第5話 命令
空高く昇る粉塵は、500メートル以上離れた位置にいた絞葬隊隊長『賊虐卿』グニクにもはっきりと視認できた。
「ほう、一番乗りは『蹴散らす』サルタか。流石は巨人。凶悪なヒットアンドアウェイ戦法だ」
他の魔物がどう穏便に『聖剣十字』を奪取するか思慮を巡らせるなか、力技で強奪し即行で離脱するとは。確かに、最初に行動を起こす者が最も低リスクで済む。聖騎士団の警戒が強まる前に動けるからだ。
「まんまとやられたなぁ」
サルタにとっては良いこと尽くめだ。容易に『聖剣十字』を手に入れ、聖騎士団が駆けつける前に逃げおおせた。彼の第一試煉クリアは確実なものとなった。
が、他の者はそうはいかない。グニク含め、他の魔物はまだ『聖剣十字』を手に入れていない。サルタの所為で厳戒態勢になった聖騎士団を相手取り、実力行使で『聖剣十字』を奪わなくてはならなくなった。サルタは自身のクリアと同時に、ライバルの妨害までも成功させたのだ。
(迷ってる暇は無ぇな。これから続々と参加者が動き始める。大都市イグラルは未曽有の大混乱に陥るだろう)
グニクはフードを深く被り、人混みに紛れて道を進んだ。
(この都市にいる最上位の騎士は銅ランク。銅騎士相手に負ける気はしねぇが、手練れの聖騎士とぶつからないに越したことはねぇ。サルタを見習って、サッと手に入れてサッと立ち去るのが吉だな)
幸い、この辺りはまだ聖騎士団が駆けつけていない。今がチャンスだ。
(お、良いところに)
屋根に『聖剣十字』の幻影がある商店を見つけた。なるほど、聖具屋か。聖騎士団の守護対象に認められるわけだ。ちょうど店先に、騒動に気づいて店を閉めようとしている店主らしき初老の男がいた。
「おい」
グニクはフードを脱ぎ、血のように赤い眼で男を見た。男は金縛りにあったようにピンと背筋を伸ばし、グニクの眼に釘付けになった。
「『聖剣十字を持って来い』」
男は呆然とし、うわ言のように口を動かした。
「はい。かしこまりました」
『
対象を絶対服従させる、グニクの先天魔法だ。
命令する対象は生物、無生物を問わない。人に死ねと命じれば自害させ、扉に開けと命じれば独りでに開かせることができる。その高い精度と強制力とは裏腹に、先天魔法故の魔力消費の少なさが彼の強みだ。単独の対象なら数百年、同時に数百人の対象でも数年間は『絶対王令』の支配下に置ける。
グニクのこの魔法は、彼が率いる絞葬隊が奴隷取引や人体実験を得意とする所以でもあった。
「おいどうした、『早くしろ』」
「はい、今すぐに!」
男は店内の祭壇に飾っていた『聖剣十字』をてきぱきと持って来た。まるで生涯の忠誠を誓った君主に相対するように深々とこうべを垂れ、グニクに『聖剣十字』を献上する。
「『聖剣十字』でございます。グニク様」
「うむ。ご苦労」
目当ての品を受け取ると、グニクはニコッと笑った。
「では、『死ね』」
「はい。かしこまりました」
男は店の窓に頭から突っ込み、割れたガラスに首を押し付けて自ら頚動脈を裂いた。
窓ガラスが血に染まる。店の前を通り過ぎようとした幼女の顔に、男の首から噴出した鮮血が浴びせかけられた。幼女はぽかんとして何が起きたかわからない様子だったが、手を引いていた母親は半狂乱に悲鳴を上げ、その場に尻もちをついた。
「ハハハハ、贅沢だな小娘。血のシャワーとはな。まぁ、俺ならもっと若くて精気のある血の方が好みだが」
幼女の頭をガシガシと撫で、グニクは騒ぐ母親をジロッと見た。
「うるさいぞ。『黙れ』」
「っ!? ……っ、……っっ!?」
グニクは母親にではなく、母親の口だけに『絶対王令』を使った。その方がずっと低燃費に済む。グニクが気紛れで解除しない限り、あの母親の口は死ぬまで閉じ続けることだろう。
「またな小娘。ヴァンパイアになりたかったらいつでも俺の所に来い。極上の血の味を教えてやる」
立ち去ろうとしたグニクの背中に、怒声が飛び込んで来た。
「待て貴様!」
「……あァ?」
振り向くと、鎧を着た騎士が5人ほど駆けつけて来るところだった。どうやら、ちょうど店主の男を自殺させるシーンを見られたらしかった。
「あーあ、見つかっちまったか。聖騎士サマのお出ましだ」
いの一番に到着した髭面の騎士の胸には、『聖剣十字』と同じ形の銅色のシンボルが埋め込まれていた。
銅騎士。
聖騎士の中で、上から三番目の階級だ。
聖騎士団は実力主義だ。銅騎士ということは、最低でも100体は魔物を仕留めた経験があるということ。目つきからしても、歴戦の勇士の風情である。
「サルタみてぇに上手くトンズラこきたかったんだけどなぁ。そう上手くもいかねぇか」
銅騎士はグニクと対峙するや、仲間の到着を待たずに剣を抜いた。
「我こそは銅騎士ドレーブ! 貴様、『賊虐卿』グニクだな!? いったい何を企んでいる!?」
「……こっちも好きでこんなとこ来たわけじゃねーんだけどなー」
グニクは顔を手で覆い、深々とため息を吐いた。ドレーブの部下が集まり母娘を避難させ、グニクを取り囲んだ。
「あー……なぁ、つーかよぉ」
ゆっくりと顔を上げ、グニクは指の隙間からドレーブを見た。
「……ッ!」
騎士たちの身に、寒気が走った。グニクは言った。
「お前、さっき……命令したか? この俺に」
グニクの爛々と灯った眼には、強い殺意が滲んでいた。どろっとした。血のような。冷たく重い、泥のような殺意だった。
サルタを皮切りに、試煉に臨む魔物たちは次々と大都市イグラルに突撃していた。
絞葬隊所属のメドゥーサ『美石のリア』のように、家主を石化させて隠密に『聖剣十字』を盗む者もいれば、
咬葬隊所属のミノタウロス『殴殺夫』ウォックのように教会の参列者を蹴散らして強奪する者、
穿葬隊所属のウェアウルフ『銀爪の狼』エソンのように、聖騎士団に堂々と勝負を挑む者もいた。
大都市イグラルを舞台とした『聖剣十字』争奪戦は、時間との勝負だった。ライバルよりも早く、聖騎士団に包囲されるよりも速く。うかうかしていては、都市を加護の結界に閉じられ脱出できなくなる危険もある。一部の魔物の間では、『聖剣十字』の奪い合いが殺し合いにまで発展する始末だった。
多くの魔物がクリアを急ぐなか――都市内に足を踏み入れていながら、今なお行動を起こさない参加者がいた。
「行かないのかい、エリフ」
「ん? ああ~そうだなぁ」
咬葬隊隊長『炎殲の紅竜』エリフと、副隊長『水没竜』リテーだった。
二人は城壁の上から都市の混乱を眺めていた。聖騎士団はあちこちで暴れる魔物の対処に追われ、都市の端で傍観している二人には全く気がついていなかった。
「早くしないと、非番の聖騎士まで出て来て動きづらくなるよ」
「そうか……そうだなぁ」
エリフはジャケットのポケットに手を突っ込み、心地良さそうに風に当たっている。まるで動く気配が無かった。
「まだ寝惚けているのかい?」
「違ぇよ。起きてるよ」
「じゃあなんでそんなにやる気が無いんだ?」
「うるせぇなぁ。やる気が無ぇんじゃなくて、観てんだよ」
「何を?」
エリフは顎をしゃくり、都市内を指す。竜人の視力は人間の数百倍に及ぶ。彼が見ていたのは、5キロメートル以上先の教会で交戦中の『殴殺夫』ウォックと聖騎士たちだった。
「やる気が無ぇのはあいつらだよ」
「ウォックが?」
「じゃねぇーって。聖騎士の方だ」
リテーはウォックと激しく衝突する聖騎士たちを観察した。特におかしな点は無く、聖騎士側がウォックに手こずっているように見える。やる気が無いどころか、聖騎士側には余裕が無さそうだ。
「そうかい? 私にはそうは見えないけど」
「いーや、全然やる気が無ぇな。聖騎士ってのは、もっと死に物狂いで戦うもんだ。あいつらは神サマに身を捧げるのが大~好きなイカレ信者だからな。神サマのためなら喜んで命を捨てる。あいつらが本気を出しゃ、劣勢になるのはウォックのはずだぜ」
「うん~?」
リテーは首を傾げた。
「言われてみれば……いつもの聖騎士らしい狂気じみた戦法ではない気がするけど。それがそんなに気になるかい? 単に堅実な戦法を取っているだけなんじゃないのかい?」
「いいや違ぇな。そんなマトモな思考をする奴が聖騎士団にいるはずがねぇ」
「酷い言いよう。わかるけど」
「あの戦法が意図的だとしたら……間違いなく時間稼ぎだな」
「時間稼ぎ? 何の?」
「さぁな。そこまではわからねぇが……胸騒ぎがするな。ウォックが戦ってる連中だけじゃねぇ。そこの聖騎士も、あそこの聖騎士も。どいつもこいつも、時間を稼ぎさえすりゃあ、この都市の危機を打開できると確信しているような……そんな呑気な戦いをしてやがる」
「……だから様子見してるの?」
「ああ。いったい何が起きるのか、見極めてからだ」
「……だとしたらなおさら、すぐに『聖剣十字』を手に入れて逃げた方がいいかもね」
「あ? なんでだよ」
一陣の風が吹き、二人の髪やジャケットを慌ただしく躍らせた。顔に絡みついた髪を手櫛で梳かし、リテーはエリフと目を合わせた。
「あなたの勘は、よく当たるから。きっと良くないことが起きるね」
困ったような顔で、彼女は言った。
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