第2話 試煉開始

(え……なんで、こんなフッツーの子が……え? 迷い込んだ? いや、ここは魔都だしそれはありえない……ていうかエプロンの紐長くない?)

 魔物はわかりやすく力を誇示する傾向にある。角を出したり、筋肉を露出したり、得物を見せびらかしたり。だが稀に、獲物を騙すためにか弱い姿に擬態する者もいる。人間の姿をしているからといって、こいつが本当に少女かどうかはわからない。

 はずなのだが……。

(うーん。やっぱり、魔力を探っても全然弱い。人間の低級魔法使いレベルだ。何か武器を隠してる様子も無いし、ていうかエプロンだし。給仕の人? 誰かが連れて来た奴隷とか?)

 ドノミドにとってみれば、その少女はさえずる小鳥にも等しかった。わざわざ手を下して黙らせてやる価値も無い、ちっぽけな存在だ。ここは魔女として、寛大に無視してやることにした。

(それにしても、何をブツブツ言ってるんだろう)

 少女は胸元に付けたバッジを深刻な顔で見つめていた。ドノミドは目を剥いた。

(うわっ、バッジ付けてる。ってことは、マジで参加者なの? 参加条件無しとは言え……こんな子も入れちゃうんだ。親衛隊も人が悪いなぁ。この子、死にに来たようなもんじゃん)

 ドノミドはさりげなく少女に近づき、何を呟いているのか耳を傾けてみた。

「条件発動型だから表層は薄い。二層目には感知用の魔力網が張り巡らせてあるはずだけど、凄い複雑に絡み合ってるな。解呪されないように敢えて乱雑に組んでるんだ。しかもある程度破られても発動にラグが出ないよう予備網も敷かれてる。これはちょっと骨が折れそうだなぁ」

(ん~?)

「それに対して三層目はとても秩序立てられている。典型的と言っていいくらい規則正しい魔力網。でもその代わりにガードが硬い。どれか一本を外しただけで術者に報せが届くうえ、即座に『虚玉吸塵イティバルグ』が発生する仕組みだ。本当に上手く組んでるなぁ」

(な、なんか……え、何?)

 ドノミドは鳥肌が立った。

(き、気の所為かな? もしかしてバッジを解体しようとしてる? ていうか構造を読み解いてるの?)

 ドノミドは自分のバッジに目を落とした。網膜に魔法鏡を付与し、分析を試みる。

(駄目だ。防御層が厚過ぎて透視すらできない。こんなに軽いのにとてつもない密度の魔力と呪いが込められてる。私でできないんだから、そんじょそこらの魔法使いや魔物じゃ分析なんてできないはず。ましてやこんな子供には絶対無理。適当を言ってるんだ)

 ドノミドはバッジを指で撫で、触診した。

(うん、やっぱり無理。解体なんてできっこない。物凄い物理耐性がかけられてる。ダイヤモンドより硬い。試煉中に壊れたりしないように造ってるはずだから、きっとここにいる参加者の力じゃ傷一つつかないように厳重に防御魔法がかけられてるんだ。このサイズだからこその強固なバリアだね)

 ちらっと、少女の方を見てみる。

「うーん。伸びはするけど、割れはしないなぁ」

(え!?)

 少女がバッジを両手でつまみ、ゴムのようにびょーんと伸ばしていた。

(はっ!? えっ!? はわぇあああああああああ!?)

 バッジから手を放すと、やはりゴムのようにバチンと縮んで元通りになった。

 少女はバッジを顔の上にかざしてまじまじと眺めた。

「弾性を付与して壊れにくくしてるなぁ。何キロ伸ばしてもちぎれなさそう。となるとー……地道に削るしかないかなぁ」

(い、いや、待って!? 何してんのこの子!? バッジを伸ばして……そんなことできんの!?)

 ドノミドは少女と同じようにバッジを引き伸ばせないか、チャレンジした。びくともしない。

(無理、無理無理無理無理。びくともしないどころかこっちの指が痛くなるわ。えぇ? 同じバッジだよね? どんな力で引いたら……ていうか力で引いたの? 何かの魔法? ゴム化する魔法? いや魔法耐性付いてるから変化なんてできないはず……本当に何??)

 なんだか気味が悪くなり、ドノミドはそっと少女から離れた。少女が人混みに隠れて見えなくなると、無意識に止めていた息をぷはぁっと吐き出した。

(な、なんだったんだろう、あの子……バッジをびょーんて伸ばして……いや、ありえない。『虚玉の奏者』イローがかけた物理耐性を伸ばすとか、できるわけない。1000歳超えの親衛隊副隊長だよ? きっと何かの見間違いだ、そうよ、そうに違いない。周りに強い魔物ばかりいるから、魔力に当てられてちょっと幻覚見ちゃったんだ。そういうことにしよう)

 ドノミドはおそるおそる、少女がいた方向を見た。

(でも、一応……あの子には近づかないでおこう)



 魔王の挨拶が終わり、イローが再び壇上に上がった。

「魔王様のお言葉をしかと胸に刻み、試煉に挑むことだ。……では早速、第一試煉を発表する」

 イローは叫ぶ盾ニアコのマイクを口に当てて言った。

「期間は半年間。半年以内に、『聖剣十字』をここへ持って来た者を第一試煉の突破者とする」

 ステージ脇にいた親衛隊のアンデッド『土葬のデドヌ』が目をカッと光らせ、イメージを群衆の頭上に投影した。

「偽物や取引で手に入れた物は認められない。私的に所持している物も当然。俺の眼は誤魔化せないぞ。今現在運用されている実物の『聖剣十字』のみを通過対象と認める」

 映し出されたのは、長剣を模した十字架だった。柄頭に当たる上部には、天使の光輪ヘイローを模した輪が飾り付けられている。

 会場の参加者に、どよめきが広がった。


 咬葬隊隊長『炎殲の紅竜』エリフは尖った牙を覗かせ、愉快そうに微笑んだ。

「ふざけた試煉だ。なぁ? リテー」

 隣にいる咬葬隊副隊長『水没竜』リテーは、努めて冷静な眼差しで『聖剣十字』のイメージを見据えた。

「流石は四天王試煉と言ったところだね」


 絞葬隊隊長『賊虐卿』グニクは堪らず大笑いしていた。

「ハッハッハ! 『聖剣十字』を持って来いだって? ハハハ! イカれた試煉だぜ。あんたもそう思わないかい。『驀進』の旦那?」

 グニクが声をかけたのは、数列分後方にいた潰葬隊隊長『驀進のイヴァエ』だった。

 イヴァエは腕を組んでじっと『聖剣十字』を見上げたまま、一言も返さなかった。が、その額には青筋がくっきりと浮かんでいた。

 グニクは口笛を鳴らした。

「燃えてんなぁ旦那。そりゃそうか、ダチの仇だもんな?」


「なるほど」

 穿葬隊隊長『墓標の射手』ウォヴは顎に手を当て、得心がいったように頷いていた。

「どうやら、主催側は派閥争いなど眼中に無いようだ。足を引っ張り合う暇など無いほどの、本当の試煉を課すつもりらしい」


 穿葬隊所属『金剛の魔女』ドノミドは周囲の魔物と同様に、発表された試煉内容に愕然としていた。

「『聖剣十字』を取って来いって、それって……!」

『聖剣十字』とは、聖騎士団が守護対象と認めた人物や組織、建造物に与える十字架である。

 そして聖騎士団とは、神の加護を受けた武装組織。魔法に一切頼ることなく、神の加護を受けた聖具と、鍛え抜かれた技と肉体のみを武器とする戦闘集団である。純粋な人間のみで組織された騎士団では、世界最高の戦力を誇る。

 彼らは魔族とは対極にある。神に従い、神に身を捧げ、神の加護を用いて魔族を討ち祓う。死をも恐れない狂戦士。

 聖騎士団は――魔族の天敵なのだ。


「『聖剣十字』は要するに、『ここは聖騎士団の縄張りだぞ』って目印だ」

 エリフは前髪を掻き上げ、呆れたようにため息を吐いた。

「それを奪うのは、聖騎士団の逆鱗に触れるに等しい。魔物にとっちゃ自殺行為だ。フッ、いくら猛者揃いの四天王候補だからって、スパルタが過ぎるぜ。第一試煉からこれかよ」


 イヴァエは踵を返し、会場の出口へ向かった。グニクは視線を前へ戻し、壇上のイローを仰いで鼻を鳴らした。彼は呟いた。

「ったく、ひでぇもんだ。要約すりゃ、第一試煉は……『聖騎士団に喧嘩を売って来い』ってことかよ」


 集いし猛者たちへ、四天王候補たちへ、イローは声高に宣言した。

「第一試煉、始めッ!」

 親衛隊が退き、扉が解放される。扉を蹴破ったイヴァエを先頭に、魔物たちは獣のように雄叫びを上げて飛び出して行った。



 魔王の友人、ニドは入場も最後なら、退場も最後だった。会場の外には我先にと出て行った魔物たちの、形も大きさも様々な足跡が残っているが、気配は既に遥か彼方へ去ってしまっている。

 聖騎士団の縄張りに行くということは、人間の領地へ行くということ。移動にかなり時間を取られる。半年という期間設定は適切だ。行って聖騎士団と喧嘩して帰って来て、ちょうど間に合うかどうかといったところだろう。

 ニドはとぼとぼと会場を後にした。

「『聖剣十字』かぁ……どうしようかなぁ。取って来るのは簡単だけど、あんまり目立つことしたくないなぁ。聖騎士団とバトらずに済む方法無いかなぁ」

 ふと顔を上げ、ニドは立ち止まった。

「あ、そうだ。そういえば、あの森に確か……」

 振り返り様、会場の隣にあるドラカツ屋が目に入る。店員が出て来て、店先の看板にチョークを走らせ、すぐに店の中に戻った。

「ドラカツ……折角だし食べて帰るか」

 ニドは店に近づき、看板を見た。


『奴隷料理人過労死につき、本日閉店』


「……」

 ニドは泣いて帰った。

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