碧は愛より出でて青よりも深く

皆さんはギリシャ神話に登場するエパポスという人物をご存知だろうか?

彼は、オリュンポス十二神の長で天空を司る最高神ゼウスとその恋人イーオーとの間に生まれ、エジプトを治めた王とされる。イーオーは、ゼウスの本妻であるヘーラーによって牝牛に姿を変えられてギリシャから各地を転々と彷徨った末に遂に安住の地エジプトに辿り着きこのエパポスを産み落とすのである。

つまり、この話はギリシャ神話に留まらずエジプト神話にも関わってくると考えたほうがよさそうである。そうすると、エジプトと隣接するパレスチナにも関係するのではないだろうか。そういうわけで、この物語はギリシャ神話とエジプト神話および旧約聖書に跨って古代史と照らし合わせながら推論した以下の系譜仮説に基づき進行して行くことをご容赦いただきたい。



【ギリシャ エジプト神話 旧約聖書系譜仮説】


『△ラー    /

 △ラムセス11世   』―┐

   ┌――――――――――┘

   |┌『△オシリス   /

   || △ポティフェラ /

   || △パネジェム1世( アメン大司祭 ) 』

   ||  |

   ||  |『◇エパポス     / 

   ||  | ◇ポセイドン    / 

   ||  | △ホルス      / 

   ||  | △セベク      / 

   ||  | △プスセンネス1世 / 

   ||  | ☆ソロモン     / 

   ||  | ☆ヨセフ( イーオー )   』

   ||  |  |

   ||  |  ├『◇アンドロメダ / 

   ||  |  | ☆マナセ     』

   ||  |  |

   ||  |  ├『△アメンエムオペト / 

   ||  |  | ☆レハブアム

   ||  |  | ☆エフライム     』

   ||  |  |

   ||  ├『◇カシオペア   / 

   ||  | △メンフィス   / 

   ||  | △ムトネジェメト / 

   ||  | ☆シバの女王   / 

   ||  | ☆アスナス( アセナト ) 』    |:  |

   └-『◇イーオー / 

    : △ハトホル / 

    : △( イシス )  / 

    : △( ネイト )  / 』

    |   |

    |   | 『△ネフティス 』

    |   |   |

    |   |   ├『△アヌビス 』

    |   |   |

    └『△セト     』


※名前の出所

  ◇:ギリシャ神話

  △:エジプト神話

  ☆:旧約聖書



エジプト神話にも牝牛の角を冠する愛と美の女神ハトホルという神が登場する。この女神の名『ハトホル』の『ホル』とは『ホルス』に由来し、ハヤブサを冠するエジプトの天空神ホルスの母神とも配偶神とも言われ、太陽神ラーを父に持つとされている。しかし、実はイーオーがエジプトファラオの妻ハトホルでエパポスがハトホルの子ホルスとすればギリシャ神話の母子であるイーオーとエパポスの関係がエジプト神話のハトホルとホルスの関係に重なって来るのである。ホルス神を祀るエドフのホルス神殿とそのナイル川下流に位置するデンデラのハトホル神を祀るハトホル神殿との間を、毎年船でホルス神を詣でる祭りが催されるらしい。


また、エジプト神話には豊穣の女神イシスも登場する。この神もホルスの母神で大地の神ゲブを父に持ち、冥界の王オシリスの配偶神とされるが、新王国時代第18王朝のトトメス2世の后はハトホルと類似する名のハトシェプストで側室にイシスという名が見える。トトメス2世の死後ハトシェプストが女王となり側室イシスの子トトメス3世を補佐して共同統治を行ったことなどにより、トトメス3世もハトホルとイシスの両方を母に持つホルス神に例えられたとすれば、イーオー=ハトホル≒イシスという関係が見えて来る。これはイシスが牝牛を冠する姿で描かれたりする場合があることでも裏付けられる。

オシリスは、兄弟神で戦争の神セトに殺されるが、それを甥のホルスが敵討ちするというストーリーが神話には記されている。セト神は葬祭の女神ネフティスとの間に冥界の神アヌビス、戦いや水の女神ネイトとの間にワニを神格化したセベク神を生んだとされている。

一方、オシリス、イシス、セト、ネフティスは兄弟姉妹と伝わるが、そのままに解釈すると神々のこととは言え近親相姦にあたるため、オシリスとイシス、セトとネフティスの各々は夫婦なので義理の兄弟姉妹になると解釈し、イシスの別名をネイト( ナイル川に由来するとすれば豊穣のイシスと水のネイトがつながり、オシリスの死後セトの妃に迎えられたとすればセトの配偶神という立場から戦いのネイトとなる )とすればイーオー=ハトホル≒イシス=ネイトで、オシリスの子ホルスはセトの甥であると同時にネイトを介して義理の息子にもなるので、セトの息子とされるセベクと同一神と捉えても辻褄が合う。これはコム・オンボ神殿が左右対称で向かって左側にはハヤブサに象徴されるホルス神、右側にはワニに象徴されるセベク神が祀られている独特な二重神殿であるということでも裏付けられる。

そして、ハトホル・イシスと、ラー・オシリス・セト・ホルスの関係がオシリスやセトの死などを経て未亡人となった王妃たちが妃に迎えられ関係が変化したとすれば神話上のこのような経緯と、信仰上ではアメンが太陽神ラーと習合してアメン・ラー、ホルスがラーと習合して大ホルス( オシリスの子とされる場合は小ホルス )になったことなどの理由により、伝承の揺らぎが発生したものと考えられる。


次に、もう一度ギリシャ神話に目を移すと、エパポスはナイル川の河神ネイロスの娘メンフィス( 別名カシオペア )との間に二人の子をもうけたとされ、妻の名に因んでエジプトの都市メンフィスを創建したとされる。しかし、厳密には古王国の時代からメンフィスに相当する都市が存在していたことを裏付ける遺跡も出土しているため、ここでは従来からあった都市をメンフィスと改名し、ナイル川を介して他国との交易も可能となるような主要貿易港( ヘレニズム以降はその主要な座をアレクサンドリアに譲ることになるが )として再開発したと捉える。また、河神ネイロスを水の神という属性を併せ持つネイトと同一神とすると、メンフィスは、前述のイーオー=ハトホル≒イシス=ネイトの娘ということになり、前述のエパポス=ホルスがイーオー=ハトホルの実の息子ならばメンフィス( 別名カシオペア )との関係も近親相姦ということになる。そこで、エパポス=ホルスを義理の息子と仮定するとこの問題も解決する。

ここで疑問として残るのは、イーオーの彷徨の話であるが、ユダヤ民族に象徴される放浪の歴史と共に、以下に示す旧約聖書創世記に登場する奴隷として売られ彷徨ってエジプトに辿り着き身を立てたヨセフをエパポス=ホルスと同一人物と仮定することで違和感が無くなる。


そして、このヨセフが古代イスラエルの栄華を極めたソロモン王を創世記神話で象徴的に表現しているとしたら、エパポス=ホルス=ヨセフ=ソロモンという関係が見えて来る。

しかしながら、ユダヤ史におけるダビデ王とソロモン王の実年代を操作すると歴史の正当性が揺らぐのでそれは変更されていないと筆者は想定している。その代わり、明確な年代が記されていない旧約聖書の神話におけるヤコブとヨセフをダビデ王とソロモン王の関係に重ね合わせ象徴的に描いて、その年齢と活動年代を操作することで、エジプトファラオのヒエログリフで刻まれた碑文年代記録と、イスラエル王の活動年代を分離させつつ、その整合性を持たせたのではないかと解釈し、それを踏まえた仮説と関連文献による検証を行い一定の妥当性を見出した( ※12 )。


そして、旧約聖書列王記上9章にはソロモン王が船団を編成したことなども記されており、ソロモン王の治世にはメンフィスの港を拠点にナイル川と地中海、紅海などを介して他国との交易を拡大発展させ莫大な富を得たことが窺えるので、ギリシャ神話に登場する海神ポセイドンに准えられたとしても不思議ではない。ファラオの装飾にも使われたラピスラズリの深い碧は、紺碧の海と空をイメージさせる。



この物語は、そのような仮説が織り成すファンタジーとして再び時空を超えて進行して行く。


ソロモン王率いる船団は、地中海に漕ぎ出しギリシャ、アナトリア、レバノンなどとの交易を、紅海に漕ぎ出しエチオピア、ペルシア、インドなどと交易を行って、莫大な財宝を蓄えて行ったのだ。そして、それはシルクロード海の道につながって行く。しかし、ソロモンの死後、イスラエルの民は12支族に分裂すると、アッシリア、そして、新バビロニアの攻撃に晒され離散し、東に向かった。ある者たちは羊の民となり、ある者たちは海の民となった。バビロン捕囚から帰還した者たちはエルサレム神殿を再建し、ヤハウェの教えを広め、ローマ帝国支配による苦難の時代を経てキリスト教に昇華させた。

ところが、彼らの苦難とさすらいは、一見すると相反するものと捉えられがちな愛と富の両方を育み、そのいずれもが互いに結び合って世界に広がって行ったのだ。しかし、世界中に広がるに連れその本質は次第に見失われて、人類を救う愛と富の絆は切り離され紺碧の海に深く深く沈んで眠ってしまった。



二人の定例会の最中にポツリとミオが呟いた。

「ハルは愛と富とは両立できると思う?」

「それは私にもわからないわ。でも、キリストが言ったように『人はパンのみにて生きるにあらず』ってことだと思うし、だけどパン無しじゃ生きられないし。それをみんなが両立させることを求められているんじゃないかしら。ミオが前に教えてくれた私の担当の安藤さんっていう患者さんが話してたんだけど、ユダヤの修道生活を送っていた宗派に関係がありそうな死海文書が発見されたパレスチナのクムラン遺跡からは、原始キリスト教につながる宗教文書の他に財宝の隠し場所に関する文書も見つかっているの。生身の人間なんだから愛だけでも長続きはしないし、富だけを求めても空しいし、要するに調和やバランスが大事だってことじゃない?」

「そうだよね。お金も大事だけど愛とのバランスを取らなきゃダメだよね。マナティのやつ、最近頭の中は財宝のことばっかり。私のことなんか忘れちゃってそうなんだよね。」

「ミオそんなことないよ。千葉君だってミオがいるっていう安心感があるから宝探しに没頭してるわけでしょ?君はそんな女神みたいな存在なんじゃないの?」

「そうかなあ。でも、私の誕生日には必ず何かしらのプレゼントをくれるから、まあ、良しとするか。」



ある時、アンディがハルに言った。

「君から借りた創世記を読んでいて思ったんだが、ヨセフはエジプトの統治者となったのに、エジプトの歴史には明確な記述が無いんだ。そして、イスラエルの歴史と旧約聖書もうまくリンクしないんだなあ。ヨセフは亡くなった後ミイラにされたと記されているんだが、そのように丁重な埋葬処理が施されるのはファラオなどの重要な地位に居た人だからエジプトの歴史に刻まれていてもいいはずなんだが、明確な記述が見当たらないんだよ。エジプトの異民族支配が及んだのは第2中間期のヒクソスと呼ばれる異民族の第15王朝と、第3中間期のアメン神官団と呼ばれるファラオの権力を凌ぐ神官が権力を持った第21王朝の時代辺りなんだが、ヒエログリフにも明確な記述が見当たらないんだよ。架空の人物という可能性もあるが、それなら旧約聖書にわざわざエジプトでミイラになったことなんか書く必要はないよね。僕はエジプトの歴史から隠されているような気がするんだ。きっとヨセフとソロモンは同一人物だと思うね。」

「ヨセフとソロモンを同一視するなんて、先生の推理も大胆ね。でも、二人の境遇はあまりにも違って見えるけど。ダビデとソロモンはイスラエルの王の中でも周辺国に絶大な影響力を及ぼした人でしょ。ヨセフは兄弟たちに迫害されて奴隷として売り飛ばされ、エジプトでパロに事あるごとに的確な助言を与えて寵愛されパロ以上の地位に上り詰めるのよ。そして、パレスチナで飢饉に遭い苦境に喘いでいたヤコブや兄弟たちをエジプトに呼び寄せて豪華な食事を振る舞うと、兄弟たちは過去に犯した罪を詫び、ヨセフも涙するというストーリーが記されているわ。だけどソロモンは莫大な富を築いてエルサレム神殿を建てたり、シバの女王との謎かけ問答や、思慮深い公平な裁判を行ったことなど、イスラエルの全盛期を治めた知恵者ソロモン王という姿が思い浮かぶので同じ人とは思えないわ。」

「確かに君が言うように旧約聖書や伝承は二人の異なる面を映し出しているから一見別人に見えるけど、考えてもご覧よ。イスラエルから見てエジプトの先に位置するエチオピアの人と伝わるシバの女王がわざわざソロモンに謁見しに来るっていうことは、イスラエルだけでなく途中のエジプトも彼の支配下にあったと思わないか? それにシバの女王はソロモンと結婚したという逸話もあるようだしね。パロとはファラオのことなんだが、シバの女王とは実はエジプトのファラオの娘だとすれば、エルサレム神殿にエジプト人王妃の王宮を設けたという逸話もあるくらいだから、ソロモン王の時代にはエジプトとの関係は深かったと思うよ。それに第3中間期のアメン神官団とは実はソロモン王が築いた勢力だとすると、紀元前970年頃だから年代的にも辻褄が合うし、語呂合わせで失礼かも知れないがユダヤの流れを汲むキリスト教で『アーメン』と唱えるのも理に適っている。エレミヤ書にはパロを否定する内容が書かれているようだが、それはソロモンが異教を崇拝し悪霊を支配して堕落したなどという悪評が散見されるのと似ている気がする。」

「そうなんだ。確かにエジプトの人々にとって自分たちがイスラエルの勢力に支配された時代があったとしても、それを殊更に歴史として伝えたくはないかも知れませんね。そう言えば先生は夢でソロモン王と呼ばれたのよね。」

「そうなんだよ。夢のことは忘れかけていたけど、君からソロモン王の黄金の十字架の話を聞いて、僕も一役買わなきゃならないなと思いだしたよ。」

「私の友達でその黄金の十字架を追い求めている人がいるの。それじゃあ、先生、退院したら一度会ってもらえませんか?」

「構わないよ、僕でお役に立てるんだったら。」

「ありがとう。じゃあ、早速向こうにも話しておくね。友達はこの病院の同僚で立花美緒さんって言うんだけど、彼女の彼氏がトレジャーハンターのユーチューバーなの。先生に会えたら、きっと二人とも驚いて腰抜かすかもね。先生、ほんとうにありがとうね。」

ハルはそう言い残して病室を離れた。


アンディが救急搬送されてから1か月が過ぎ、木の葉が色付き始めた頃、いよいよ退院の日が訪れた。

「井川さん、色々とお世話になったね。これ、借りていた聖書。本当にありがとう。また会える機会があったら嬉しいな。」

「こちらこそ、先生から色々教えていただいて、視野が広がったような気がします。この前お話したように、トレジャーハンターのお誘いがあると思うので、その時はお願いしますね。これ私の連絡先です。」

「おう、そうかそうだったな。僕も連絡先教えとかなきゃな。何かあったらここまで連絡ちょうだい。」

「ありがとうございます。そして、これ退院のお祝いのお花です。お家に飾ってくださいね。」

「花束までありがとう。寛実、これリビングに飾ってもらえるかな?」

「あなたの寿命が延びたことを記念して、飾った後にドライフラワーにしてせいぜい長持ちさせてあげるわよ。」

「ありがとうよ。でも、そう枯れてまで長生きしなくてもいいけどね。」

アンディは二人の顔を見ながら苦笑した。

妻の寛実が車で迎えに来ていて、アンディたちはこれまでお世話になった病室の片づけを行い、中山医師とハルを始め多くの病院関係者に謝意と別れを告げて東都基督教大学総合病院を後にした。


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