第8話 加護熔解

 大都市イグラルから北へ200キロメートル

 エレノール森林


 森にひっそりと住む家族が所有する、小さな教会。

 その祭壇の前で、魔王の友人ニドは悪戯を親に見つかった子供のように愕然と硬直していた。

「……やっ……べ」

 扉の前に聖騎士が4人。たぶん外にもまだいる。既に剣を抜いているのを見るに、結界の穴を感知して臨戦態勢に入ったのだ。

(うっそでしょ……なんでこんな所に聖騎士団が!? いや、『聖剣十字』がある教会だから聖騎士団が立ち寄っても何もおかしくはないけど……だとしても間が悪過ぎでしょ! なんで今!?)

 ニドはじわりと汗をかき、唇を噛んだ。

(私としたことが……ここまで接近されても気がつかなかったなんて。教会の空気で感覚が鈍ってた所為だ。本当にイヤな所だなぁ、神の領域は)

 今さら人間ぶっても無駄だ。神父の惨殺死体と、すぐ傍に平然と立っているニド。状況証拠は充分。何より、ニドを見る聖騎士たちの目は完全に警戒の色をしていた。

(どうしよう、ど、どうしよう……!)

 プチパニックになったニドは目をぐるぐる回した。

(とっ、とりあえず『聖剣十字』を――)

 祭壇にある『聖剣十字』を取ろうと、ニドは踵を返した。が、その行動は聖騎士の目に逃走を図ったように見えた。

 一番手前にいた、ポニーテールの若い女騎士の――『打貫の騎士』ツェノの敵意が火を噴いた。

「どこへ行く」

 床板が軋んだかと思うと、ツェノは羽根のようにふわりと跳躍した。軽やかに、しかし恐ろしく速く。たった一歩で祭壇まで跳んだツェノは、ニドの喉元を目掛けて躊躇無く剣を一閃した。

「わっ」

『聖剣十字』まであと1センチのところで阻まれ、ニドは後ずさった。咄嗟に仰け反ったニドの胸のすぐ上を、剣が風を裂いた。

 ツェノは瞠目した。

(躱した!?)

(うわ~『聖剣十字』取り損ねた。惜っし~っ!)

 ニドは追撃を仕掛けようとするツェノを蹴りつけ、床に溜まった血の滑りを利用してぬるりと後退した。扉にいたイトリートとエヴィフが一足遅れて礼拝堂に突入し、ニドの背中に斬りかかった。

(あ〜あ。面倒なことになった)

 余程の訓練と実戦を重ねたのだろう。イトリートとエヴィフの連携は、一つの生き物の手足のように完璧だった。狭い屋内で袖が触れ合うほど肩を並べておきながら、相方の身動きを一切妨げることなく、目配せも介さずに互いの要求を呑んでいる。

(ああ……うん。聖騎士だな)

 仲間に全幅の信頼を置いているからこそできる、賭けにも等しい芸術的なコンビネーション。その根底にあるのは、仲間そのものへの信頼ではなく、共有された信仰対象の存在だ。

(本っ当に)

 神。同じものを信じているから、彼らは迷わない。

(反吐が出るよ、の兵士は)

 剣がニドに触れようとしたその時、強烈な突風が起きた。

「な!?」

「ッ!?」

 吹き飛ばされたイトリートとエヴィフは、礼拝堂両脇のステンドグラスを突き破り外へ転げ出た。ニドは二人などまるでいなかったかのように、エプロンをふわりと浮かせてその場で回り、出口へ向かって駆け足した。

(今のは……『風の波ウォル・エバウ』?)

 強風を発生させる、ただそれだけの魔法。風の魔法の基礎中の基礎だ。威力次第なら大の男二人を優に吹き飛ばしたとしても、何ら不思議はない。

 ツェノが看過できなかったのは、魔法を使った場所だった。

(教会の中で、魔法を……!)

 加護に満たされた教会は聖騎士の全能力を向上させる一方で、魔物を初めとする魔力保持者には強力な制限デバフをかける。ましてや『聖剣十字』が置かれた教会内で魔法を使うのは至難の業だ。

(呪文も杖も使わずノーモーションで……ただの魔物じゃない)

 結界に穴を空けたことといい、この少女にしか見えない魔物が『聖剣十字』の加護を上回る魔力を有しているのは間違いない。魔王軍で言うなら中堅以上か。であるならなおのこと、聖騎士が有利な教会ステージから出すわけにはいかない。

「イトロフ、逃がすな!」

「もちろん!」

 メイスを構えたイトロフが、扉の前に立ち塞がる。扉までの数メートルを走る間、ニドは思考を巡らせた。

(邪魔だな……『風の波ウォル・エバウ』でぶっ飛ばしてもいいけど)

 構えを取る直前、イトロフが片手を腰の後ろに回していたのをニドは見逃さなかった。

(後ろ手に合図……森に狙撃手でもいるのかな。それに……)

 場慣れしている、とニドは直感した。焦って前に出たりせず、ニドが近づくまで辛抱強く待っている。この女は自分の役割が門番であることをよく理解している。敵を目前にして、前へも後ろへも微動だにしないことの難しさたるや。相当な精神力だ。

(まぁ、それはそれで好都合か)

 ニドは走る途中で急激に姿勢を低く落とした。カーペットに頬が掠るほど、ほぼ倒れるようにして床上数センチに這いつくばる。

 ツェノは、ニドがイトロフの股下を通り抜けるつもりなのかと思った。しかしそれには、まだニドとイトロフの間には距離があった。飛び込むには早過ぎる。

(何のつもり?)

 ニドはイトロフの股の間から、人外の視力で屋外を見通した。扉の外の、森。森に入ってすぐの、木の上。丈夫な太い枝に跨って木の葉に紛れ、ボウガンを構えたナーストがいた。

「みっけ」

 ニドは『風の波ウォル・エバウ』を糸のように細く圧縮加工した、これもまたごく基礎的な風の魔法『風の刃ウォル・エダルブ』を放った。

 突風がイトロフの股下を通過し、徐々に上へとカーブして森へ向かって行く。

(? いま何か――)

 と気づいた時には、ナーストの頸動脈はかまいたちの如き鋭利な突風に切り裂かれていた。

「……ぅばッ!?」

 反射的に傷を押さえたが、血は溢れて止まらない。加護の治癒は働いていたが、出血の方が速かった。みるみる青ざめながら、ナーストはギャブが潜伏している木の方を、助けを求めるように見た。

(ふーん)

 ニドはナーストの視線を読んだ。

(そっちにも仲間がいるんだ)

 ニドは床に、ベタッと貼り付くように倒れた。

(よし、とりあえず外に出よう)

 生物は何かを見る時、過去の経験や知識に基づいたイメージを当て嵌めてしまう。社会性を育み動物的な習性を克服しつつある人間でさえ、この呪縛からは逃れられない。人の脳は哀れなまでに、どれほど自省しようと意識しても、人の価値観や常識に見合った状況を現実に期待してしまう。誤解を恐れず言うならば、人は如何なる現象に対しても自分に都合の良い解釈を優先してしまう。

 何が言いたいか?

――全く想定外の動きをするモノが目の前に現れた時、人の脳は処理が追い付かずにフリーズする。

「……え?」

 ニドは寝そべった姿勢から、立ち上がることなく――獲物を食いちぎるワニのように、悍ましいほど慌ただしく転がり、イトロフの足元に迫った。

 バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ。

「~~~~ッ!?」

 床を叩く手足と必要以上に長いエプロンの紐が相まって、6本足に見紛うそれは巨大な昆虫が蠢いているようでもあった。ニドの非人間的な移動法は、イトロフの生理的嫌悪感を著しく刺激した。

「ひっ……!」

 怯みながら放った一撃ほど単調で、頼りにならないものはない。

 肉迫した不気味なモノに対してイトロフが条件反射的に振り下ろしたメイスを、ニドは立ち上がると同時に容易く躱した。イトロフは、形の無い不気味なモノがいきなり人型に変身したかのように錯覚した。

 メイスに打たれた床板がめくれ、カーペットを盛り上げた。ニドはメイスをサンダルで踏みつけた。

「ハッ!?」

 イトロフは我に返りメイスを振り上げようとしたが、巨岩の下敷きになったかのようにびくとも動かせなかった。華奢な少女が特に体重をかけるでもなく、ただ踏んでいるだけだというのに。

(やむなし!)

 彼女は得物を即座に諦め、身一つでニドと取っ組み合おうとした。が、判断は僅かに遅かった。

「そこ退けてね」

 イトロフが掴みかかるよりも先に、ニドの『風の波ウォル・エバウ』がイトロフを教会の外へ吹き飛ばした。

「ぐ……っ!」

「イトロフ!」

 ツェノがあの人間離れした脚力で向かって来る。ニドはメイスを拾い、急いで扉から出た。森をぐるっと見回し、ナーストが最期に見た仲間の聖騎士を探す。

(二人目の狙撃手は~っと)

 森に隠れていたギャブは冷静だった。長年苦楽をともにしたナーストが木から滑り落ちていく気配を察しても、彼女は普段通りの仕事ができた。どれだけあの魔物への怒りや憎悪に苛まれようとも、神が与え給うた役目に変わりはない。

 いつものように、加護を受けし聖なる矢で敵を射抜くだけ。

った」

 ボウガンの引金を引く瞬間、何故かこちらをまっすぐ見ているニドと、ギャブの目が合った。

(うそ!?)

 ニドは難無く矢を素手でキャッチすると、森に向かってメイスを投擲した。メイスはギャブがいる木の幹を、まるで砲撃のように撃ち抜いた。

「なにっ!?」

 メイスで直接ギャブを狙わなかったのは、加護を受けた聖具が聖騎士に傷を負わせられないことをニドが知っていたからだ。大きく傾いた木の上から、ギャブは真っ逆さまに落ちていった。

(着地を……!)

 ギャブはやはり冷静だった。ボウガンを抱えて身を翻し、着地に備える。

「――え」

 着地点を見極めようとした彼女の目に映ったのは、視界を埋め尽くさんばかりの数の、地中から生えた槍だった。

土の槍ウォル・フトラエプス』。

 土を槍に変形させる基礎的な魔法の一つである。

 聖騎士は強い加護がかけられた鎧を身に付けているうえ、肉体そのものも見えない加護の鎧に守られている。自由落下では外部の鎧も肉体の鎧を破れないと見たニドは、『風の波ウォル・エバウ』を地中に潜らせてギャブの真下で炸裂させ、『土の槍ウォル・フトラエプス』を上空に発射した。

 いの一番にギャブを貫いたのは、口腔から侵入し気道と食道を一本に開通した槍だった。

「ッ~~ゴバ……ッ」

 が、トドメを刺したのは後続の、胸や腹に突き刺さった何本もの槍だった。

 針山のようになったギャブが、ぐしゃりと地面に叩きつけられる。ニドは耳を澄まして森の気配を探った。

(狙撃手はもういないみたいだ)

 教会からツェノが出て来る。先程吹き飛ばしたイトロフや、イトリートとエヴィフ、裏手にいたエルクヌが駆けつけてニドを取り囲んだ。

「貴様、よくもギャブとナーストを」

 斧を構えたエルクヌが憤慨を沸々と口にしたが、ニドの耳には全く入っていなかった。

(銅騎士一人に、一般聖騎士四人。銅騎士は若いけど、他の四人は熟練の顔つきだなぁ)

 ニドの魔法を警戒し、ツェノたちは一定の間合いを保っていた。堅実な判断だ。教会から出た今、聖騎士は有利バフを失くし、ニドはデバフから解放された。

「ここからそう遠くない森の中で、猟師の親子を殺して食ったのもお前だな?」

 ツェノがニドに剣を突きつけ、厳しい語気で問い質した。

「人に化けた魔物けだものめ、敬虔な神父まで手にかけ……何が目的だ!」

「……?」

 ニドはちょっとだけ記憶を遡り、得心したように手を合わせた。

「ああ! そっか、あのおやつか」

「……おやつ?」

 ツェノたちが顔をしかめる。イトロフは串代わりに使われた第10肋骨をつまんだ際の感触を思い出していた。

「そっかぁ、あれを見たからここまで追って来たのか。あ~そうだったんだねぇ」

 ニドは自嘲っぽく笑う。青筋を浮かせて殺意を募らせる聖騎士たちに、彼女はにこやかに言った。

「見つかんないように、塵も残さず消しておけばよかったね」

「……もういいよ」

 若い銅騎士は低い声を発した。

「お前がどんな奴かは、わかったから」

 ツェノ隊は一斉に飛びかかった。礼拝堂で披露したイトリートとエヴィフの連携を、精度を維持したまま五人に拡大した包囲攻撃だった。加えて彼らは防御に回す加護の力を高め、ニドの攻撃魔法にも備えていた。

 およそ、人類を代表する戦闘集団の名に恥じない戦術と能力であったが、

「えー。私をわかったって?」

 不運にも、相手は魔王の友人裏ボスだった。

「本当かなぁ?」

 ニドが合わせていた手を開く。手と手の間に、光る玉が浮かんでいた。

 靄がかかったように、不鮮明な玉だった。灰色の表層に覆われた玉の中心、その奥深くは酷く澱み、泥のように濁った黒い何かが互いを喰らい合うようにして渦巻いていた。

「ごめんねぇ、を見られちゃったからさ」

 ゾクリ。

 寒気を感じ取れたのは、ツェノだけだった。

「皆、殺すね」

 何が起きるかはわからなかった。ツェノはただ、全身を駆け巡る悪寒に従い、半ば悲鳴のように叫んだ。

「防げッ!」

 ツェノの絶叫のすぐ後、ニドはぽつりと呟いた。


「『加護熔解グニテレム』」


 玉の表層が割れ、黒い泥が解き放たれた。瞬時に気化した泥は見えない力となって、一帯に波紋のように広がった。

「ごぷぇ?」

「ぴぎぃっ!?」

 聖騎士たちの身に異変が起きたのは、見えない力に呑み込まれた直後だった。

 体をブルッと震わせると、彼らは無数の骨折と灼熱感に伴う苦痛に苛まれながら、急速に膨張した。鎖帷子が張り裂け、致死量の脂肪を纏った肥満者のように、膨らんだ皮と肉が鎧の隙間から溢れ出す。

 鎧の無い首から上の症状は顕著だった。顔は何倍にも膨らみ、歯茎から歯が抜け落ち、眼窩から眼球が飛び出す。膨張に耐え切れず折れた骨が皮膚を突き破る。

 異変に見舞われたのは肉体だけではなかった。彼らの鎧や剣は悠久の時を過ぎたかのように急速に錆びつき、脆く崩れ始めた。

 から0.5秒後。

 聖騎士たちはパァンと音を立てて破裂し、無数の血と肉と骨片の雨を降らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る