第8話 3日目 夜行①

 ◯

 同日 午後

 あの予言を見たや否や、3人は即断で午後の授業をサボって、タクシーで曳橋の学校に向かった。

 完璧な調子で次の段階に行くように、まず確認しなければならないことがある。

 場所は学校の裏にあるビル、くれぐれも宙野派の人間に見られないように行動しろとの曳橋の命令に従い、3人は慎重な足取りでいた。

 そしてようやく曳橋の病室に辿り着き、彼に確認してもらったところ、蒔名だけが催眠されていたことが明らかになった。

 未来の彼の言った「多重の保険」というのは、複雑な暗示のことだ。

 例えば軽く、「西条梨乃の存在を忘れろ」とかけたら、それが2週間経てばすぐに解ける。それに合わせた処置がなかったからだ。

 西条の存在を忘れたとしても、彼女がやったことは消えない。さらに彼女と繋がる人間が存在する限り、彼女の名前とやったことは知らずのうちに言及されて、蒔名の脳の注意を喚起する。

 どんな些細なことでも、これをやったのは誰だ?と一度でも考えたら、脳は必死に答えを思い出そうとする。催眠効果も自ずと効力が薄れていく。

 それ故、より強力な催眠効果が欲しくば、その人が残した跡も一緒に消さなければならない。

 この場合、蒔名にかけられたのは、以下の三つのルールである。


 1.西条稔に娘は存在しない。

 2.西条梨乃という名前を聞いたことはない。   

 3.西条梨乃という人物がやったことは前川咲まえかわさくがやった。

 

 人間の記憶は、海と言うより、絡み合って織り交ぜた大きな網のようだ。全てが重なって繋がっている。その中の一点だけ消すと、それと繋がる部分は騒ぎ出して、失った部分は空けた穴のように、記憶に不穏をもたらす。

記憶喪失が頭を痛めるようにな。

 逆に「消す」じゃなく、その人間のやったことを別の人間に繋ぎ合わせれば、網自体は何の異常も生じない。記憶に矛盾はないと脳はそう判断する。そういう小さなトリックでも、脳を一時的に誤魔化すには充分であった。

 この場合、西条梨乃が世界に与えた影響を前川咲に全部受け継がせたのだ。もちろんそれは前川咲には荷が重すぎるかもしれない。

 一度でも彼女のことを調べれば、矛盾はいくらでも見つかるはずだが、調べたりはしないだろう。彼女は今回の事件とは無関係からだ。

 言い換えれば、この事件と何の関係のない彼女の矛盾に気付かない限り、西条梨乃という人間を思い出すことも不可能である。

 これは替え玉をうまく利用した記憶詐欺だった。

 余談ですが、催眠の際に「西条梨乃に関するすべてを忘れろ」って大雑把に言っても無駄だ。すべてっていうのがあやふやすぎて、脳は勝手な補完と誤解をして、予期せぬ結果をきたす。それが何よりも許されないのだ。

 なにせ、催眠という見た目からでは効果が分からない能力は、施術者にとって安定性が最も求められるのだ。

 ところが、何故その仕組みにはそんなに詳しいかと言うと、曳橋には催眠を行う能力だけではなく、それをいつでも解除する力も持ち合わせているのだ。

 方法も実に簡単だ。当時かけられ言葉をもう一度その人の近くで話せば済むのだ。

 だから極端的に言うと、すべての可能性を列挙して、しらみ潰しに試すのも可能である。間違えても損はない。ただ体力を削って試していくだけ……。

 けれど、いつもは自分がかけた催眠を解いてきたのに、初めて他人の施した催眠を解除するってのは、想像以上に難しかった。

 4人が力を合わせ、知恵を絞って、何度も試していてやっと本当のキーワードに辿り着いた。

「前川咲!交通部の若い警察官ですね!やっぱり西条梨乃と同世代だよね!」

 紫姫はすこぶる興奮状態だ。

 なにせ、こうも早く正解に辿り着いたのは彼女のお陰だ。

 本部だけでも数千人いるのだ。名簿を持って片っ端から試すのはあり得ない。曳橋は死ぬから。

 そこで紫姫に範囲を絞ってもらった。

 西条梨乃と同世代の女性という可能性が高かったので、紫姫は素早く数十人の名前に丸をつけていた。大抵は蒔名と嵐の知らない名前で、2人は固唾を飲みながら彼女のスムーズな作業を見届けた。まるで生きるフィルターのようだった。その超絶の記憶力、蒔名には見覚えがあった……自分の周りの女性はみんな特技を持ってるなって感心を禁じ得なかった。

 とにかく紫姫のおかげでたったの数十回の試しで蒔名にかけられた枷は成功に取り除けた。暗号解読にしては早い方だ。

 そしてその枷が消えた瞬間、蒔名は銀行口座のパスワードを思い出したように立ち上がって、なんとも言えない苦悶の表情をしていた。今までの自分を悔いる気分みたいだ。

「ううううううう……悔しいな。みんな、時間取らせちゃってごめん。本部長の娘、西条梨乃は存在する。今なら確信する。みんなのおかげで……」

「分かったならそれでいいや。じゃあいよいよ本番だな。計画を立てよう。時間が惜しい」

 嵐は時間を確認した。もう午後4時半だった。早かったとは言え、催眠を解くのに2時間はかかった。

 明田が退勤する前に捕まえないといけない。

「そう。明田さんを絶対に守る。だからここでもう一回、未来を見てみようと思う……昼はディテールが少なかったから」

 思いの外、紫姫は反対の一言もなかった。「その方がいいね。命がかかってるから。頃葉君、一回で仕上げよう!」

 さすがは紫姫、物分かりがいい。

「うん!必ずな」と蒔名も積極的に応える。

 ……。

 盛り上がる高校生たちを、クタクタになった曳橋は虚ろな目で見ていた。

 目玉は一つしかなかったが、片目だけで疲労と哀愁は十分に伝わる。

「お前ら。探偵ごっこやりすぎて目的忘れてんじゃないぞ」

「探偵ごっこじゃない!刑事ごっこですよ!」

 紫姫の反論は下手だった。曳橋は一時、言葉を失った。

 どっちにしろ、彼は心底では高校生たちを信用していないだろう。独眼のまま、残りの6年を過ごすという心の準備も半分できてる。

 かと言って、彼らが成功する確率も半分はある。彼にはこれ以上動く力はもうない。身体が回復するまでは、少年3人に託すのみだった。

 そんな状況だとしても、彼が一番心配なのは……。

「くれぐれも、宙野にバレないように」

「はい。僕も彼女に乱入してほしくないです。もし曳橋さんの行方について聞かれたら、地下アジトが泥棒に遭ったから単独で調査してると伝えるので」

 蒔名が確かにあの日アジトに行ってたから、説得力はそれなりにあるだろう。

「ああ。それでいい」

 仕事を終えて、心配事も片付けた曳橋は安心したように横になって、目を閉じた。

「あーー。そうだまきな」

「ん?」

「いやー。それが……お前は特に気をつけろ……」

 そう言い残し、そっぽを向いた。もう面会を続けるつもりはないようだ。

 そう目を瞑っていても、眠りに落ちることはないだろう。

 やがて医者が来て、「2時間は限界だ、直ちに力を抜き、静養が必要だ」と命令口調で高校生たちを追い払った。


 ◯

 病室を出て、階段を最後まで降りると、四面の壁に囲まれる小さな中庭があった。せいぜい10坪の面積だけど、しっかり整えられた草地おかげで、このコンクリートの建物もそんなに冷たく見えなくなった。

 この建物は曳橋学長が開く学校の一部である。

 元々は部活棟にしたがってたが、採光があまりにも悪かったがため、最上階は医務室に、下の1、2、3階は図書室にした。

 わざわざ中庭の部分を残したのは、曳橋学長は暖かい光に照らされて読書するというロマンのシーンを期待していたそうだ。

 しかし図書室になった以上、本を保護するためにも、子供の安全のためにも、窓はしっかり封じていた。よって四面の光は中庭には届かない状況に。

 昼の時だけ、光は真上から刺して来て、その一筋の光はロマンチックどころか、明るさと暑さに虐げられる他ない。

 その件から曳橋のバカさ加減は大体分かってくるはずだ。

 つまらないことに力と金を無駄にして、計画を立てずに実行に移る。

 人を利用したり、脅したり、どの界隈でも敬遠される。

 好きな人には嫌われて、嫌いな人にはその倍以上に恨められる。

 生涯友達ができず、恋人は言わずもがな。

 そして今度は自分の身内に襲われて目玉を奪われたとは。

 思えば思うほど、悲しい男だ。

 しかし……。

 そんな彼をも、3人は助けたい。

 それは、3種類の動機だった。

 蒔名はかつて曳橋に助けられたから、その恩返しがしたかった。

 紫姫は生まれ持った正義感と警察の責任感に促され、町の脅威を捕まえたかった。

 嵐はこれからの宝探しが順調に出来るように、資金を援助してくれる『株主』を元に戻したかった。

 たった一つの石製テーブルの前のたった一つの木製ベンチに順番に腰を下ろし、3人は一つの方向を向いて議論を始めた。

 真っ先に蒔名が発話した。

「予言の前に、一つ思い出した疑問が……それを先に解決したい」

 思い出した?

 2人は蒔名に目をやった。

「覚えてる?昼の予言その2、『西条梨乃になりすますのに、犯人は警察陣に潜む必要はない。そこには気付け』って……それどういうこと?前半は十分理解に苦しむけれど、後半はさらに意味不明だ。なぜ未来の僕が、もったいぶってはっきり答えを教えてくれなかったのか……」

 確かにこれは初めてのことだ。過去の自分が真剣に質問しているのに、はっきりと回答を言わずに、お前の器量を試させてもらうっみたいな言い方だった。

 それは何の意味もない。詳しく知るために2回目の予言をするだけだ。もしかして、未来の自分の狙いは過労死?自分に死んで欲しかったか?

「それのことか……言われてみればそうだな」嵐は言う。「後半について全然気づかなかった。でも前半ならもう分かったぞ」

「マジで?」

 嵐以外の2人は同時に目を丸くする。

「お前らやはり催眠っていう能力を理解し切っていないね。誰かになりすます且つその人物が現れない場合、すべての人間に催眠をかける必要はない。よって警察陣にも、警察署にも潜む必要もなくなるさ。

 例えば、俺は催眠を通じて頃葉の兄になりたい。その場合、催眠を行う相手はたったの1人、頃葉だけだ。頃葉は自発的に周りに言う。『俺の兄は嵐だ。みんなよろしくお願いします』ってな!

 西条梨乃の場合ならもっとシンプルだ。誰しも昔の彼女を見たことはなかった。今年から顔を表すようになったんだろう、紫姫の情報によると。

 だからあの偽物に必要な行動は、堂々と西条家に出入りして、本部長にだけ催眠をかければいい。そしてどこにおいても、どんな疑いがあったとしても、本部長が代わりに弁明する。彼の言葉は何よりの裏書きになる」

 一度も顔出しのしなかった人間が、誰かになりすますには、最も有力な証明人を催眠すれば済む。彼が納得さえすれば、疑う者もあるはずもないだろう。

 それを理解するのに、2人は少し時間がかかった。

 でもそれでいいのか。他の可能性はないだろうか。紫姫は抱いていた疑問を投げかけた。

「筋が通るね。でも、その推論だと、新しい可能性も……何も本人が直接危ない橋を渡る必要はない。年齢の近い第三者を替え玉に使う方がもっと安全なんじゃないか、犯人にとって」

「それは……あるな。でも未来の頃葉、はっきり言ったよね。犯人自らなりすましたって。軟禁のことも知っているしな」

「見落としはなさそう……理解したし、納得もしたよ。不可解なのはやっぱり未来の僕がどうしてあんな言い方をしたかだ」

「『そこには気付け』……か。独り言をする時は遠慮しないタイプか?」

「そんなことはないよ!」

「じゃあ性格が劇的に変わったとし思えん。これからの2週間、何かやばいことが起こるかもしれない……」

「そんなまさか……」

「ここで事実無根の推測するより、直接聞いてみてはどうだ?」

 蒔名はすぐ頷く。それから質問内容を提案する。

「まずは態度が急変化の理由を詳しく。あとは悪事態を防ぐために、犯人の行動時間が知りたい。明田さんを保護するには必要だ。他には?」

「もう十分じゃない。今は量より質だ。確実に彼女を救えるよう、細かく説明してもらおう」

 3人は見合わせてから同時に頷く。

 かくして、失敗が許されない人命のかかる予言を蒔名は行う。


ーー始ーー


 10日後、保健室で、前置きなしに蒔名は素早くページを捲る。未来の彼も事態を察知してるんだから、同様に急いでいる。

 ページに書かれた過去の自分の質問に対して、答えは長々と書き記された。

「嵐の退学、それ以外の何物でもない。それに最近は思う。過去の僕がもっと予言をすれば、この現状を避けられるではないかと。今は後悔しかない。愚痴はここまでだ。

 犯人は曳橋の姉ーー偽西条梨乃で間違いない。でも彼女を狙っていても埒が明かない。

 偽西条の殺人時間はそっちの本日夜8時、場所は明田のアパート。

 動機は今でも明瞭しないが、2人に何らかの取引があるような気がした。長い付き合いって感じもする。証拠として、引き出しにあったある物が盗られた。埃の跡から判断すると、アルバムもしくは冊子。

 だから明田をまず拘束しろ。彼女は偽西条に辿り着くための手掛かりを握っている。それも彼女を守るためだ

 くれぐれも、明田と衝突しないこと。追い込みすぎると、彼女が自殺する可能性も否めない」


ーー終ーー

 

 未来の自分の愚痴はもちろん伏せていて、蒔名は他の情報をそのまま話した。

「マジっ……か?明田さんは裏切り者?受け付けなのに誰も気づいてないなんて!」

 この町の警察の素養と専門スキルを紫姫は真剣に疑い始めた。彼女自身もその一員だが。

「なるほど。彼女は協力者か……辻褄が合う」

 嵐はすぐに納得した。そしてタクシーを呼ぶ用意が始めた。

「待って!そうだと決まってないよ。取引がある、かもしれないじゃないか。金欠で一時の気迷いかもしれない。何より相手は催眠能力者だ。催眠による行為かもじゃん」

 ごもっともな判断だったが、蒔名はどこか私情を挟んだように見える。何せ、いつも自分に優しいお姉さんだったから。

 紫姫は不服で、小声で嵐の耳元で訊ねる。

「頃葉君なんで彼女を庇うの?もしかしてっ!」

「それはないな。優しさを優しさで返すだけじゃね?」

「私も優しかったのにぃ!」

「んーー距離感の問題かな。身近だから当たり前のように受け止めるとか何とか」

「あ〜なるほど。あるある!」

 悟りが開いたように紫姫は大きく頷く。それから何か奥の手でも会得した顔だった。まさかこれからは攻め方を変えるとでも?

 まあ今はそんなことより、ことのプライオリティーは分かってるつもりで、紫姫は命する。

「ではいきましょ。詳しくは現場で」

 

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