第6話 ツェノ隊

 大都市イグラルから北へ200キロメートル

 エレノール森林


 聖騎士団銅騎士『打貫の騎士』ツェノと、彼女が率いる六人の聖騎士は長い遠征を終え、大都市イグラルへ帰還する途中だった。

 神の加護には絶大な癒しの効果がある。聖騎士は加護の力を授かることで疲労を忘れ、食事や睡眠さえ極限まで抑制できる。肉体は常に万全のコンディションにあり、数日間連続で戦闘を継続することも可能。物理戦闘を基本とする聖騎士団にとって、加護がもたらす癒しは不可欠だ。

 特に心身を削る遠征の際には、加護のありがたみをひしひしと感じる。ただでさえ、人は生きているだけであらゆる老廃物を排出する。鎧が基本装備の聖騎士にとっては死活問題だ。体内と鎧の衛生環境を常に健全に保つ加護のおかげで、彼らは根本的なストレスから解放され、任務に全身全霊を向けることができる。

 ツェノ隊は遠征の期間、およそ3か月に渡り一度も風呂に入らず、鎧を脱いだ回数は片手で数えるほどだけだった。食事は週に一度、睡眠は酷い時は半月に一度の時もあった。そんな過酷な任務を終えた今も、彼女たちは加護によって清潔感と気力を保ち、悪臭や排泄物の不快感、感染病などに苛まれることなく自らの足で帰路についていた。

「もうすぐイグラルですね、ツェノ様」

 部下のイトリートが言った。聖騎士団には如何なる年齢や身分の差があろうと、階級を重んじるしきたりがある。イトリートはツェノより6つも年上で、他の騎士も皆ツェノより年上だったが、彼らは若き隊長に惜しみない敬意を向けていた。

「もうすぐって、まだかなりあるよ。イトリート」

「いえいえ、ここまでの道のりに比べれば。200キロを切ったのですから、もうすぐですよ」

「ふふ、確かにそうだね」

 聖騎士団は露骨なまでの実力主義だ。階級が上ならば、どんな相手でも敬服する。遠征前、24歳という若さで銅騎士の地位に着いたツェノは、自分より年上の部下を持つことでこの慣習の根深さを誰よりも強く感じていた。彼女自身もこの慣習を理解していたからこそ、自分より何倍もの経歴がある先輩騎士が相手であろうとも、臆面無く上官として接していた。

 力が絶対。強者に従う。聖騎士団の単純構造は、ある種、対極に位置するはずの魔王軍に近いものがあった。このことに気づいてしまった時のツェノの心境は、筆舌に尽くし難い。彼女は幼少期、勇者がまだ存命だった頃、魔物に家族を皆殺しにされていた。

 実力で上に立つことを誇りに想う一方で、大嫌いな魔物に近い振る舞いをしつつある自分に、ツェノは生理的な嫌悪感を抱いてもいた。この自己矛盾を抱え続けることが上に立つ者の宿命なのだと割り切るにはまだ、彼女は若過ぎた。

(前の方が……)

 部下と談笑して歩きながら、ツェノは思った。想ってしまった。

(遠征前の……銅騎士になる前の、いち聖騎士だった頃の方が……皆と仲良くできてた気がするな)

 教えを乞いていたはずの先輩騎士たちに敬語を使われ、上官として頼りにされるのはプレッシャーだったし、何よりも疎外感があった。言葉遣い一つ変わるだけで、立場がちょっと変わるだけで、人と人はこんなにも距離が空いてしまうものなのか。

(なんて、イトリートさんたちに言えるわけないし……他の銅騎士の皆さんに相談しても、怒られるよなぁ)

 ツェノはもみあげをつまみ、指で揉んだ。加護のおかげで清潔に保たれているが、3か月も入浴していないのは年頃の女として、心境的にきついものがあった。

(はぁ~あ。早くお風呂に入りたい。というか、一人になりたい。3か月もぶっ続けで隊長やるの、疲れたよ……)

 40歳の部下で、ベテラン女騎士のイトロフが唐突に鬼気迫る声を上げた。

「お待ち下さい!」

「わ! 何? どうかした?」

 イトロフが林道の先を指さす。

「あそこの木。誰かが吊るされています」

「え!?」

 ツェノは目を凝らした。神の加護により、視力は底上げされている。200メートルほど先の木の枝に、猟師らしき服装の男性がぶら下がっていた。血まみれでびくともしないことから、既に絶命していると思われる。ツェノは男性が吊るされた木の根元にもう一人、年配の男性が倒れているのを見つけた。

 ツェノは瞬時に銅騎士のスイッチを入れた。

「周囲を警戒!」

「ハッ!」

 ツェノたちは背中合わせで円を組み、一帯の気配を探った。動く気配は鳥とリスばかりで、何者かが潜んでいる様子は無い。ツェノは部下に合図を送り、慎重に林道を進んだ。

 木に吊るされた死体の前に着くと、ツェノはつい呟いた。

「……酷いな」

 イトリートが遺憾そうにうなずく。

「魔物の仕業ですね。野生動物ではこうはならない。だいいち、この辺りに肉食動物は生息していません」

「だね」

 男性は胸と腹を裂かれ、心臓と肝臓を抉り取られていた。開いた肋骨が数本損なわれており、近くを探すと地面に血のついた肋骨が落ちていた。まだ仄かに体温が残っており、死亡からそう時間は経っていない。ほんのタッチの差だったようだ。

 ツェノが顔をしかめたのは、男性の吊るし方だった。ただ吊るすだけなら服に引っ掻けるなり、ベルトで首を括るなり、いくらでもやりようがあっただろうに。わざわざ木の枝をうなじに突き刺して、口腔内に貫通させていたのだ。男性は口から枝の先端を吐き出し、引きつった顔で白目を剥いていた。まさか、生きたまま枝に吊るしたのではあるまいな――と考え、ツェノは悪寒を覚えた。

「……そっちはどう?」

 ツェノは苦労して何とか男性から視線を剥がし、木の下に倒れている年配の男性を診ていた部下のエヴィフに尋ねた。

 エヴィフはかぶりを振った。

「駄目です。首が反転しています。即死でしょう」

 地面に落ちていた肋骨を拾い、吊るされた死体と見比べ、イトロフが推理した。

「こちらの男性は内臓を食べられたのでしょう。この第10肋骨を串代わりにして。心臓と肝臓が綺麗にくり抜かれていますから、相当手慣れた魔物です」

 イトリートが言った。

「同感です。魔物は若い人間を食らう傾向にある。そちらのご遺体に損壊が少ないことから見ても、魔物がこの方たちを捕食目的で襲ったとみて間違いありません」

「……」

「ですよね、ツェノ様」

「……うん。私もそう思うよ」

 表面上はクールな顔をしつつ、ツェノは内心で唇をきゅっと結んでいた。

(ぜーんぶ先に言われた……頼りになる部下たちだなぁ。そりゃそうだよねぇ、私よりずっと先輩だもんねぇ。こういう現場も慣れてるもんねぇ。そりゃさぁ、私は腕には自信はあるけどさぁ、こういう経験がものを言うタイプの仕事はまだまだなんだよぉ……)

 ツェノは頑張って威厳のある声色を保ち、部下たちに命じた。

「下ろしてやれ」

「ハッ」

(はぁ……戦場ならテンションでなんとかなるけど。それ以外の場面で上官やるの、きっついなぁ)

 ツェノ隊最年長、50代のエルクヌが言った。

「そういえば、この近くに小さな教会があったはずです」

「え、森の中に?」

「はい。かなり昔に民家を改築した教会だそうで。家族用の礼拝堂があるんです。敬虔な一家で、『聖剣十字』も授けられています」

「『聖剣十字』を? それは素晴らしい一家だね」

 ツェノは親子の死体に目をやり、事態の深刻さを素早く判断した。

「その教会へ向かおう。彼らを襲った魔物が教会にまで近づくとは考え難いけど、万が一ということもある。何より『聖剣十字』を授けられた家族の安否確認は怠れない」

「ええ、もちろん」

「行きましょう」

 部下たちは迷い無く賛同する。ツェノはまた部下に先を越される前に、隊長らしく指示を下した。

「エルクヌ、教会の場所はわかる?」

「昔はよく迷いましたが、林道が整備されてからは行きやすくなりました。道案内はお任せを」

「よし。ギャブとナーストはご遺体を袋に入れて運んで。魔物がいなければ、教会で簡易的な祈りを捧げよう」

「御意」

「かしこまりました」

「イトリートはエルクヌと先導して安全の確保。イトロフとエヴィフは後方の警戒。ギャブとナーストは私が守る。いいね?」

「ハッ!」

「よし、行こう」

 エルクヌの言う通り、その教会は林道が無ければ辿り着くのも困難な深い森にあった。森に溶け込んだ小さな教会は、まるで周囲の木々とともに土から生えてきた自然物のようにも見え、神秘的だった。外観だけで、この家の者たちが『聖剣十字』を賜るに値する厚い信仰心の持ち主であることを、ツェノたちは悟った。

「素晴らしい教会だ」

 無意識に呟いたツェノの言葉に、エルクヌは満足気な顔をした。

「ええ」

 ツェノが先陣を切った。

「お邪魔しよう」

 人が建てたと思えぬ神々しさについ綻んでいたツェノの顔は、扉に触れた途端に凍りついた。

(加護の結界に……穴が空いてる!?)

『聖剣十字』には所持者や設置した建造物を結界で保護する機能がある。低級の魔物では到底突破できない堅牢な結界だ。神の加護は魔物の天敵であり、上級の魔物であっても『聖剣十字』の置かれた教会に好き好んで近づくことは無い。

「ツェノ様?」

「結界が破られてる」

「なんと!」

 部下たちがざわめく。ツェノはハンドシグナルで臨戦態勢を命じ、剣を抜いた。

(本当に万が一が起きるなんて)

 念のため確認に来たものの、ツェノたちはあの猟師の親子を殺した魔物がこの教会を訪れることは十中八九無いと考えていた。前述の通り、加護の結界が張られたエリアに魔物が近づくメリットは一切無い。

(いったい何のために……?)

 ツェノ、イトリート、イトロフ、エヴィフは教会の入口を包囲し、エルクヌは裏手に回る。ギャブとナーストは猟師親子の遺体を離れた場所に安置し、そのまま森に隠れて後方支援についた。配置に着くと、ツェノは目で合図して扉を開けた。

 濃い鉄の臭いが、鼻腔を刺激した。

「……ッ」

 ツェノは絶句した。

 鮮血に染まった礼拝堂。脳天から真っ二つに切り裂かれた老人の死体は、おそらくこの小さな教会の神父だ。二列ある長椅子のうち、前の一列には神父の破けた体から飛び散った臓物が垂れ下がっていた。

 一人の少女が水音を立て、カーペットの上を歩いていた。薄手のワンピースに、エプロン。腰の後ろで縛った紐は尾のように長く垂れ、血溜まりに浸かり、赤黒く染みていた。床に転がった神父の臓物を、サンダルを履いた足で躊躇い無く踏み潰す。

 まるで現象のように、天災のように、少女はそこにいた。彼女の前に立ってしまったから死んだ――神父の死が、彼自身の責任であると言わんばかりに。

(あの子は……何?)

 わからない。

 ただ、確かだったのは――この平凡な少女にしか見えない少女が、人間ではないということ。

 例え人間だったとしても、その存在はもはや、人間の側には無いということだった。ツェノにとってはそれだけが重要で、それだけが致命的だった。

「……ん?」

 少女――魔王の友人、ニドはくるっと後ろを振り返った。扉の前に立つツェノたちと目が合うと、ニドはサッと青ざめた。

「あうぇあ?」

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