黄金の国ジパング
日本はかつて黄金の国ジパングと呼ばれていた。それは、13世紀頃のイタリア人マルコ・ポーロが記した東方見聞録の記述に由来するようだが、かつて、日本では砂金が多く採れ平泉の中尊寺金色堂などがその黄金のモデルになったらしい。しかし、当のマルコ・ポーロ自身は日本には寄港していないようで、中国での見聞によるものとされている。では、何故中国には日本のそのような情報が流布したのだろうか。大昔、日本の西域との貿易ルートは、日本海を渡り朝鮮半島を経由してアジア大陸を縦断するルートと、東シナ海を渡り直接中国に上陸してアジア大陸を縦断するルート、そして、東南アジアからインドの海岸を寄港しながら一路船で航海するルートの概ね3つのルートがあったようだ。それぞれはシルクロードの草原の道、オアシスの道、海の道などと呼ばれる。そして、マルコの日本に関する情報入手元は、中国福建省辺りの可能性が高そうだ。福建省は台湾の対岸に当たり、当時は泉州や厦門付近の港から台湾や沖縄奄美などの南西諸島を経由して日本の南九州や関西方面に到達するルートが一般的な日宋貿易のルートであったと思われる。そして、厦門は一般的に『アモイ』と呼ばれるが、中国では『シアメン』と呼ばれるらしい。ところが、『シアメン』とは、エジプトの第3中間期のアメン神官団と共同統治した第21王朝の黄金のマスクで紹介したプスセンネス1世とその子アメンエムオプトの後に登場するファラオ『シアメン』と符合する。そして、エジプトのコプト正教会の創設に関わったと思われる『マルコ』と、新約聖書に記された『マルコによる福音書』の『マルコ』、そしてマルコ・ポーロの『マルコ』も符号するのである。マルコ・ポーロはイタリアベネチアの商人の息子とされているが実在の人物かどうかは不明であり、これらの情報は何らかの神の摂理に委ねられていると考えられないだろうか。そして、ギリシャ神話の『ポセイドン』は『海神』であり、中国や朝鮮半島との海上輸送を担っていたと思われる日本の『海神(わだつみ)』と符合するのである。
アンディは、赤く色付いた枯葉がひらひらと舞い散る舗道を踏みしめながら暫く歩き、とあるカフェの扉をゆっくりと開いた。すると、奥のテーブルに座っているハルが目に入った。
「井川さん、早かったね。」
「安藤さん、すみません。退院して間もないのに、お付き合いいただいてありがとうございます。紹介しますね。こちらがいつも私の相談相手になってくれている親友の立花美緒さん、そして、隣の男性は彼女のお友達でトレジャーハンターの千葉学さんです。」
「ああ、初めまして。エジプト考古学者の安藤です。」
「わあ、本当に安藤先生だ。千葉と言います。お会いできて光栄です。」
「立花です。ハルはもとより多くのメディアで兼々先生のお噂はうかがっております。」
「実は僕たちソロモン王の黄金の十字架が日本近海に眠っていると聞いて、その在処を探しているんです。」
「その話は井川さんにも少し聞いたけど、それが何故日本近海なのか、僕には皆目見当が付かないんだよね。僕も実はエジプトとつながりの深いイスラエルの遺跡にも拡大調査をしていたんだが、その矢先に狙われて1か月以上も井川さんにお世話になることになったわけだけどね。どうも、エジプトの遺跡とイスラエルの遺跡に何かつながりがあって、その調査を妨害する勢力が居るのかも知れない。君たちもご存知の通りエルサレムは昔から多くの宗教の聖地になっているから、その周辺では宗教絡みの争いが絶えないんだ。」
「僕たちも何故イスラエルの王であるソロモン王ゆかりの宝が日本近海に眠っているのかはよくわかりません。ただ、日ユ同祖論というのがあって、イスラエルの12支族の一派が昔の日本に辿り着き、それが天皇家の血統につながっているんじゃないかという伝承があるようです。」
「僕もその話は聞いたことがあってね、その経緯も含めてユダヤの歴史に詳しい僕の友人の広田っていう男に調査を手伝ってもらっているんだ。パレスチナのクムラン洞窟の遺跡には、ユダヤ教に関する古文書の他に財宝の隠し場所に関する古文書も見つかっているんだが、その古文書の内容にはどうも、財宝の隠し場所と目録が古代ヘブライ文字で『コーリットの乾いた井戸にある』と記されているらしい。『コーリット』とはどこか不明なんだが、もし、それが未来を予測して現代世界に普及している英語の発音に近いものと重ね合わされているとしたら『コリドー』つまり、回廊にある乾いた井戸だとすると、僕が付け狙われる少し前に調査したエジプトにあるデンデラのハトホル神殿奥にある井戸と関係があるんじゃないかと思っている。その井戸はハトホル神殿から外に通じる回廊の先にあるんだ。そして、それは土砂で埋まっていて乾いていた。もし、それがそのコーリットの井戸だとしたら、ソロモン王の黄金の十字架に関する情報に関してもそこに何らかの手掛かりがあるような気がする。それに、その遺跡にはコプト教会の遺跡も同居していてね、ユダヤ教と原始キリスト教の流れを汲むエジプトを含む北アフリカを中心に信仰されているコプト正教会とは関係が深そうなんだよ。デンデラの近くでも、クムランの死海文書と関係が深いと思われるやはり原始キリスト教につながりが深いナグ・ハマディ文書が発見されている。原始キリスト教を標榜して修道生活を送っていた一派がユダヤ戦争でユダヤ教の殿堂であったエルサレム神殿やクムラン洞窟を含む拠点で壊滅的な敗北を喫した時、エジプトに逃れたのではないかと考えている。あくまで仮説だがね。」
「ユダヤ教などの宗教云々は僕にはよくわかりませんが、先生、その『コリドーの井戸』って凄くないですか。僕すぐにエジプトに飛んで、その井戸を掘ってみますよ。」
「千葉君、何言ってるんだ。第一そんなことエジプト政府が許すはずはないし、君も僕を狙った妨害勢力に付け狙われることになるぞ。僕を撃った男は『その井戸に近づくな!』みたいなことを英語で口走っていたような気がするんだよ。」
「そうなんですか。『虎穴に入らずんば虎子を得ず』なんですけどね。やるからには命懸けってことですね。」
「マナティやめてよ。あなた常軌を逸しているわ。殺されるかもしれないのよ。」
「そうなんだよな。もし、命懸けでうまく掘り出せても、関係ない情報しかないかも知れないしな。」
「ところでギリシャ神話の『黄金の林檎』の話を知ってるかい? 百の頭を持つ竜とニンフたちが守るヘスペルデスの園にあるという、食べると不死が得られる黄金の林檎を取ってくるようにと命じられたヘラクレスが、天空を支える任務を担っていた巨人アトラスにその任務を代わってやるので黄金の林檎を取ってきてほしいと頼んで見事にその任務を成し遂げるという話なんだが、僕らがヘラクレスになって井戸の発掘を頼んでみてはどうだろう? アトラスは差し詰めエジプト政府辺りだろうか。もし、期待する古文書が見つかったら、エジプト政府にとっても、僕らにとってもこんな大きな収穫はないと思わないか?」
「ヘラクレスって怪力の持ち主ですよね? それなのに何で自分がやらないで他の人に頼んじゃったの? 何か卑怯じゃないですか? 僕なら自分でやるけどな。」
「誰だって自分にできないことはあるもんだよ。あのヘラクレスでさえ黄金の林檎の在処やどうすれば取って来れるかなどまったくわからなかったんだよ。むしろ怪力の持ち主でさえ目的を達成するために一歩引いて他の人に頼んだんだ。これは決して卑怯とか臆病なことじゃないんだ。君が困難なことに出遭って、それを成し遂げようと思ったら、まず自分にできるかを自問自答しなきゃいけない。少しでもできないと思ったら、他の協力を仰ぐことだ。若気の至りでやってみて考えようなどと安易に無謀な計画を立てちゃだめだ。その付けは自分だけでは済まない。周りのみんなを不幸にするからね。絶対大丈夫と思って実行しても、それでも多少の問題は発生するもんなんだよ。失敗を恐れちゃいけないが、それは先を見越して十分練った計画を立てて初めて言えることさ。」
「そうかあ。何となく先生の言ってることがわかったような気がするよ。ところで、エジプト政府に頼むなんてことはできるの?」
「エジプトにはピラミッド発掘で協力してもらったシャヒーン博士を始め多くの友人がいるから、彼らに頼んでみようかと思っている。それにはデンデラの井戸とソロモン王と日本との関係性を彼らに納得させるための十分な仮説と根拠が必要だがね。そこで、君に頼みたいんだが、日本とソロモン王の関係性を十分調べてもらいたいんだ。日ユ同祖論だけでは根拠が薄いからね。僕の勘では鹿児島の島津と薩摩隼人が関係していると思うんだ。島津の家紋の正十字とソロモンに由来すると思われるコプト正教会およびテンプル騎士団のシンボルの正十字、薩摩隼人のハヤブサとハヤブサを冠するエジプトの天空神ホルス、そして、徳島剣山のソロモン王の秘宝伝説などがそうだ。」
「わかりました。僕の知り合いで古代史に詳しい小出という人物がいるので、その辺もあたって調べてみます。」
「よろしく頼む。」
マナティは翌日、先輩の小出に連絡を取り、特に鹿児島から徳島辺りに関する日本の古代史について教えを請うた。
彼の話では、柳田国男が書き記した『海上の道』にもある通り、古代から中国福建省辺りを大陸への窓口として対岸の台湾と八重山・先島諸島、沖縄諸島、奄美諸島などを経由して南九州や四国、関西への海上輸送航路があったようだ。そのルートでは粟(あわ)などの五穀や絹、陶磁器などの交易が行われ、後にシルクロード海の道や中国大陸を縦断するオアシスの道・草原の道として遠くは西洋辺りまでつながって行ったらしい。そして、主要な輸送品でもあった粟や絹などは、沖縄の酒の名 泡盛(あわもり)として、沖縄の粟国島(あぐにじま)、四国徳島の阿波国(あわこく)、関西の淡路島などの地名として、沖縄久米島の久米島紬、奄美大島の大島紬などの絹織物の名産品として、その名を留めているとのことであった。
また、沖縄の古文書『琉球国由来記』、『おもろさうし』などに登場するアマミキヨやニライ・カナイと呼ばれる沖縄の祖霊神として関係の深い神様は南九州を本拠地にしていたのではないかとの説を支持しており、南西諸島と鹿児島や宮崎、徳島などとの古くからのつながりがあったことは十分考えられるらしい。記紀( 古事記・日本書紀 )には、孝昭天皇の長男の天足彦国押人命( 古事記では天押帯日子 )が和珥(わに)氏の始祖と記されており、大綿津見神(おおわだつみのかみ)や安曇氏(あずみし)の系統である海神( わだつみ )の流れを汲んでいるようである。そして、宮崎県日南市の北西に鰐塚山(わにつかやま)という山があり、『帯』を『おび』と読めば同じ日南市には飫肥(おび)という地名もあり、この辺りが和珥氏の本拠地ではないかとのことであった。
さらに、四国は古事記によると伊豫二名島(いよのふたなじま)と呼ばれ、徳島は阿波の他にもう一つの名である大宜都比賣(おおげつひめ)と名付けられていて、沖縄にも『宜』の付く地名が宜野湾市・大宜味村・宜野座村など多数あり、その先の台湾にも宜蘭という地名があるから、海の道でのつながりを暗示しているように思えるし、伊豫の『豫』とは予言を意味し、『伊』をイスラエルとすると、ユダヤとのつながりが窺え、徳島剣山のソロモンの秘宝伝説もまんざら根拠のない話ではないと励ましの言葉をもらった。
マナティは、小出に礼を言って早速これらの情報をeメールでアンディに送った。すると、アンディからすぐに電話があり、二人の話は大いに盛り上がったのだった。
「千葉君、君の情報はすごいぞ! 実は、エジプトのコム・オンボ神殿に祀られているのは『ハヤブサ』と共に『ワニ』なんだよ。ハヤブサはエジプトのホルス神のシンボルであると同時に薩摩隼人に通じるし、ワニもエジプトのセベク神のシンボルであると同時に和珥氏に通じるわけだ。そして、粟や絹などの特産品によって鹿児島や宮崎や四国が海の道として繋がっていたとはね。ひょっとすると、これらの海上輸送を担っていた海神(わだつみ)は、海神とされるギリシャ神話のポセイドンとも何らかのつながりがあるかも知れないな。」
「そうなんですね。なんか僕らはすごい発見をしたのかも知れませんよね。」
「そうだな。あくまで状況証拠ではあるが、エジプトの考古学者仲間にこの事実を伝えれば彼らもハトホル神殿の井戸調査に協力してもらえるかも知れないな。早速情報を整理して頼んでみるよ。」
「本当ですか。ありがとうございます。なんかワクワクして来ますね。よろしくお願いします。」
そんな会話の数日後、アンディはエジプトのシャヒーン博士に一通のeメールを送り、電話でも依頼したのだった。その内容には、エジプトとイスラエル、および、日本との関係を裏付ける客観的史実と共に、それがもとでアンディが殺されそうになったことなども踏まえ、十分な安全警護を行った上で調査いただきたいとの断り書きも添えられていた。
そして、博士も大いに興味を示してくれて、エジプト政府当局と交渉してみるとのことであった。
エジプトのハトホル神殿の井戸発掘調査が始まったのは、それから3か月程経った日本では桜が咲き始めた頃である。
発掘調査は、井戸の周りを厳重に囲ってセキュリティを確保し慎重に進められて行った。それから数週間が経った頃だろうか、周りを金属で覆った一つの箱が見つかった。それは銀の装飾が施された30~40cm四方のチェストのようなものだった。慎重に掘り出されて、蓋が開けられると、中には黄金に輝く一つの盾が収まっていた。そして、その盾にはコプト教会と同じ正十字のシンボルが・・・。
「こ、これは、伝説のソロモンの金の盾ではないだろうか?」
シャヒーン博士は、それを画像データに収めて早速アンディに一報として伝えたのだった。
「博士、これは確かに伝説にもあるソロモンの金の盾の一つではないかと思われます。この時にすでに正十字が使われていたのですね。エルサレム神殿の宝物は悉く奪い去られたと伝わっていますが、このように免れてひっそりとエジプトのコプト教会の方隅に眠っていたとは・・・。そして、それが後々テンプル騎士団のシンボルにもなったと考えられませんか?『ソロモン王の黄金の十字架』とは実はこのことを意味しているのかも知れませんね。」
「そういうことですか。それなら納得できますね。それに盾の裏側には刻印文字がありましてね。『SWORT TINPL』と記されていました。」
「それは『SWORD TEMPLE』つまり徳島剣山の劔神社(つるぎじんじゃ)を指しているのかも知れません。私たちも並行して日本での調査を進めたいと思います。」
アンディはその情報を早速マナティに伝えた。
「それ、本当ですか? 凄くないですか? でも、僕は『ソロモン王の黄金の十字架』は別にあると信じています。即刻劔神社の調査に行かせてください。」
「千葉君、そんなに早まるな。神社と言っても敷地面積が相当あるから、どこを調べるか入念に事前調査が必要だ。」
「確かに先生のおっしゃる通りですね。僕が前にネットで調べた限りでは、剣山には複数の劔神社が存在し、その中でも本宮の劔山本宮劔神社と頂上付近に鎮座する劔山本宮宝蔵石神社が有力候補と睨んでいます。劔山本宮劔神社のご神体は聖なる鏡石という三つの岩石の破片ですが、石の表面には人工的に磨かれたような光沢があり、その神秘的な輝きからただの石では無いとの説があるようです。また、宝蔵石神社にはそのご神体で紙垂(しで)による結界で守られた大きな磐座(いわくら)があり、その祠(ほこら)にはユダヤの伝説の他に、平家ゆかりの安徳天皇と共に瀬戸内海に沈んだとされる草薙の剣が奉納されたとの伝承も伝わっているようです。」
「千葉君、その磐座が気になるなあ。」
「そうですよね。僕もそこが狙い目かなと思っていました。」
「その祠を調査することは可能だろうか?」
「可能なようですが、危険を伴うので、十分な安全装備と、何と言っても神聖な場所なので事前に禊ぎ(みそぎ)と神社への参拝が必要かと思います。」
「そうだな。私も同行するよ。5月頃だと頂上の根雪は完全に消えていると思うが、その頃でどうだろう?」
「いいと思います。じゃあ、早速計画を練ってみますね。」
「頼むよ。」
5月のゴールデンウィークを過ぎたある日のこと、天候にも恵まれて抜けるような青空の下、二人は徳島県美馬市の標高2千メートル近くある剣山の頂上を目指していた。
予てより依頼していた劔山本宮劔神社でお祓いを受けると、神主の宮部さんと共に見ノ越駅から剣山観光リフトで西島駅まで向かい、そこから徒歩で40分ほど山を登って劔山本宮宝蔵石神社の磐座に辿り着いた。そして、神社に参拝した後、マナティがその祠の中に入ってLED照明とファイバースコープを用いて中を入念に調べ始めた。すると、片隅の岩の割れ目に人工的に磨かれたような断面が見つかったのだ。それをファイバースコープで丹念に確認してみると、苔むした石板が埋め込まれていて表面に何か文字が刻まれているように見えた。表面の苔を水とブラシで洗い落としてみると、漢字の古代文字が浮き出て来た。
「先生、これ文字の刻印じゃないですかね? データ送りますね。」
マナティはファイバースコープで捉えた文字を画像データに落としてアンディたちにスマホで転送した。
「千葉君、こりゃ凄いぞ。宮部さん、この部分見てください。」
「本当ですね。私も長いことこの神社に携わっていますが、こんな石板が埋め込まれていたとはまったく気が付きませんでした。険しいこの山はこれまで修験者以外はあまり足を踏み入れませんでしたからね。」
そこには、漢字文らしき文字の羅列が刻印されていたのだ。しかし、記された内容は詳しく調べてみないとその場では判断がつかなかった。
そんな折しも、みるみるうちに空が黒い雲に覆われ、雷鳴が轟き、横殴りの雨が降り出して来た。
祠から戻って来たマナティが不安そうに尋ねた。
「石板を暴いたから僕らは呪われたんでしょうか?」
「そんなことはないですよ。山の天気は変わりやすいですからね。」
宮部さんが皆を落ち着かせるように答えた。
しかし、天候はさらに悪化している。
大急ぎでデータを採取し終えると、一先ず下山することにした。
彼らは途中で崖を落ちそうになりながらも何とか西島駅まで辿り着き、無事帰宅の途に就いた。
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