騎士の鎧と鎖帷子が剥がれ落ち、間近で破裂した部下の血肉を浴びて無残な姿に変わり果てていたが、ツェノは辛うじて無傷だった。

(いったい、何が……)

 鼻腔と口腔に侵入した血肉の強烈な臭いにむせ返りながら、ツェノは目の前で起きた惨状を理解しようと努めた。

(鎧がボロボロに……それに、剣も)

 剣身が折れ、ツェノの剣は柄しか残っていなかった。なんて思っていたら、柄もすぐに崩れ落ち、ついでに籠手もパラパラと剥がれた。

(加護が消えてる?)

 神の加護は不滅である。

 強力な物理的、魔法的ダメージを受けて破られることはあっても、あくまで一時的だ。時間経過や祈りを捧げることによって、加護は何度でも復活する。神が不滅であるように、如何なる魔法を以てしても加護を消し去ることはできない。

 ところがこの鎧たちはどうだ。結界に穴が空いたなんて可愛いものではない。加護のひと欠片さえも感じ取れなくなっていた。祈っても、うんともすんとも言わない。

 鎧や剣に付与されていた神の加護が、完全に消滅していた。

(うそだ……ありえない。そんなことって)

 何かが崩れる大きな音がし、地面が震動した。音のした方を見ると、教会が半壊していた。木材は腐り壁は割れ、目を離した隙に何十年も経過してしまったかのように老朽化していた。

 鎧と同じだ、とツェノは悟った。

(教会も? ってことは、やっぱり……加護そのものを攻撃してるんだ)

 装備もろとも粉々に散った、部下たちの残骸に目を落とす。聖騎士は肉体そのものにも加護がかかっている。その加護が壊されれば、肉体も同じ末路を辿るのは必至。もっとも、そんな現象は今の今まで、歴史上ただの一度も観測されたことはなかった。

(どういうことなの?)

 事実は認識できる。しかし、理解は全く追いつかない。先述の通り、加護の完全破壊は不可能だからだ。これはツェノの感情的な抵抗ではなく、この世のルールに則った極めて冷静且つ合理的な疑問だ。

(加護を壊された事例なんて聞いたこともない。でも……魔法じゃないことだけは、確か)

 加護と奇跡は、魔力と魔法の上に立つ。この力関係が覆ることはありえない。ニドが加護を超越する謎の力を行使したのだとしたら、それは魔力以外の何かだ。

 ツェノは変わらぬ敵意と、仲間を奪われた怒りに由来する殺意、そしてごく本能的な恐怖を孕んだ鋭い眼差しでニドを睨んだ。

「いったい何者なんだ……お前は」

 魔王の友人、ニドは思い悩んでいた。

(うーん。加減し過ぎたかな)

 半壊した教会にちらっと目をやる。僅かに残された屋根に、『聖剣十字』の幻影が立っているのを確認し安堵する。

(でもこれ以上の微調整は難しいかな。『聖剣十字』を壊しかねない。あれが壊れたらまた探さなきゃいけなくなっちゃう。それは面倒臭い)

『聖剣十字』探しに無駄な時間を割くくらいなら、さっさとクリアしてバッジの解呪に取り掛かりたい。

を使うのは無しだな。こんなところでホイホイ披露するようなものじゃないし)

 ニドはツェノを見つめ返した。加減したとはいえ、ニドの攻撃に耐えた非常に強力な加護の鎧を体に纏っている。他の聖騎士たちと違い、下級魔法ウォルで殺傷するのは難しそうだ。ならば中級魔法リティニ上級魔法ヴイダを使えばいいだけの話なのだが、不都合なことに、最弱形態今のニドは下級魔法しか扱えない。

(どうしようっかなぁ)

 手加減なんて滅多にしないので、戦いに困ったことは無かった。聖騎士相手なら問答無用で加護を破壊し、それ以外が相手なら下級魔法にちょっと細工をすればたいてい何とかなった。

(魔法が駄目なら、あと他に加護を破る方法って言うと……)

 ニドはエプロンのリボン結びをギュッと絞め、「よし」と頷いた。

「普通に嬲り殺そう」

 ツェノは顔の血肉を拭い、鎧と鎖帷子の破片を体から払い落とした。彼女もまた、ニドの倒し方を考えていた。

 攻略するには、まず敵の特性を見極めなくてはならない。聖騎士団は通常、念入りな下調べをしたうえで討伐任務に赴くので、このような突発的な戦闘でない限りはさほど対策メタに苦労することはない。

 その点では、ニドは限り無く攻略困難な相手だった。ツェノが把握する限り、聖騎士団の魔族記録に該当する魔物はいない。

 前例が無いのならその場で対策を練るしかないわけだが、それもまた難解だった。

(そもそも……本当に魔物なの?)

 ニドからは、何も感じなかった。

 恐怖はツェノの私的な感傷に過ぎない。もっと根本的な、ニドが発するもの。人殺しの狂気や、獣の猛々しさや、魔物の凶悪さ。命を奪う時、人も獣も魔物も問わず、万人が抱くはずの冷徹さや情動を、ニドからはこれっぽっちも汲み取ることができなかった。

(まるで……人でも、魔物でもない……みたいな)

 最初にニドを目にした時の感覚が蘇った。扉を開けると、理不尽な天災のようにそこにいた少女。善意はもちろん、彼女には悪意さえも無いのではないか。

 ただ結果だけをもたらす者。彼女の佇まいを表するなら、まさしくそれだった。しかし、そんな立場や視点が許されるのは、神だけだ。一個人が立っていいスタンスではない。

「今……」

 肌が粟立つのを感じながら、ツェノは尋ねた。

「今、お前は何を考えている?」

「んー?」

 ニドは小首を傾げた。

「君にかける調味料とか?」

「……そうか」

 良かった。こいつは神と同列じゃない。神が全てを等しく尊んでいるとしたら、こいつは真逆だ。

 全て等しく、無価値なのだ。故に、手を下すのに何の感情も要さない。

(私は皿に載った食事か……ふざけんなって感じだけど、納得できてちょっと楽になった)

 この少女のようなは、共感や理解といった、人が持つ心理の埒外に在る。

 正直、こんな気持ち悪い奴を相手にどう立ち回ればいいかはわからない。対策のしようがない。

(それでも……)

 唯一、断言できることがあるとしたら。

(この化け物は、ここで倒さないと駄目だ。絶対に、どこへも行かせちゃ駄目だ)

 周囲一帯を赤く染めた部下たちの残骸に、ツェノは心の中で懺悔した。

(ごめんね皆、守れなくて。隊長らしいこと、何一つできなくて)

 ツェノは片耳に付けていたピアスを抜いた。

(立派な隊長にはなれなかったけど……それでも、私は独りでも戦うよ)

 十字のピアスが神々しい光を放ち、変形しながらみるみる巨大化した。棒状に伸長した光を掴み、ツェノは構えを取る。

「ふーん」

 ニドはぼやいた。

「まだ活きてる聖具があったんだ」

 光が止むと、ピアスはツェノの身の丈もあるウォーハンマーに変貌を遂げていた。


 聖槌『天使の撲翼レグナ・レンマ


 翼を備えた鎚の上に浮かぶ光輪ヘイローは、天使の聖具レグナ・ノーパの特徴である。聖騎士団が保有する聖具の中でも随一の加護を宿した破壊不可の武器であり、数百年に渡り優れた聖騎士の手を渡り歩いて来た歴戦の勇士。

(私と『天使の撲翼レグナ・レンマ』が無事だった理由……考えつくとすれば、皆よりも信仰心加護がちょっと強かったことくらいか)

 少なくとも、先程の未知の攻撃で即死させられることはない。今もツェノと聖槌が原型を保っているのがその証拠。

(唯一壊されなかったこの聖具なら……こいつにも、対抗できる)

 光輪が光り輝き、柄を通じて加護の力がツェノへ流れ込む。にわかに吹き荒れる風が、ツェノに付着した血肉を拭い落とした。

 長い瞬きを経ると、ツェノの瞳には光輪が宿っていた。

「はぁああ……!」

 ツェノの五体から迸る光が噴火を起こし、天を穿った。逆立つ髪から弾け飛んだ髪留めが、彼方へと飛び去る。

「……」

 ニドは眩しそうな顔をし、飛んでいった髪留めを目で追った。

(敵を前に気を逸らすとは、本当に舐めてるんだな)

 ツェノは柄を強く握り締めた。

(だが、その侮りが命取りとなる――!)

 天へ昇る加護の光の放出が、止む。

 次の瞬間、閃光と化したツェノはその場から消え、ニドの頭上から『天使の撲翼レグナ・レンマ』を振り下ろしていた。

 ツェノの中で循環した加護の力が再び柄へと還り、聖槌を螺旋状に駆け巡った。鎚の翼が大気を叩き、スピードとパワーに拍車をかける。双眸と鎚の光輪が尾を引き、一直線にニドへ肉迫した。


「『聖徒の撲殺刑スティア・スカート』ッ!」


 ボギィッ。

 という二重の悲鳴が鳴り、ツェノの両前腕がへし折れた。

 裂けた皮と筋肉の内から、折れた尺骨と橈骨が剥き出しになっている。両手はツェノの視界の隅で宙を舞い、主人を忘れてどこかへ旅立とうとしている。

 ニドは無造作に挙げた手で、『天使の撲翼レグナ・レンマ』の打撃を止めていた。破壊不可の加護をかけられたはずの鎚は、ニドの小さな手によって粘土のように握り潰されている。

 彼女は今も、髪留めを目で追っていた。

「……羽根を模した髪留め」

 とある女の姿が脳裏を過ぎった。と違い、あの女が設ける場所はよく晴れていて、庭に沢山の花が咲いていた。

 カップを口に運ぶ。その手に嵌めた腕輪の模様を、憶えている。

 いつも、それを付けているから。

「トゥニアの趣味か」

 落下するツェノに、ニドは強烈なハイキックを見舞った。

 ツェノの眼に捉え切れないほど速い蹴りだった。ニドの爪先は聖槌の柄を呆気無く断ち切り、ツェノの腹筋に突き刺さった。捻りの加えられた蹴りはツェノが身に纏う加護の鎧もろとも、はらわたを掻き混ぜた。

 ニドが蹴りを振り抜くと、ツェノは教会へ突っ込んでいった。ツェノが叩きつけられたことで瓦礫の山が崩れたが、衝撃で揺れた教会の残りの屋根が崩落し、新たな瓦礫が降り積もった。

 ツェノは辛うじて瓦礫の下敷きを免れていた。彼女が掠れた呼吸をするたびに、腹部に穿たれた傷口から鮮血が溢れ出た。

「本当に頑丈タフだね。君の育てた刺客はいつも厄介だ」

 ニドは聖槌をポイッと捨て、教会へ向かって歩き出した。

「運動したら小腹が空いたし、あの銅騎士食べて行こうかな」

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