プロローグ4 裏ボス

 カッコつけて兜を被っておいて良かった、と魔王は心底から思った。彼は今、兜の中で馬鹿みたいに目を丸くして口をあんぐり開けていた。

(え、なに、え、何!? え、何して、あの人、あいつ、あいつ何してんの~~~~~~!?)

 バチッと目が合った途端、魔王の頭の中にニドの声が響いた。

『タオグ! タオグ聞こえる!?』

(うお、びっくりした。儂の頭に無断で思念魔法を繋げるとは……こんなことをできるのはお前くらいだぞ。つーか本名で呼ぶな)

 思念魔法とは、ごく基本的な通信手段の一つである。

『よかった、やっと気づいてくれた』

(待て待て、こんな所で思念魔法なんか使って傍聴されたらどうするんだ! うちは側近も親衛隊も精鋭ばかりなんだぞ。こんな基礎魔法、すぐにバレて……)

『そこは大丈夫、別次元を介して繋いでるから』

(さらっと次元を跨ぐな)

 エガロトネが魔王に怪訝な眼差しを向けている。魔王は咳払いし、平静を装った。

(それで……お前こんな所で何をしているんだ。ドラカツ食べに行くんじゃなかったのか?)

『それが聞いてよ! ドラカツ屋さんの行列と間違えて並んじゃったの!』

(はああぁぁぁッ!?)

『何とかしてよタオグ~。魔王権限で裏口から逃がしてくれない?』

(おま、お前、……何世紀かに一回はとんでもない馬鹿やらかすけど……今回ばかりは本っ当に、とんでもないお馬鹿さんか!?)

『ぐうの音も出ません! とんでもないお馬鹿さんです!』

 親衛隊副隊長『虚玉の奏者』イローが身振りで志願者たちを鎮め、開会式を進行させた。

「これは文字通りの試煉。生半可な覚悟で挑む者はお呼びでない。諸君らに棄権する権利は無い。魔王軍に後退は許されないことを、身を以て示すのだ」

 イローの司会進行の背景で、魔王の頭の中にはニドの弱音がずっと響いていた。

『ほらああ言ってる! 辞退できないみたいなの。タオグから手を回してなんとかしてくれない?』

(だから本名呼ぶなって。とりあえず、テキトーに流して不合格になればいいんじゃないか? 別に儂が手を回さなくても)

『あ、なるほど! そっかぁ』

 ニドは声だけでもわかりやすく胸を撫で下ろした。

『それもそうだね。なんだ、慌てて損したよ』

(儂もだよ)

 イローが懐から何かを取り出し、高々と掲げてみせた。彼が群衆に見せたのは、会場の入口で配っていた黒い水晶のバッジだった。

「それに伴い、棄権に準ずる行為も禁止とする。諸君らに配ったこのバッジには、俺の魔力が込められている。試煉に消極的な言動を感知すると俺の魔法『虚玉吸塵イティバルグ』が発動し、覚悟の足りない軟弱者を塵に帰す」

 六百人の魔物と、ニドと、ついでに魔王が、ごくりと固唾を呑んだ。

『えええええちょっと待って『虚玉吸塵イティバルグ』ってあれでしょ!? ブラックホール生成する魔法でしょ!? 即死するやつじゃん! 自分から失格になろうとしたら即死ってことじゃん! ちょっとタオグ!? どうなってんの!?』

(いやすまん発案したのは儂だけど、企画とか開催は全部親衛隊に任せてたから……まさかここまで厳しい条件付けてるなんて知らなかったんだ!)

『それでも魔王か!?』

(ごめんなさい!)

 魔王親衛隊ナンバー2の実力は伊達ではない。イローは重力魔法のエキスパートであり、人間の都市一つを一発の重力波で跡形も無く圧し潰したこともある。

 特に彼が得意とする『虚玉吸塵イティバルグ』は禁忌魔法オーバットの一つであり、加減を損なえば自身をも消失させてしまう諸刃の剣である。イローは史上初めてこの諸刃の剣の完全制御に成功し、物体への付与や条件発動を実現した。志願者に配ったバッジはその好例と言えよう。

『うわぁなんかこのバッジ手放せないし。所持系統の呪いもかけてるでしょこれ』

(イローは多才だからな。そう易々とは解呪できんぞ)

『得意げに語ってんじゃねぇぞ』

 イローの魔法の恐ろしさとは、己より遥かに格上の相手……魔王やニドさえも充分に即死させ得るほどの、無法の威力にある。バッジの魔法が発動すれば、例えニドでも死は免れないということだ。

『きっつい呪いだなぁこれ……完全に自分から受け取りにいっちゃったからなぁ、所有権とか諸々がびったり貼り付いちゃってる。凄いなこれ』

(流石は儂の親衛隊だ)

『黙れ殺すぞ』

(お前が言うと笑えん)

『ったく……じゃあやっぱりタオグに何とかしてもらうしかないね。さっさと私を失格にしてよ』

(ううむ、そういうわけにもいかんのだ)

『え? なんでよ?』

 魔王はイローをちらっと一瞥した。

(さっきも言ったが、開催は全てイローたちに任せている。縁故採用を辞めるということは、合否に魔王は口出しをしないという約束でもあるのだ。はっきり言ってな、この試煉において儂には一切の権限が無い)

『はぁぁ!? 何それ、どこが魔王だよ!』

(むしろ魔王だから関われないというか)

『そこはもっと魔王らしく横暴しろよ! なに常識人ぶってんの!?』

(だって部下と約束したし……)

『つっかえねー!』

 困ったことになった。

 ニドと魔王の関係を知っている者は誰もいない。それどころか、ニドの存在を認知し、尚且つ正体を把握しているのは今や魔王だけだ。ニドの言う通り、魔王の権限は絶対。イローたちに無理を言ってニドの失格を認めさせることは可能だが、しかし……。

(ニド。本当にそんなことをしたら、お前の存在がイローたちに露呈してしまうぞ)

『ぬぐっ!?』

(儂はそれでも別に構わんが……誰にも見つからず、誰にも知られず生きるというお前のモットーに反するだろう?)

『ぬぐぐ……』

 ニドには生涯をかけた目標がある。それを達するために、彼女は自身に大きな制限をかけていた。能力や得意魔法、真の姿から、戦法まで――ニドという存在を、何者にも認知させないこと。来たるべき決戦の日、何者にもニドへの対策を取らせないため、一切合切の情報を漏らさないこと。

 魔王がここでニドを失格にするということは、魔王がニドを特別扱いする様を大衆に見せるということでもある。そんなことをしたら、ここにいる六百人余りの志望者と親衛隊、エガロトネ、アリューズにニドの存在を知られてしまう。そして、全員が疑問を抱くはずだ。

 あいつは、ニドとはいったい何者だ? ――と。

『それだけは……』

 ニドはエプロンをぎゅっと握り締めた。

『それだけは、嫌だ。絶対に』

(ああ。儂もそんな形でお前の邪魔をしたくない。裏口棄権は無しだ)

『わかった。でも、他にどうしたら……』

(うむ……)

 イローが志望者たちに試煉の説明やら注意事項やらを説いている。魔王の挨拶は開会式の最後だ。それまではニドの相談に乗ってやれる。

(そうだなぁ)

 とは言っても、これと言って名案が思い付くわけでもない。力で解決できないことには案外、魔王は無力だった。いや、案外というほどでもないか。得意な暴力で世界を統べようとしても、勇者なんてイレギュラーにあっさり阻まれているのだから。

(もういっそ、四天王になっちゃえば?)

『はぁ~?』

 棄権は不可能。自ら失格になれば死。ニドは真面目に試煉に臨むしかない。

 ニドなら全ての試煉を難無くクリアしてしまえるだろう。バッジの枷で手を抜けないなら尚更だ。だとしたらもう、素直に四天王の座を勝ち取る以外の道は無い。

(これも何かの巡り合わせだ。ニド、諦めて四天王に――)

『ぜっっっったいヤダ!!!!』

 ニドの声が、キィンと魔王の頭に響いた。

 魔王は唇をすぼめた。

(……そこまで言わなくてもいいじゃん。四天王って、凄いんだぞ……)

『だって、タオグの下でしょ?』

 思念で拒否したうえ、ニドは現実でも魔王を鋭く睨みつけた。

『私より弱い奴の下につくなんて、絶対にイヤ!!』

(お前……はっきり言うじゃん……仮にもこの魔王に)

『ヤダ! ムリ! 死んでもヤ!』

(そこまで言わなくても……)

『ムリ!』

(ムリって一番傷つくからやめて?)

『ムぅ~~リぃ~~!』

 ニドが駄々をこねる子供のようにジタバタしている。こうして遠くから眺めている分には可愛らしいが、頭には可愛くない罵倒が絶え間無く飛んで来ていた。

(……むぅ)

 やはり外見が少女なだけあり、魔王以外に彼女を気に留める者はいない。相変わらず見事な変身だ。ニドが如何に並外れた芸当をこなしているのか。それを理解できるのは、この世で魔王ただ一人だった。

 誰にも気づかれない、覚えられないための第一形態。極限まで力を抑え、弱体化した姿。魔王と違い、彼女は強くなるためでなく、弱くなるために変身している。同じ変身でも全く正反対の――天と地ほども差がある。

 ニド、もう限界なのかもしれないぞ――と、魔王は思念魔法に伝わらないよう、心の奥底で思った。

 力を隠して生き続けるには、お前はあまりにも……。

 なあ、ニド。もう、楽になっていいんじゃないのか。

 四天王なんて言わず、もっと上までいっても。

 ずっと想っていたんだよ。

 儂ではない――俺じゃない。


 お前こそが、魔王に相応しい。


(ニド……)

 罵られるのを承知で、魔王が心中を伝えようとしたその時、ニドが言った。

『わかった』

(……何をだ?)

『わかった。決めた』

 ニドは苦い顔をしていた。が、その眼は決意に満ちていた。

『とりあえず、試煉は受ける。じゃなきゃ死ぬし』

(では、四天王に――)

『いいや、それもならない』

(なに?)

 ニドは胸に付けたバッジを握り締めた。

『試煉期間中に、このバッジの呪いを解除してみせる』

(……確かにお前なら時間をかければできるかもしれないが、解呪すればイローにバレるぞ)

『わかってる』

(まさかイローを殺すつもりか?)

『そんなことしない』

(ならばどうやって)

『単純だよ。バレないようにやる。ゆっくり、慎重に、解呪警報の網を掻いくぐりながら、術者に悟られないように抜け出してみせる』

(ただ解呪するだけでも困難なイローの呪いを? そんなことができるのか?)

『タオグ、試煉期間はどれくらい? いつまでやるの?』

(試煉のスケジュールは10年で組んでいる)

『10年か……オッケー、じゃあそれに間に合わせる』

(正気か? 不可能だ。ただ解くだけでも50年は要るぞ)

『やるよ。絶対にバレずに解呪してみせる』

(……イローの呪いは手強いぞ)

『それでもやる。もう決めた』

(……)

 ニドは静かに決意を固め、闘志を燃やした。

『私は絶対に表舞台になんか立たない。四天王になんかならないし、誰にも私の存在を悟らせない』

 全ては、ニドという情報をこの世界から隠匿するため。

『私は誰にも、私を対策メタらせない』

 魔王の友人、ニド。

 一人の裏ボスの、密かな戦いが始まる。

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