第4話 1日目 牡丹
◯
同日 夜
早枝家の夕食に出席するのはいつも
父は町長として、仕事と接待ばかりしていて、のんびりと家族団欒の時間を楽しめる立場ではない。
結紀はもうそれに慣れている。
想像するだけで寂しそうな光景だった。
でもメイと千坂の到来で、食卓は一気に賑やかになった。
「結紀ぃいい〜〜会いたかったよぉ〜学校お疲れよ〜〜明日から一緒に登校だよぉおおお〜」
メイは結紀を抱きしめ、ほっぺを寄せ合って、頬擦りはしばらく続いていた。
小さい頃からこの可愛い妹が好きだった。
お人形って言うのはベタな表現で、それに結紀は可愛さだけじゃない。それよりも絵に描かれた芸術品のようなもので、まさに美と雅の取り合わせ。彼女の一顰一笑は、心を清めて正座して、巡礼の気持ちでの鑑賞に値する。
その他、性格も勉学も良くて、小さい体なのに走りが得意で、欠点は指摘のしようもなかった。
もう1年くらい会ってなくて、結紀はさぞ寂しい思いをしただろうと考え、姉の自分がアプローチしてみた。
しかし一方で、妹が高校に行ってからグレる可能性も考えられるので、正直不安もあった。
高校一年目、それは成人の次に恐ろしい年と言っても過言ではない。誘惑、憧憬、解放、混乱、堕落……それがメイが思い付くキーワードだった。
結紀の場合が特に心配だった。大人しい子ほど人に影響されやすいって説があるそうだから。
「お久しぶりです。姉さん。私も会いたかったよ。また綺麗になったね」
「あらそう?結紀は相変わらず天使だ!学校で死ぬほどモテただろう!でも悪い男は99%なんだから、明日からは姉さんが守ってあげる!一列に並んでもらって、私がじっくり選別するわ!」
「べつにそんなことないよ……初日から町長の娘ってバレて、男子はあまり近寄らないです……」
楽しい雰囲気はそこで終わってしまった。
千坂と家政さんは晩餐に専念し、いつしか料理の作り方について討論を始めた。横で顔が一変して、眉を顰めるメイを見て見ぬ振りをすることに決めた。
「結紀……楽しくやっていけないならいっそ転校しようか。例えば新町高校なんかはどう?」
メイの適当なアドバイスに、結紀はなぜか震え始め、動揺を隠しきれなかった。
「姉様……なんで知ってるの?」
何のことかって思い、千坂に目を向けて回答を求めたら、彼女もまた「ご存知でしたか?」って顔だった。
いや。知らないよ。
「新町がどうかしたか?」
その高校について、メイは蒔名がそこの生徒くらいしか知らない。彼のような変な人も友達ができて楽しくやっているなら、悪くない学校だと思っただけ。
でも2人の反応からしては、深い訳がありそうだ。
結紀と千坂は顔を見合わせ、メイの勘という超能力に呆れた様子だった。
「メイの直感には脱帽です。説明はしたいですが、私の口からは言えません。結紀様に聞いてください」
千坂は食事に戻り、家政さんと料理の話を続けることにした。これからの会話に参加しないという意思表明であろう。
結紀はもじもじしながら、言いたくて言えないみたいな脳内戦争が繰り広げ、やっと決着がついて、彼女も覚悟を決める。
「実は気になる男の子がその学校に……」とメイの耳元で小声で告白した。
それを言う結紀は、今まで見たことのない照れながらも、幸せそうな表情だ。
可愛い衣装を買ってあげた時も、海辺の別荘で誕生日パーティーを開いた時も、遊園地を貸し切って家族と遊んでいた時も、彼女は今のような純真無垢でありながら魅惑を帯びた照れ笑いを見せたことはなかった。
「……!!っっ!!」
メイは一時、人間の言葉すら忘れてしまったのだ。
「……姉さん……ごめんなさい」
「結紀……なるほどね……でも謝ることはないよ!私に許可を求めるようなことじゃない。結紀が好きって言うなら姉さんも応援するよ」
と正論はそこまでで、本音はこれからだ。
「けど!もし悪いやつなら、一度でも結紀を泣かしてもしたら、姉さんも叩くのを惜しまないわよ。忍びを雇って暗殺するわよ」
「あーー」
久々に姉の恐ろしいところが見れて、結紀は嬉しかった。
メイは常に武闘派だった。どんな手を使ったか今でも謎だが、中学の頃、結紀に付き纏っていた男を退学させた実績がある。
普段は口数の少ないメイだから、学校の誰も彼女を疑うことはなかった。あの男は何も知らないまま、処分を喰らって、結紀に近づく機会を永久に失った。
悲劇はまた繰り返されるだろうか。
「でもまだ心配いらないです。相手にされてないから……」
「……??っっ!?っっ!!」
聞き違いかと思った。
結紀が相手にされてない……ありえない。
血の繋がりはないものの、妹の魅力が否定されたことは姉である自分も否定されたのも同然だとメイは何故か確信している。そして憤る。
「誰だぁあああ!姉さんに教えて!」
「嫌よ。姉さんが昔みたいに退学させたら、私もっと嫌われるから」
「むむむ……そんなに好きなの?」
「……………………回答を拒否します!」
結紀がそう言うと、メイは急に箸を下ろし、食器もきちんと並べて、食事を拒否する意思を表明した。
「結紀は成長したね。姉さんを傷つけられるようになったね……」
と悲しげに呟く。
「もう!姉さんの子供!教えるけど絶対に接触しないでよ!本気で怒るよ!」
「絶対会わないから!名前だけ覚えて気に留めておくだけ」
メイは耳を澄まし、ノートを手にしてレポートにする勢いだった。
「望峯嵐君です。新町高校三年2組の……」
「あれ?あらし……嵐……!
急に悟ったようにメイは疑惑の目を千坂に向けて確認を求める。
千坂はその時を待っていたかように素早く一回頷いた。
千坂、知ってたか!
思い返せば当然のことか。結紀は一応彼女の義理の妹だ。妹を守るために、人間関係はとっくに調査済みってわけだ。
敢えて黙秘したのは、この晩餐で結紀本人が説明するのを期待していたからに違いない。性格の悪い姉さんだ。
それにしてもまさかあの男だったとは!
何が男の子だ。暴力を振いそうな大男だぞ。
混乱と葛藤はあったけれど、「まあ。頃葉の友達なら、基本大丈夫だろ」とメイは早速結論を出した。
そして立ち上がる。
「結紀、ゆっくり食べてね。トギ姉さんと話があるから」
「え?まだ全然食べてないじゃないですか。あと……私も聞きたい」
「ダメだよ。エグい話だから。でも心配しないで、嵐君には手を出さないから。彼についてまた今度話そう」
「分かった……あの……」
「?」
「今日は一緒に寝ていい……?」
「もう高一だぞ!でも大歓迎だよ〜」
最後に結紀をハッグしてからメイは立ち上がる。千坂は彼女に着いて行き、共に席を外した。
結紀をほったらかして心が痛いが、そうしてまで話したいことがあるからだ。
「嵐君のことについて思い出したことがある。もしかして彼、望峯教授の息子なのか?」
「さすがメイの記憶力です。それは彼のチームメンバーたちにも知らない秘密ですよ」
望峯教授は町長がまだ鈴和に赴任していなかった頃の旧友だった。
一度だけ、早枝家を訪ねることがあった。あの時結紀はまだ幼く、大人の会話にも興味なさそうで、ゲームばかりプレイしていた。
メイもその場にいて、宿題をしながら聞き耳を立てていた。確か癌手術研究の件だった。
「父さんから聞いた話だと、数年前から奇病にかかって、植物人間に……優秀な医者だったみたいだけど、どうしちゃったのかな?」
「それは私にも分かりません。“ウチの考え”によると、あれは故意的な事件だそうです。人為的な力がなければ、外傷一つなくあんな状態にはなれません。それに、植物人間に近いとは言え、ある程度の知力は残ってる。自力で食事、トイレ、“遊び”……もできる。そう。言わせてみれば、まるで彼の知力は赤ちゃんレベルに戻されたかのようです」
「戻された!?まさか……でもそんなことができる人間いるそうですね?トギ姉さんの5月のレポートに書いてあった屋台の娘って人」
屋台の娘とは、人の記憶を改竄することが出来る女の子のことである。改竄されたが最後、もう2度と思い出すことが出来ない。催眠なんかと違って、どれだけの時間が経っても一生気付かないまま生きて行く。
その子は5月の頃、よく屋台を設けてサービスでやっていたが、それ以来は見当たらない。
「はい。さすがです」
「大きな陰謀の匂いだね。そこまで彼を排除したいか。しかも殺さずに、侮辱するようなマネをわざわざ……」
「興味がおありでしたら、来週訪ねにいきましょうか?まだ警察なので一応強引的な聞き込みもできます」
「そうね。結紀の大事な人の父さんだし。行こう行こう」
結紀への心配が一旦終了して、次は自分の問題に戻る。
「勝ち目はあるの?私たちで頃葉たちより先に捕まえられるかな、訳のわからない犯人を」
メイは現場にも行って、色々な調べと思考をしていたが、今だに手掛かりになるようなことはない。
ちょっと疲れた顔で、彼女はため息をした。
それに対して千坂はいつもの、何事も問題ないみたいな顔で、「できますよ。メイがその気になれば」と気軽に言った。
「どう言う意味?」
「私には彼らがまだ持っていない情報を把握している。しかしそれを選ぶと、命を失うこともあり得ます」
いきなり物騒なこと言って、メイはびっくりした。
紫姫との試合はまだ始まってないのに、こんな事件一つで、他人の目玉一つで命を犠牲にするのかい?
どう考えても諦めるべきだ。
「言ってみて」
「分かりました。今回の事件のポイントは、曳橋さんが何故反撃しなかったか、です。彼は意識がある限り、相手を催眠することができるわけですから」
「襲われて意識すら失ったとか?」
「目の周り以外外傷はないそうです。別手段の注射と薬なんだけど、それもまた検出されてないそうです」
「じゃどうして?その催眠の力は絶対的って言ったじゃないか?」
「ええ。確かに絶対的だ。ただし、私と楓には通用しない。私は人格の切り替えによって催眠効果を別人格に移せる。楓の場合、身の外の感覚を遮断することができる」
「犯人はトギ姉さんか楓さん……じゃないよね」
「もちろん。犯人は催眠を無効化できる3人目です」
メイはなんとなく分かった。相手は千坂のような多重人格者、もしくは宙野楓のような雷を呼ぶ人だ。
「それでは本題です。私にしか知らない情報をこれから話します。
今年の春、曳橋が大きな事件を起こして以来、町長に頼まれて彼の素性調査を始めました。彼の故郷にも行って、そこで彼の残念な学生時代と惨死した母のことも分かりました。
そして燃やされた曳橋家には、金品が盗まれた痕跡があって、色々調査した結果、当時放火した人間が混乱に乗じて隠し持っていたのです。とはいえ、その人間が結局死んでしまい、金品もあの人の家に眠ったままでした。
とある品には、『
「苗字ですか?」
「はい。堤上氏は昔、曳橋家の召使いでした。けどある出来事のせいで曳橋家を出なくてはならなくなった。しかし出た後も、曳橋家からは金の支援を続けていました。容易に想像できます。家主との不正の関係だったんでしょう。そして簡単な計算をすると、彼女が家を出た時点から現在まで、ちょうど23年になリます。その意味、お分かりになったでしょうか」
「あ!それって……もし堤上が出て行った時点で妊娠していたとしたら、催眠を継ぐ人間がまた1人増えたかもしれない……ですか!」
「その通りです。この町の状況から察すると、ほぼ確定でしょう。曳橋落夢の腹違いの姉がこの町にいる。自分が犯したたくさんの罪を弟になすり付けようとしていました」
「姉?もう性別まで分かったんですか!?」
「ええ。目の色も分かりました。弟と同じ、催眠された人間が視界に入ると、赤色に変わります。
元々彼女を調査する助手は1人いたのですが、先月殉職しました。よってこの情報を知っているのは、町長とメイと“私たち”だけになります。私の中では、あの狡猾な2人目の催眠能力者を引き摺り出す計画を、『牡丹』と呼ぶ」
ところで、千坂の「私の中」という意味は、正真正銘、「中」である。
彼女と弟のウチと妹のマルは脳内で会議ができるくらいの完全体の多重人格だ。しかも情緒不安定、精神的ストレスなどの症状は一切なく、誰が身体を操るかも相談で決められる。(と言っても、トギが90%以上の時間を独り占めしている)
趣味はあらゆる電子設備で、ハッキングと追跡に長けてる千坂ウチは長らく2人目の催眠者に目を付けていた。
「彼」は花が好きで、花の名で命名する計画が言わば彼にとっての最重要ミッションであるはず。
「ミッション牡丹……か。あっ待って待って!その色が分かるってのは、もう本人と会って、確かめたの!?殉職した刑事さんってもしかして?」
「はい。私の部下でした。貴重な情報を送ってきた後にやられました。死体は川の中。外傷なし、完全なる事故に偽装されました。さて、メイ。その相手に挑むには無謀です。それでも行くと言うなら、ただならぬ覚悟が必要です」
真顔でそれを言う千坂が欲しかったのはどんな返事なのか。
肯定か?ボディーガードでありながら、共に危険を冒して町長の娘の命を棒に振るつもりか?
否定か?それならそんな言い方することはないだろうに。
何かの補充をするように彼女はまた口を開く。
「メイはこの事件のキーにはなれる存在かもしれません」
煽ってる……なのか?メイは一瞬そう思った。
「ん?と言うと?」
「メイは新参者として、一度も催眠をかけられたことないはずです。その上メイは強大な記憶力の持ち主で、あなたの持ってる情報はこの街においても、ある意味最も正確だと言って良いです」
メイは悟ったように頷いて、そして困惑の顔になる。
「でもそこまでか。催眠のスケールが……」
「メイが想像するよりも一段上かもしれません。6桁の住民が多かれ少なかれ催眠を受けたことがあるはずです。人から証言と情報は取りにくい状態であります。
なので正直この事件はメイの力を借りたい所存です。でも安心してください。私の原点はあくまでメイの願いを叶えることです。私情は挟みません。ですからメイがどんな答えを出すかに関わらず、やるべきことをやるまでです。危険な部分は私がちゃんと始末します。千坂の名に賭けて……」
ところで、メイの願いは何だったっけ。
事件の犯人を捕まえて、蒔名に見返すことだった。
そのためには多大な犠牲を払うことになるかもしれない。
「ありがとう。私のわがままに付き合ってくれて……でもトギ姉さんに任せっきりじゃダメだ。私も行かなきゃ!そうしないと、頃葉に認めてもらえないよね。事件の調査に関わる意味も無くなる」
「例えそれで命を失ったとしても、ですか?」
「ええ。そうよ。これが私の愛の重さなんだから!」
「それ……言っちゃいますか……」
「結紀みたいな小娘じゃあるまいし。言っちゃうんだよ!」
メイははっきりと言った。
結紀が聞いて拗ねるかもしれないが、驚きはしないだろう。
それが彼女の姉のメイだ。
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