第9話 3日目 夜行②

 ◯

 曳橋の学校を出てからしばらく山道を下りて、学校が見えなくなってから3人は道路の脇でタクシーを呼んだ。

 ここの立派な建物群は所詮隠しきれないと思うが、出来るだけ外の世界と繋がりたくないのが曳橋の要望、いや命令である。

 だから彼の手配した車じゃない場合、来るのも帰るのも、ちょっと手間がかかる。距離を置いてからタクシーを呼ばなきゃならない。

 時間的にすでに18時、都心に行くにはまる1時間がかかる。戦法を考える余裕すらない。秘密保持のため、タクシーで討論するわけにはいかない……はず。

 しかしその前に、12日の18時といえば……蒔名はノートブックを開けると、大事なことを思い出した。

「アーカイブ室!」

 3人はほぼ同時に叫び出した。

 ちょっとだけ早かったが、緊急時だからもうお構いなしだ。

「友達のキリコちゃんに頼む!」

 紫姫素早くスマホを手にし、本部にいる知り合いの刑事に電話した。交渉を迅速にこなし、アーカイブ室を調査してもらうことにした。

 その行動力と交渉力はさておき、紫姫は交通課の女子たちと仲が良いのは知ってるけど、刑事にも?女性は全て彼女の友なのか。

 蒔名は不思議に思った。なぜなら、少なくとも本部では、彼女が女性刑事と話し合うところを見たことは一度もなかった。これっていわゆる秘密交際ってやつか?

 タクシーを待っている間に、2人の男は紫姫のスマホを見つめていた。

 キリコって刑事もすごく協力的で、助けを受諾しただけではなく、ビデオ通話であっちの状況を見せてくれた。

 アーカイブ室ではたくさんの実物の書類があると同時に、データを保存するPCもあった。かなり古い事件だけど、一応「悪鬼」というキーワードを検索してもらった。

 残念なことに、探し物は画面に出てこなかった。

 最初に現れたのは、三つの記事。

 それぞれが秋の収穫祭事件、秋葉火事、晃という刑事の活躍記事……。

「キリコちゃん!上フリックして!」

 蒔名は何かに気付いた。

 初対面なのになんでいきなりちゃん付けなのか。紫姫ちゃんって呼んだことないのに……と横で拗ねる紫姫はともかく、キリコちゃんは言われた通りに下にフリックした。

 その4つ目の記録は、とある刑事の功績である。

 タイトルは「新人女刑事が麻薬製作の拠点所在を究明、取締りに成功した」

 そんな偉い刑事がいたっけ?しかも女性?

 クリックして詳細を見たら、その女刑事は数年前、チームメンバーの阻止を顧みず、1人で手掛かりを追い続け、麻薬製作拠点の所在を発見した。彼女が速やかに応援を呼び、その間は1人で人質たちを救出した。それからは囲い込み作戦で犯罪者たちを降伏させた。

 その事件で彼女は負傷し、以来は現場を辞めさせられ、別部署に異動された。

 明田知紗。

「情報が合流したな!」

 嵐は興奮そうに言った。

「ああ。それだよ!彼女はあの時から、催眠の力を借りて、いろいろやってきたんだ。もっと早く知ればよかった!」

 蒔名も同じくらいにテンションあがり、今すぐ明田の住所に飛んでいく気だった。

 答えはもうはっきり、あとは行動のみだ。

「キリコちゃんありがとう!もういいよ!これから犯罪現場に突っ込んでいくよ。健闘を祈って!」

 キリコちゃんがまだ祈っていないのに、紫姫はもう通話を切った。

 もう1秒も惜しむところだ。

 

 ◯

 タクシーが到着した。

 3人が席に着くと、すぐに仕事の分配を終え、各自の部分に取り掛かる。

 紫姫は本部に連絡し、明田が帰ったかと確かめる。あとは明田の住所と通勤方法も聞き出す。

 嵐は曳橋の「お友達」のハッカーさんに連絡し、ドローンを派遣させる。それであらかじめ明田のアパートの構造と隠れる場所を決める。

 蒔名はリーダーの玄田に報告した。一応危ない作戦なので、報告だけじゃなく、実を言うと増援も欲しいところだ。

 しかしどんな世界においても捜査するには名目というのが必要だ。予言をしたので信じてくださいなんて言っても承認は下りない。

「増援は難しいが、拳銃の使用は許可する」

 というのが玄田隊長の最大の信頼と譲歩である。

 配られたのは一本だけで、嵐は助手席から後ろに向かって喚く。

「いよいよ出番だな紫姫。お前に任せたぞ」

 拳銃には一番詳しいし、興味も持ってる。まあここは興味がどうこうする場面じゃないが、実際にもっとも射撃練習していたのも彼女だから、信頼に値するのだ。

 しかしその信頼の言葉に対して、紫姫の顔色はだんだんシリアスになっていく。

「なんだ。まだ電話終わってないか?なんかあった?」

 そんなワクワクする情報を聞いて動じないとは、よっぽどの大事か。

「明田さん今日休みだったの!?」

 紫姫の大声が運転手をびっくりさせた。

「いや。案ずるな。死んだ場所は部屋の中だったろ?俺らはそこで待ち伏せすれば、きっと会えるさ。ただし、犯人と正面対決する可能性もある……それどころか、殺される側のはずの明田さんもグルになって襲ってくる可能性もあり。その時は……」

「うん。まかせて」

 紫姫はカバンの中から、アレを取り出した。

 ……。

 拳銃とかドローンとか犯人とか、何のおままごとかと思ったら、いざ本物が目の当たりにすると、運転手さんは本気で冷や汗を流した。彼が頻繁にルームミラーで紫姫の持ってる銃を覗き見ていて、運転どころじゃないって感じがした。

 幸い路上に車は少なく、震えるほどビビってない限り、事故にはならないだろう。

「集中してください運転手さん。大人しくしていれば害は加えないです」

 それを言ったのは蒔名だった。

 それが言ってみたかった。

 運転手さんはより一層緊張感を覚えたに違いない。

「おいおいーー」

 嵐は肩をすくめた。蒔名だって、そういう意地悪な一面もあるか。

「どうせ警察手帳出しても信じてもらえないだろけど……」

「そうなんだけど」嵐は自分の手帳を出して、礼儀正しく自己紹介を行う。「一応弁明させていただきます。俺らは警察です。迅速且つ安全に目的地に運んでいただきたいです。ご協力ありがとうございます」

「えっええ。もちろん……」

 普通の人間はどう反応するだろう。とりあえずこの運転手さんはこれで納得した。嵐は満足して頷き、これからの行動について話す。

「ドローンは2台用意してもらった。ロビーのゴミ箱の中に隠してあるそうだ。ちなみにアパートには誰もいない」

「そうか。正面衝突は避けられるね。待ち伏せ戦術だよね」

 銃を使わずに済む。3人で待ち伏せして、力ずくで抑えれば良い。

 紫姫は練習の成果を見せたかったが、非必要な場面では銃を使わないっていうところは弁えてる。

「ああ。俺は一台を使って平面図を描いて、頃葉の方は外の監視をやってくれ。紫姫はピッキングを……大丈夫よな」

「ええ。そこは古いアパートのようで、行けると思う」

 こんな作戦は初めてじゃない。警察になってまだ半年だけど、修羅場は幾つも潜ってきた。

 身を守るために、確実な成功のために、ピッキングも盗聴もやぶさかではない。素人の3人が成果を出したいとなれば、それなりの代価を払わないと。

 特別捜査隊は特別なんだけど、この3人もまた一段と特別だ。

 現に、彼らはすでに起きてる犯罪の事実究明ではなく、犯罪を防ぐために動いている。

 その根拠はただ蒔名の予言である。そのたったの1分間の情報を頼って、彼らは動き回る。

 公にできない情報を持って公にできない行動をして、それが本当に成功したって、誰も感謝したりはしない。むしろ隊長の玄田はあちこち謝りに行かなくちゃならない。

 あたかもダークヒーローのようだった。

 それでも行くのだ。

 警察内部でも、この疑問はしょっちゅう挙げられている。特別捜査隊のスカウト基準は何か、だ。

 優秀なのはわかる。しかし割に合わない。

 実績がたくさんあっても、わざわざ高校生たちをスカウトする必要性がないと思ってる人間が多い。世間にはバッシングされて、高校生だから秘密漏洩の可能性も高い。そして万が一殉職するでもしたら、親と社会にどう説明と謝罪すれば良いものか……。

 仕事方面、彼らは少年犯罪が専門だったはずなのに、他所の課の仕事を横取りしていた。元々は若手の鑑で人気の高い玄田も特別捜査隊の隊長になってから風評が悪くなってきた。

 上に行くために特別捜査隊を復活させたとか、他の刑事の手柄を奪ったとか。

 不満や疑問に対して玄田も上の人も、一度たりとも構うことはなかった。

 何年ものブランクがあってようやく結成できた2代目の重要性は言うまでもない。

 されど彼らが他人と違うところが何なのかって聞かれても、イマイチ指摘できそうにない。

 誰よりも不正を憎むか?

 警察の才能に恵まれたか?

 身体能力若しくは頭脳がダントツなのか?

 どれも少し違う。

 あえて挙げるとしたら……

 その常人には解せない死に向かいたがるところだろう。


 ◯

 アパートに潜入するまでは順調だった。

 ドローンおかげで、誰にも邪魔されずに入れた。もちろん紫姫のピッキング技術にも感謝すべきだけど、そこは感心しなくて良いそして他言はしないようにって彼女に言い含められた。

 アパートに入った途端、強烈な臭いが漂ってるのに気付く。

 あんなに臭い男が嫌いな明田だったのに、部屋がこんな臭いがするなんてどう言うことか。

 臭いを辿ってついたのがバスルームだった。

 魚臭いだったのか。

 でも心配いらない。生きてる魚だ。

 よく観察すると、彼女はバスタブの中に水槽をおいて、その中に魚を飼っているのだ。

 水槽の中はその臭いにはピッタリだ。緑が濃くてもう黒に近い。そんな環境で生きてる魚って誰もが臭くなる。

 でも少々違うみたいだ。

 むしろ逆で、こういう環境でしか生きていられない魚だとしたら?

 蒔名はすぐ気づいた。雨林の濁った川の中に生きるあれだ。

 小型で手のひらのような大きさだけだが、十分に鳥肌を立たせる。

 あんなギザギザの歯があったのに、カラフルな鱗がどこか異様に思えて、非日常感を覚えさせられる。

 特に黒い背景なので、それが現れたり消えたりして、人を脅かすには十分だ。少しでも手を近づけたら、飛びかかってきて指を奪い去るかもしれない。

 いい歳の女子にしては変わった趣味だ。昔小説で読んだ蜘蛛を大量に飼う少年を思い出す蒔名だった。

「そっとしておこう」

 蒔名はバスルームのドアを閉めた。

 アパートは清潔という形容で妥当だけど、所々に水の跡が残っていて床の色を不一致にした。魚飼ってるからしょうがないか。

 それから台所は特に異常無く、そこを通ると、寝室に着く。

 とても綺麗だ、としか言いようがない。

 真新しい布団と枕、床もピカピカ。

 あまり使われてないか、家主が潔癖症のどっちかだろう。

 髪の毛はおろか、塵一つを探すのも至難の業になる。

 内装からすればどこにでもある普通の部屋だった。可愛い飾りがなければ、個性的な家具も文具もない。

 なんなら机もない……。

 人が住む場所ってのは間違いないが、ここはまるで寝るだけの場所のようで、生活感というものが一切なかった。

 明田はそんなに残業したりしないのに、退勤後はどこに行っているのか。

 その謎を解ける人間はいない。

 紫姫は明田の同期の数人かに電話して、明田の趣味と行き付けの場所を探っていたが、全員「知らない」との即答だった。

 一の有力情報は、街で見かけたことはないという。

 なぜそれが有力情報かと言うと、彼女のアパートから本部までは、たったの歩き15分だからだ。

 それなのに見かけたことはないのか?

 どうやって通勤しているのか?

 どこかに秘密の抜け道でもあったのか?

 それとも……そもそもここから出発ではなかったのか?

 時間が惜しい。速やかに配置につくべきだと考え、嵐は発話する。

「紫姫はクローゼット、頃葉は俺とベランダだ」

「ええええ!1人じゃ心細いのにぃ!」

 さっきまで強盗のように人のドアおこじ開けておいて、今は銃を手に持ってる女は何を言ってるんだって嵐は思った。

 彼は溜め息して、「時間がない。頃葉もクローゼットに入れ。俺はドローンを見ながらベランダで見張る。人が多いとむしろ気付かれるしな」と言った。

「分かった」

 そうして、3人は待ち伏せを開始する。


 ◯

 19時50分頃、明田がようやく姿を現す。

 買い物でも行ったのか?彼女は大きいショッピングバッグを幾つか抱えて、前が見れなくなるくらいに爆買いしたようだ。

 嵐はドローンで見たものを小声で伝えた。クローゼットにいる2人に聞こえてるかどうかの知らずに。

 まあでもそれは重要情報じゃない。

 いずれにせよ、彼女が部屋に戻り、電気がついて、そしてクローゼットやベランダの間の範囲に入ると、嵐は発令するはずだ。

 彼女はエレベーターに入った。

 合図として、嵐はベランダのガラスドアを2回叩いた。

 正常なスピードで、彼女は扉前に到達する。動きから聞けば、誰かが扉をこじ開けたことには気づかなかった。

 そしたら、電気が付いた。

「よっし!大漁大漁!」と言いながら、彼女はショッピングバッグを地面に置いた。その音もクローゼットの中の2人にもちゃんと聞こえてるはず。

 それからは誰でも計算できる。彼女がトイレに行かない限り、せいぜい10秒だ。

 紫姫はロックを解除した。どこかの歴戦を経験していた婦警のように気強くて、かっこよかった。

 それに連れて蒔名の呼吸もちょっと荒く感じた。

 それが銃というやつの迫力であった。

 紫姫は左手を、蒔名は右手を伸ばし、クローゼットの扉に軽く当てる。

 嵐はまだベランダに、カーテンの隙間越しに目を凝らしている。

 唯一視野を持つ人として、明田一挙一動もまるでスローモーションのように嵐の目に映る。

 彼が用心深くドローンをコントロールするスマホを置いて、ポケットから手錠を取り出す。

 するとその瞬間。

「拘束!」

 クローゼットから2人が飛び出した。

 紫姫は速やかに高位を占拠して、ベッドの上で片膝を突いて、安定した姿勢で照準を合わせた。

 蒔名は射撃範囲入らないように、彼の最大限のスピードで明田の背後に回り込み、彼女の片手を抑えながら、逃げ道である扉へに道を塞げた。

 残りの手は嵐が抑え、さらに膝裏に自分の膝をついて、彼女を跪かせた。

「きゃーーーっ。っなにぃ?どういうこと?放せよ!!」

「あなたたち!」

「あなたは……蒔名君!どうして!?」

 彼女は勢いよく連呼していて、物好きなひとなら、本当に来るかもしれない。

 それでもやるのだ。邪魔が来ないうちに、嵐が明田の両手をくっつけて、カチャと手錠をかけた。

「明田さん。まだ警察の誇りを持ってるのならば、本当のことを言ってください。あなたは偽物の西条梨乃と手を組んでいることは、まことですか?」

 紫姫は構えを崩さず、真剣に問い質した。

 それを聴いて、明田はやっと落ち着きを取り戻し、抵抗をやめた。

「偽……者?」

 あくまでとぼけるつもりのようだ。自分の罪をなるべく軽くするために、向こうがどれくらい情報を掴んでるかを探る。ありきたりの技だった。

「私たちから情報を話すわけにはいきません。あなたからの白状を期待しています。もし応じなければ、取調べ組に任せるしかありません。どっちがいいか。考えおいてください」

 そうは言っても、与えられた時間は少ない。

 嵐と蒔名は彼女の肩をそれぞれ抑え込み、さらに跪かせた状態だから、彼女は一歩も動けない。それどころか、そういう体勢で顔を上げることすら難しい。

 俯いたまま、彼女は言う。

「私は……無実だ。本部に害を及ぼすようなことはやってない」

「冗談はよせ!回し者が何を言う!」

 警察の仕事を誰よりも愛する紫姫は我慢できず、吠えてしまった。

「落ち着け紫姫!照準に専念しろ。2人目がまだ来てないぞ!」

 そうだった。

 嵐が紫姫を落ち着かせてから、蒔名に言う。

「頃葉、俺が抑えるから。ベランダのドローンを頼む」

「ああ!」

 予言通りであれば、あと10分で明田は死ぬ。今でも到達してないってことは、犯人と会話もせずに殺されたってことか。

 あの人らしい。

 曳橋も、何の前置きなく、一瞬にして目玉を取られた。催眠を使いこなす暗殺者。どう考えてもこれまでにない恐ろしい相手だ。

 とにかく今すぐ明田を何とかしないと、犯人と対峙する際の邪魔になる。

「明田さん。はっきり言おう。あなたはもうすぐ殺される。偽西条と繋がってるならばわかるだろ?この町では予言が出来る人間がいる。それが蒔名頃葉だ。俺らはある意味、助けに来てやったのだ。そして事前にあのあなたを殺そうとする犯人を捕まえるのが目的なんです」

「……」

「あなたを殺しに来るのは、偽西条梨乃だ。この銃を見てみろ。俺らに銃の使用許可は下りたんだ。同じ警察官ならば、その重みは分かってるはず。冗談は言っていないからな」

 彼女は考え込む。嵐の言うことが本当かどうか、ちゃんと考えればわかる。だから彼女はもう動揺を隠しきれない。

「ありえないわ!どうして彼女が?」

「それは分からないね。もし知る人間がいたとしたら、それもあなた自身なんだね」

 そう言うと、嵐は本気の顔でアドバイスする。

「今からあなたにはトイレでじっとしていて欲しい。それ以外のことは一切必要ない。俺たち3人は全力で迎え撃つ。あなたにはデメリットはないだろう?」

 明田には考える時間が要るのだ。まだ損得を計ってるように見えるが、彼女の返事はもういらなくなった。

「その必要はないな」

 そう言ったのは蒔名だった。

 彼はベランダから部屋に戻り、項垂れてドローンで撮った映像を再生した。

 一台のオープンカーが交差点で20秒くらい止まって、ドライバーがずっとこっちを注視していた。

 そして何かに勘付いたように立ち去った。

 画質は悪くなかったので、車のモデルと番号がしかと記録された。

「気付かれたか。でもどうして」

 最初に疑うべきなのはもちろん明田だ。蒔名たちが現れた瞬間、彼女がメッセージを送ったとか、緊急ボタンを押したとかの行動を取りかねない。なにしろ、警察本部でスパイみたいなことやってるから、それだけの警戒心があってもおかしくない。

 嵐は今でも明田の身元検査を始めようとしたが、紫姫に止められた。

「私がやるわ」と、銃をポケットにしまった。

 確かに。彼女は戦意を失った。取調べがまだ始まってはいないのに、何もかも告白するような姿勢だった。

「僕は盗聴器とかを探す。部屋を散らかすかもしれないから、ご容赦ください」

 蒔名は一番女性用品が出そうにないところから始まる。つまり厨房だ。この期に及んで何を遠慮してるかって嵐はちょっと思ったが、やっぱり女性の紫姫に任せようと彼も考え直した。

 その時、嵐のところに一通のメッセージが届いた。

 そこには曳橋のハッカーが調べた情報が記載される。それもすごく大事な、町に大きな影響を与えかねない秘密情報だった。

「この人……神鳴りの間の……リーダーなのか!?」

 

 ◯

 手錠を外し、彼女を解放した。

 特に理由はない。彼女は手が痛くて、楽になりたいと言っただけだ。

 彼女は捨て駒として、もう何もなし得ないと3人はそう思ったに間違いない。

 ただ手を解放しただけで、まさか爆弾を起動させるわけがないだろう。

 例え狂った教会の狂信者であっても、そんな大それたことはしないはずだ。まして長年良い子ぶってきた教会の人間なら、メンツというものを重んじる。

「ええ。我々神鳴りの間は、決して教会を穢すようなことしない」

 と明田は堂々と述べた。

 彼女の行為と明らかな矛盾が生じたのにも関わらず、その自信と自慢は嫌なほど刺さる。

 紫姫は明田の後に続いて、彼女の一挙一動に注目している。何かがあったとしても、紫姫の反応速度なら、誰にも引けを取らないだろう。緊急時だったら、リボルバーの居合なんてもんも見せてくれるかもしれない。

 明田の発言に対して、紫姫はなるべく冷静を保ち、淡々と聞く。

「じゃあ国家機関の情報盗取についてどう説明するおつもり?」

「個人の行為だ。教会とは関係ない」

「都合のいい言い訳だな。普通の信者ならまだしも、あなたはリストNo.2の人間だぞ。つまり教祖の1人だよね。そんなご身分で、悪事をやったら、宗教全体に泥を塗るようなもんだろ?」

「……」

 嵐の正論に彼女は口を噤む。

 でもそれは負けを認めたわけじゃなくて、ただ説明するのがうんざりで、反論したくないだけに見えた。

「そもそも、あの人に協力するなんて。アイツはどんな力を持ってるか分かってるのか?」

「っふーー」

 まるで嵐を嘲笑うように彼女は口元を緩めた。

 私が催眠される?冗談も程々にしてって言ってるようだ。

「わかってるのによく信用してるな。彼女の弱みでも握ってるのか?」

「……」

「彼女はあなたを殺そうとしてたぞ。それが信用しなくとも、ついさっき彼女はあなたを見捨てた。取調室に連行したら、流石の彼女でも、あなたを救出することは不可能だ。千坂さんの実力、分かってるはず」

「……」

 嵐の探りは全く通用しない。彼女は沈黙を貫き通す。

 どうしたものか。取り敢えず本部に連行して、あとは全部千坂たちに任せるか。

 これは確かに専門家に任せるべき事項だ。悔しいが、もうやれることをやった。盗聴器探しも、正直彼らの専門じゃない。

 嵐と紫姫が諦めかけた時、ちょうど蒔名が戻ってきた。

 厨房は異常なし、もちろん。彼が報告するまでもない。

「そろそろ連行するか?鑑識を呼んで徹底的に調べてもらおう」

 残業をさせて気の毒だが、嵐は鑑識に電話をかけた。

 その間、気晴らしのように、

「あのね。魚飼いは趣味ですか?」と突拍子もないことを、蒔名は訊ねた。

 意外とそれが彼女の興味を引けて、素直に答えた。

「ええ。特に強い魚がね」

「それなのに水槽の清掃はしてないですか?」

「それが何か?知らない?ああいう魚は綺麗な水の中でかえって生きてられないのよ」

「そう……ですね。聞いたことはある。でもあまりの汚さです。魚は見えなくなるぐらいに。あと臭いも酷そうですね。女子なのによく耐えられましたね」

「ええ。慣れれば。それが何か?」

 そんな無駄話は続いた。やがて明田は軽蔑な目で蒔名を一瞥して、会話は途切れた。

 すると蒔名は少し考えてから言う。

「もしかしてピラニアはただのカモフラージュ、その中に何かを隠してある、とか?」

 彼を除いて、その場にいる全員が顔色が変わった。

 一体どうやってその推測に辿り着いたものか。嵐と紫姫は彼の思考に感服する。そして何より、明田の態度が全てを語った。

 嵐はカバンから手袋を探し、今にも飛び出して水槽を調べようとした。

 これではもう誤魔化せないと明田はついに折れた。

「……分かった。どうせ見つけられるから」

 4人じゃ流石に狭いから、風呂場に行ったのは、嵐と明田だけだった。

 残りの2人はドアの前に待機し、ついでに通路を塞いだ。

 水槽を傾けて、彼女が汚い水を排出したら、2匹のピラニアは生命力を無くしたように活気が消えた。

 そしてはっきり見えた。

 小さいボックス。

 彼女は四角いボックスを取り出す。それは恐らく花崗岩か大理石により作られたもので、丈夫ではあるがあまり綺麗とは言えない。

 その材料を選ぶ理由はなぜだろう。無駄に重たく感じるのではないか?

 いや、わざとだ。

 中身は大事だから、保護するようにまたはなくさないように敢えて重くしたのだ。

 蓋を開けると、球体がそこに固定してある。少量の水に浸かっていて、まるで生命力があるように生き生きするように見えた。

 その球体は懐かしい。そして恐ろしい。

 人間の眼球だ。

 はっきり言おう、曳橋の眼球に違いない。

「あなたが持ってるのか……!?」

 怪訝する蒔名に構うつもりはない。

 彼女は目玉を渇望の目で見つめる。

 検証している。

 自分が本当に催眠を喰らったのか確認している。

 そしてその死んだはずの目玉の色が徐々に変わり……茶色から……赤色に。

「………………………………」

 言葉は出られなかった。

「あたし……ハメられた……!?」

 心の防衛線における最後の砦が崩壊した。

 生意気なことも、魚の話も、何もかも言い出せなくなった。

 なるほど。それを隠し持っていて、常に催眠状態を確認出来るから、自分が催眠されるはずがないと思い込んでいたね。

 それでも知らずのうちに催眠をくらった。

 もちろんその目は偽西条が渡したもので、それで信頼関係を築けた。でも一枚上手だった。彼女の狡猾さは計り知れない。

 そして今夜こそ、明田を始末しようとしていた。

「どうやら気付いたよね。今度こそ、偽西条のこと話してもらえる?力になれるかもしれない」

 今度こそ懐柔のいいチャンスだと思っていた嵐だが、明田は開き直るのを選んだ。

「あんたらに話すことなんてないね。さっさと案内してくれる?取調べ室の千坂だっけ?噂は予々聞いてたけど、実際に見てみたいものだね」

 そこまで言われると、さすがに3人は観念した。少年3人より、取調べ室で審問を受けたいのか。千坂の恐ろしさを知らないからそう言える。

 蒔名は直接取調対策組に電話して、担当を現場に呼んだ。

 千坂はメイと一緒に記雨に行ったので、多分2日後、千坂は自ら明田に取調べを行う。その時になったら、明田にはもう隠し事はなしだ。まあ、そっちは任せた。

 でこっちは……少なくとも事件は解決した。殺人を防げたし、曳橋の目玉も取り戻した。

「あとはあの人のみだね。車のナンバーもあるし。明日ゆっくり調べようか。そうだ。メイと千坂さんは曳橋の実家で偽西条のことを調査しに行ってる。あとで情報をくれるって、メッセージが来てるよ」 

 蒔名はスマホを見ながら言った。

 隣の危険そうな目には気付きもしなかった。

「へえ〜た・の・し・み、だね!実力を見物させてもらおうじゃない!」

 紫姫はそう言って、銃をカバンにしまった。

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