裏ボスさんはメタられない

闘骨

プロローグ

プロローグ1 魔王の友人

 魔王。

 と聞いて、どんな姿を思い浮かべるだろうか。

 あるいは、どんな人物を想像するだろうか。

 ニドにとって魔王とは、目の前にいるヤギ頭の魔物に他ならない。

 彼女にとって魔王とは、古い友人であり……そして例えるなら、弟のような可愛い存在だった。



「そっか。リミィ坊は死んだか」

 ニドは紅茶と竜の生き血を混ぜた特性茶を啜り、カップをソーサーに置いた。テーブルの向かいにいる巨大なヤギ頭の魔物が、小さく頷いた。

「ああ。これで、魔王となる前の儂を知る友人は……お前だけになってしまったな。ニド」

 丸く小さなテーブルは、その魔物には酷く窮屈なようだった。彼の背丈は5メートルはあり、ニドもテーブルもそのシルエットの中にすっぽり収まってしまっている。

 黒毛の山羊魔。種族ごとにカテゴライズした際、彼――魔王はそう呼ばれる。

 一見すると人型のヤギだが、彼を構成する要素はどれも凶暴だった。

 爬虫類のように大きく、ギョロついた眼球。縦に開いた瞳孔は赤く、蝋燭のように爛々と暗い光を放っている。牙は肉食獣のように尖り、手足の爪は猛禽類の鉤爪に酷似した。

 湾曲した角の太さと長さは彼が生きた2千年に及ぶ年月を物語り、そこに刻まれた無数の傷は彼の壮絶な戦歴を象徴する。

 目に見える範囲だけでも、これだけの獰猛さだ。甲冑と血のように赤いマントの中に、さらなる無数の凶暴性が隠されていることは想像に難くない。

「言われてみればそっか。確かに、あの子とも古い仲だったね。最古の四天王、とか呼ばれてたっけ。『巨神老』だなんて二つ名付けられてさ。たかが1900歳くらいで」

「充分歳寄りだろ」

 対するニドは、正反対と言ってもいい容姿だ。

 人間の少女。せいぜい15歳かそこらの。そこら辺の町か村で、平凡な生活を送っていそうな、何の特徴も無い少女だった。

 しかし魔王の振る舞いは、彼女に対して己と対等以上の敬意を表していた。少なくとも、普段配下にそうしているように意味も無く睨んだり、魔力を放出して威圧したり、無理に威厳を示そうとすることは無かった。

 むしろニドと過ごすこの空間は、彼が魔王であることを忘れて自然体でいられる唯一の憩いの時間でもあった。

「今回の勇者も手強かったの?」

 ニドが尋ねると、魔王は眉間を寄せた。

「何故そう思う?」

「そんな顔をしてる」

「……顔なんか見てないだろう」

「だって首痛いもん。君はデカいから」

 魔王は爪の先端で器用にカップを挟み、大きな口を開いて一口で飲み干した。飲み干すというより、彼にとってはほんのひと雫に等しい液量だった。

 カップを揺らして残った水滴を弄びながら、魔王は言った。

「とうとう4つ目の変身まで披露する羽目になった」

「へえ、それは凄い。ていうか4つも変身あったんだ?」

「全部で第5形態だ」

「多過ぎない? 第3くらいまでにしときなよ。そしたら私とお揃いだし」

「質ではお前に敵わないから、数で勝負しとるんじゃこちらは」

「わかってないな君は。強化のための変身は虚勢の現れだよ」

「皆、お前のようにできるわけじゃないんだ」

 二人がいるのは寂れた廃墟だった。どこかの、恐らく王族か何かの宮殿。シャンデリアが落ち、階段を断絶されたエントランスの中心にぽつんと置いたテーブルを囲んでいる。上階の壁には、キャンバスを剥がされ虚空を囲った額縁たちが点々と飾られていた。

「今回の勇者との戦いは……15年も続いた」

「へえ」

「儂ら魔王軍は徐々に追い詰められている。魔物を育てるのには何百年もかかるというのに、勇者は100年周期で転生してくる。終戦から10年……次の勇者が現れるまで、あと60年。今回のように齢15まで戦場に立たないとしても……それでもたったの75年だ。ただでさえ常に人間どもと戦時中だというのにな。儂らは削られる一方だ」

 魔王がカップをソーサーに置くと、勢い余って双方を割ってしまった。ニドは意に介さず、静かに茶を啜った。

「何よりも、儂は衰えた。あそこまで追い詰められるとはな」

「仕方ないよ。よその世界の住人になら、神は好き勝手に改造バフを施せる。こちらの世界の住人と違って、信仰心を媒介にする必要が無いからね。そんな奴を相手にしているんだ。君はよくやっているよ」

「それでも、儂も歳だ。次の勇者を倒せるかどうかはわからん」

 ニドは首を傾げた。

「いつになく弱気だね、君らしくもない」

「老いには勝てんよ」

「リミィ坊も老いで負けたの?」

「そのようなものだ。奴が不覚を取るとは思えんしな。純粋な、理不尽な……避けようのない、衰え。時とは残酷なものだ」

「……」

「儂もいずれ、時に食い潰される。勇者ではなく、生きた年月に殺されるのだ」

 ニドは頬杖を突き、壊れたシャンデリアを横目に見下ろした。バラバラに砕けたガラスに、ニドの姿が万華鏡のように反射していた。

「じゃあ、次の魔王を擁立しないとね。有望な配下はいるの?」

「いることはいる」

「それは良かった。死ぬ前にちゃんと指導してくんだよ」

「……ニド」

「なぁに?」

「儂が死んだら、魔王軍はお前に任せたい」

 亀裂が広がり、カップの破片がさらに細かく割れた。ニドはシャンデリアを見たまま返した。

「何度も言ってるよ。私は表舞台には立たない」

「……」

「私は君と違って、政にも世界征服にも興味が無い。君は友達だけど、君の配下は別に知り合いじゃない。君のいない魔王軍なんて正直どうでもいい。何百年経とうと、私の答えは変わらないよ」

「……ああ。そう言うと思っていた」

「悪いとは思ってるよ。でも、私の敵は人間じゃない」

「わかっている」

「偉いよ君は。神に祝福されなかった者たち……魔族を統率して軍を組織し、この世の理に抗った。戦うよりもずっと多くのことに身を割いてきただろう。純粋に戦うことだけに努めていれば、いずれ私にも追いついてたはずだ」

「それはない」

 魔王はきっぱりと言った。かぶりを振ると、それに伴って長い髭が揺れた。

「儂の寿命では、到底追いつかんよ」

「勿体無いね。君も『時』が創られる前に生まれたらよかったんだ」

「無茶を言うな」

 ニドはクスリと笑い、ふと思い出したように顔を上げた。

「あ、でも」

「ん?」

「もし本当に君が負けるようなことがあったら……魔王を継ぎはしないけど、敵討ちくらいはしてあげるよ」

 ニドは微笑んだ。

「絶対に生きて返さない」

「……」

 魔王はぼそりと呟いた。

「まるで裏ボスだな」

「なんて?」

「何でもない」

 虚空を仰ぎ、魔王は言った。

「そろそろ時間だ」

「何か予定でもあるの?」

「この後、新四天王の選抜試煉がある」

「選抜試験?」

「試煉だ」

 魔王は立ち上がる。彼の体重でへし曲がった椅子がコテンと倒れた。

「勇者との戦争で、リミィを含む三人もの四天王が没してな。今までの四天王は全員、俺の縁故採用だったんだが……今回初めて、所属と階級を問わずに募った魔族の中から、新四天王を三人選ぶことにした」

「ほえ~」

「今日は選抜試煉の開会式だ。儂が顔を出せば志望者の士気も上がる」

「お、壇上で挨拶するの?」

「一言だけな」

「そりゃまた、魔王様は大変だね~」

 カップを空にし、ニドも椅子から立つ。

「ちょうどいいや、私も出かけようと思ってたから」

「また異界探索か?」

「ううん。そうだ、聞いて聞いて!」

 ニドは手を合わせ、興奮気味に話した。

「行きつけのドラカツ屋がリニューアルオープンするの!」

 ドラゴンカツレツの略である。

「ほら、前のお店は聖騎士団に解体されちゃったじゃない? 新店舗は魔都ラティフに建てたから、安心安全、物流の心配も無し。いつでもドラカツ食べ放題なの!」

 魔都は魔王軍領の中心部、つまり首都である。

「お前は本当にドラカツ好きだな」

「なんでも、元宮廷料理人の奴隷を仕入れたらしくてね。物凄く腕が良いんだって。オープンが決まってから、もうずっと楽しみで楽しみで」

「はいはい、そいつは良かったな」

「君も今度一緒に食べに行こうよ。あ、魔王なら料理人を城に呼べるのか。良いなぁ~」

「まぁ、気が向いたらな」

「私は週6で通うから、出張させるなら私が行かない日にしてね」

「通い過ぎだろ。ほぼ毎日じゃねぇか」

 廃墟の宮殿がにわかに揺れ、壁に無数の亀裂が走る。亀裂に呑まれた額縁が壁から脱落し、階段を跳ねて二人の足元まで転がってきた。天井が軋み、砂をパラパラと落とす。

「じゃあな、ニド。話せて楽しかったよ」

「うん。私も」

 ニドに背を向け、魔王は手を振った。

「生きてたら、またな」

「うん。今度は現実で会おうね」

 魔王が指をパチンと鳴らすと、廃墟は崩壊した。降り注ぐ瓦礫に遮られるまで、ニドは魔王の背中を眺めていた。やがてニド自身も瓦礫に呑まれ、目の前が真っ暗になった。

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