プロローグ2 行列

 パチリと目を開けると、ニドは自室にいた。

 安楽椅子から立ち上がった彼女は伸びをして、やれやれと肩をすくめた。

「あの子の仮想空間の閉じ方、もっとどうにかなんないのかな。いつもびっくりするんだけど」

 時計を見る。

「あとちょっとでオープンだ。並んでるかもしれないし、急ご」

 どうせ食事をするだけだし、着飾る必要は無い。ニドは部屋着のワンピースの上にエプロンだけ掛けて外に出た。

 やけに長い結び紐を尻尾のように躍らせ、ニドは町を駆け足した。

 魔王軍の領内は時間を問わず、常に夜だ。神に祝福された人間たちが太陽を好むように、神に爪弾きにされた魔物たちは闇に安らぎを得る。空に蓋をする暗闇は、魔王が建てた壮大な結界であると同時に、神への叛逆の旗印でもあった。

 町には夜目の利きづらい種族のための外灯が点在している。ニドは外灯に振られた地番を頼りに、迷宮のように複雑に入り組んだ道を進む。魔都ラティフには滅多に行かないため、ドラカツ屋を探すのは一苦労だった。

「お、いっぱい並んでる。あそこかな」

 数百人規模の大行列が、全長千メートルはありそうな巨大建造物まで伸びていた。なるほど、魔都にオープンするだけあり、どんな種族も利用できる店舗を建てたらしい。

 身長が数キロメートルに及ぶ巨人族でさえ、最低でも千メートルまで自分を縮める魔法は身に付けているものだ。つまり、全種族を受け入れる建物を造るなら高さ千メートルは必須ということだ。

(こんなに客がいたら元宮廷料理人の奴隷が過労死しちゃうかもしれないなぁ。死んじゃう前に、急いで並ばないと)

 行列の最後尾へ向かう。

「最後尾はこちらー。最後尾はこちらー」

(あれ……?)

 目印の看板を掲げていたのは、フル装備の魔王軍戦士だった。

 しかも、ただの戦士ではない。マントに刺繍されたヤギと盾のシンボルは、魔王親衛隊の証だ。

(なんで親衛隊が行列の整理なんかやってるんだろう?)

 魔王親衛隊と言えば、魔王軍のエリート中のエリートだ。最低でも7千歳以上、厳しい審査を通過した者しか所属できない精鋭である。魔王の護衛を務める分、ある意味では四天王を超える戦力とも言えよう。

 ニドが行列に並ぶと、看板を持っていた親衛隊の隊員が声をかけて来た。

「え、君も並ぶの?」

「はい」

「これ何の行列かわかってる?」

「?」

 そういうことか。

 親衛隊のリアクションは当然だ。ドラカツはドラゴンの肉と大量の米を贅沢に使用した数百キロもの料理。ニドのような華奢な少女が食べ切れるわけはないと考えるのが普通だ。

「ええ、わかってますよ。心配ご無用です。こう見えて私、百戦錬磨ですから」

 ニドはえっへんと胸を張った。今のニドは小さな姿だが、本来のニドは数百キロの飯くらいぺろりと平らげる巨体だ。数々の大食いチャレンジを勝ち抜いて来た戦績は伊達ではない。

「そうか……まあ、止めはしないが」

 親衛隊は納得いかない様子だったが、それ以上追及してこなかった。まあ、見ているがいい。噂の奴隷料理人の腕によっては、こちらはおかわりも辞さないつもりだ。私の食べっぷりに戦慄するがいいさ。

(しかし……魔王城に近いだけはあるなぁ)

 行列に並んでいるのは屈強な魔物ばかりだった。さっと見ただけでも、歴戦の猛者とわかる風貌が多数いる。

 この辺りの住人は上級魔族ばかり。そして上級魔族の大半は、魔王軍の幹部クラスの実力者である。その点を踏まえれば、なるほど親衛隊が警備にあたるのも無理はない。

 ニドは腕を組み、うんうんと感心した。

(わかるわかる。やっぱ英気を養うならドラカツだよね。上に立つ魔物はわかってるな~)

 行列に並んでから数分。どうやら開店したらしい。列が先頭から続々と入店していく。巣穴に帰る蛇のようだ、とニドは思った。巨大な店は行列を一気に呑み込んでくれるようで、すぐにニドの番が来た。なんなら、ニドが最後尾だった。

(いよいよだ~っ)

 入口で誘導しているのも親衛隊だった。業務外だろうに、治安を保つのも大変である。

「はい、これどうぞー」

「?」

 入店する客全員に、親衛隊が何かを配っていた。ニドも受け取った。黒い水晶玉がはめ込まれた、小さなバッジだった。

(整理券もリニューアルしたのかな? 凝ってるな~)

 バッジをエプロンの胸元に付け、いざ入店する。

 六百人余りの客を収めて余りある店内は壮観だった。案内された広場は何も無くがらんとして、まるで闘技場のようでもある。

「ん……?」

 あれ、本当に何も無い。

 椅子もテーブルも無い。

 メニュー表も見当たらない。

(キッチンも……あれ、どこにも無い。あれれ?)

 床で食べるスタイルになったのだろうか。ドラカツを食べられるなら一向に構わないが、コストカットの一環だろうか。確かにこんな立派な店舗を建てたら資金が底を尽いても不思議ではない。

(あ、そっか。わかった、ここ待合室だ。これから順番に別室に呼ばれるんだ、きっとそうだ。すごいなぁ、客を外で待たせないためにこんな広い待合室を用意するなんて……)

 客の喧騒がぴたりと止んだ。

 唐突に静かになったので、ニドは何事かと周囲を見回した。皆一様に、広場の奥を注目している。

(なんだろう?)

 目を凝らすと、広場の最奥に豪華なステージが設けられていた。

(んん~?)

 魔獣の骨と毛皮、夥しい人間の髑髏で飾り付けられた悍ましいステージの上に、五つの椅子が並んでいる。うち三つは空席で、うち一つには三面六臂の魔物。そして中央の最も大きな椅子には、何やら見覚えのある角を生やした巨躯が座していた。

(あっれ~……?)

 あの角、あの甲冑、あの佇まい。顔は兜で隠れているが、間違いない。

 中央に座っているのは、魔王だ。

(えぇ!? なんで魔王タオグが!?)

 誰かが壇上に上がった。2メートル以上ある灰色の豹人。直接の面識は無いが、知った顔だ。魔族なら知らない者はいないと言ってもいいほどの、大物である。

 魔王親衛隊副隊長『虚玉の奏者』イロー。

(嘘でしょ)

 ニドはだらだらと汗をかいた。

(まさか……)

 イローは叫ぶ盾ニアコを改造したマイクを口に当てた。マイクに付いたガタガタの歯がイローの唇の動きに合わせて開閉し、彼の声を拡大して広場に響かせた。

「暴君たちよ、よくぞ集った。諸君らの心意気に敬意を示し、こちらも容赦無く選別させてもらう」

 イローは高らかに宣言した。

「これより、新四天王の選抜試煉を始める」

 ニドの背後にある、広場の扉がバタンと閉じた。

 客たちが――否、四天王を志す魔王軍の猛者たちが一斉に沸き立ち、雄叫びを上げた。

『オオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!』

 たった一人。

 ニドを除いて。

「えええええええぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!??」 

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